6.通り魔事件3
翌日。ユウタロウは早速事件を調べる為、人々が寝静まる深夜に街へと繰り出した。
寝る間も惜しんで、彼が夜間から調査を始めたのには理由がある。通り魔事件の被害者は全員、暗がりの中、一人でいるところを狙われているからだ。
まどろっこしいことが嫌いなユウタロウは、直接犯人を捕まえてやろうと思い至ったという訳だ。因みに、勝手についてきているクレハを除けば、同行しているのはチサト一人だけ。ハヤテを始めとした他の面々は、ユウタロウたちが留守にしている間、ロクヤの傍についてやることになったからだ。
重鎮たちが何を企んでいるのか分からない以上、最悪の事態を想定して動く必要がある。そして、ユウタロウにとっての最悪が、ロクヤの身に何らかの危機が迫ることなのだ。
「ねぇユウちゃん」
「あ?」
街を探索する最中、不意にチサトは立ち止まった。問いかけついでに、ユウタロウは振り返る。
「本当に良かったの?三人とも家に置いてきて……せめて一人ぐらい、ついてきてもらっても……」
「……俺がそこら辺の雑魚共にやられるとでも?」
「そんなこと思ってないわよ。……でも。あの人たちが狙っているのはロクヤちゃんだけじゃないでしょ?隙あらばユウちゃんのことだって、殺すつもり満々なんだから。もう少し警戒しても……」
「俺はつえーからどうとでもなんだよ。あのじじい共の目的が俺で、最悪その罠に引っかかったとしても、俺は絶対に死なねぇ。泥水啜っても、地べたに這いつくばってでも生き残る。
だけどロクヤは違う。アイツは俺やハヤテたちみてぇに強くねぇし、何か一つでも間違えば、命の危機に関わる。……一度死ねば、二度と会うことは出来ねぇんだぞ?」
「……うん。そう、だね」
チサトは思った。それは、ユウタロウだって同じことでは無いかと。
ユウタロウだって今この瞬間、何がきっかけで命を落としてしまうか分からない。そして死んでしまえば、二度と会うことは出来ない。抗うことも出来ない。
何故ユウタロウは、自分のことをこんなにも大事にしてくれないのだと。ユウタロウがロクヤの身を案じるように、チサトだってユウタロウのことを憂慮している。
そして、同じように思う人間が、ユウタロウの周りには多くいる。
何故それを自覚してくれないのだと。チサトは歯痒く感じ、ほんの少し俯いた。
「クレハも傍にいるしな」
バサバサバサッ!!
デジャブ感を否めない、けたたましい音が遠くから聞こえた。相変わらずのクレハに、二人は思わず苦笑いを浮かべる。
「それに……俺にはお前がいる」
「っ!」
頭の上にポンと手を置かれ、チサトは顔を赤らめながら目を見開く。見上げる先のユウタロウは、穏やかに微笑んでいた。
「お前がいれば、俺は最強だ。だろ?」
「っ……うん」
完敗だ。そう思いつつ、それでもチサトは緩む頬を抑えることが出来ない。
先刻まで抱いていた憂いをあっさりと掃ってしまった、目の前の忌々しい男。一生彼に敵うことは無いのだろうと、チサトは笑みを零す。
「ふふっ、ユウちゃんだぁい好き」
「っ……おう」
「あ、ちょっと照れたでしょ?」
「うっせぇんだよ」
頬と耳をほんの少しだけ朱に染め、ユウタロウはギロリとチサトを睨みつける。それでもチサトは嬉々とした表情を浮かべるばかりで、効き目は皆無であった。
談笑しながら街を見回るユウタロウだったが、奇妙な仮面の集団どころか、人っ子一人見つけられずにいた。最早この国で通り魔事件のことを知らぬ者などほぼいなく、夜遅くに外出しようとする人が少なくなっているのだ。
退屈な状況にユウタロウがうんざりしていたその時――。
「っ、誰だ?」
「ユウちゃん?」
他人の気配を感じ、ユウタロウは警戒心を露わにする。チサトは思わず首を傾げるが、しばらくすると建物の陰から見知らぬ男女二人が姿を現した。
「……誰かと思えば、勇者じゃない。アンタ」
百四十センチという、子供のように小さな体格。丸みを帯びた紫のボブヘアで、つむじから毛先にかけて段々と色が濃くなっており、そのグラデーションが美しい。パッチリと大きな黒の瞳は彼女の可愛らしさと童顔を強調している。
そしてピンと立った猫の耳と、ショートパンツからはみ出ている尻尾は、誰もが一度は目を奪われる。
猫の亜人――ニーナは、ユウタロウに冷めた目を向けて言った。
もう一人の男――ハッチ・クロガネは、彼女と並ぶと非常に対照的である。
二百センチという常軌を逸した背に、屈強な身体。肌が黒いので、盛り上がった筋肉がより目立っている。烈火の如く赤い、その髪を刈り上げており、前髪は白のバンダナでかき上げている。やんちゃな印象を覚えるつり目の奥に光る瞳は紅葉色である。
「何者だ?」
「別に名乗る様な者じゃないわよ」
「俺は悪魔教団〝始受会〟第二支部主教――ハッチ・クロガネだ」
「アンタ……私の台詞を台無しにするんじゃないわよ」
ニーナは思わず、ハッチにジト目を向けた。
一方、悪魔教団〝始受会〟という名を聞き、ユウタロウは探る様に彼らを見つめる。
「悪魔教団、ねぇ……」
悪魔教団――始受会。悪魔が忌み嫌われるこの世界においては異端者と呼ばれる――悪魔を敬い、悪魔を神と崇める人々が集まり成り立つ組織である。
信仰対象が悪魔であること以外は、よくある宗教団体と大差無いが、その実態を知る者はいない。
悪魔を絶対神としているので、悪魔に命じられればどんな非人道的な行為であっても、顔色一つ変えずに執行する。彼らにとっては悪魔の意思こそが正義だからだ。逆に、悪魔の意思が無ければ何も起こさない。
故に、その時代の悪魔によって、始受会がアンレズナにとっての害悪と成りうるかが決まると言っても過言ではないのだ。
「はぁ……私は始受会第三支部主教、ニーナよ」
「主教?……子供の癖に随分とご立派なことだな」
「っ……言っておくけどねぇ……私はこれでもアンタより大分年上だから」
ニーナの経験上、散々言われ続けてきた言葉なのか、彼女は慣れたように苛立った様子を見せる。
亜人は人間とは比べ物にならない程寿命が長い。故に成人してからは、相当な年月をかけなければ容姿に変化が起こることも無い。つまり一瞥しただけでは、亜人の年齢を当てるのは困難なのだ。
だがニーナの場合、元々が童顔なので、亜人の特性とは関係なしに子供と間違われてしまうらしい。
「はぁ?んなことはどうでもいいんだよ。それより、悪魔教団がこんな所に何の用だよ?」
「いちいち癪に障るガキね…………アンタら、通り魔事件の件は知ってる?」
「あぁ。今まさに調べている最中だ」
「端的に言ってしまうと、私たちの目的も同じよ」
「なに?」
「正直迷惑しているのよ。良からぬ噂が散々出回っているらしくて」
「あぁ……事件に悪魔教団――つまりおたくらが関わっているっていう、根も葉もない噂のことか?」
「……勇者の癖に、私たちが無実だと思っているの?」
ユウタロウの口ぶりは「悪魔教団の無実を信じている」と言っているようなものだった。本来であれば悪魔教団と勇者一族は敵対関係にあたるので、ニーナは怪訝そうに尋ねた。
勇者一族の人間の言葉を簡単に信用することは出来ず、クリっと大きな瞳でニーナは鋭い睨みを繰り出した。
「別にそこまでじゃねぇよ。ただ、あんたらは悪魔の命令にしか従わない。要するに、例えアンタらがこの事件に関わっていたとしても、それは悪魔の意思によるものってことだ。そこにアンタらの思惑や計略は一切存在しない。つまり、お前らに探りを入れたところで時間の無駄。事件解決のクソほどの役にも立たない。だから興味が無いだけだ」
「……あぁ、そう」
正直、ニーナは彼の答えを聞いてホッと安堵していた。
ユウタロウらしい、歯に衣着せぬ物言いではあったが、下手に取り繕った言葉よりは余程信用できるものだったからだ。
「一応、悪魔様の名誉の為に言っておくと、この事件はあのお方の意思によるものでは無いわ」
「だろうな」
「……だろうな?」
何気ない彼の呟きに、ピクっと反応したのはハッチだ。ユウタロウがそう推測する根拠が分からなかったからだ。
「?先代悪魔が死んだのは五年前だろ?要するに現代の悪魔は今五歳のガキ。んな奴が通り魔事件なんて企むとは思えねぇからな」
「っ!流石は勇者一族ね……先代悪魔様の死期を知っているなんて」
この時初めて、ニーナは純粋な驚きと感嘆で目を見開いた。
そして、始受会の主教である彼女の称賛は、ユウタロウの言葉の全面肯定を意味していた。
勇者一族の人間が、何故会ったことも無い先代悪魔の忌日を知っているのか?それは、初代勇者たちによって脈々と受け継がれてきた、勇者一族の血による呪いの様なものが関係している。
勇者であろうとなかろうと、勇者一族の血を受け継ぐ者は全て、悪魔という絶対的な存在に過剰反応する特徴を持っているのだ。
例えば、普通の人間であれば、悪魔を一瞥しただけでその正体を見破ることは出来ない。だが勇者一族の人間であれば、近くに悪魔がいるだけでその気配を察知することが出来るのだ。
初代勇者の呪いとも思える本能的なそれの延長線上で、彼らは様々な情報を手に入れることが出来る。悪魔が死に、新たな悪魔が生まれると、それを察知できる能力も、その一つなのだ。
「まぁ兎に角、偉大な悪魔様や愛し子様が謂れのない罪で責められるのを黙って見てられなくてな。これ以上悪魔様たちに対する差別意識が増長するのも困るってことで、事件を調べることになったんだが」
「……?」
これまでの経緯を説明するハッチだが、段々とその声が萎んでいき、ユウタロウは首を傾げた。疑問に答えるように、ニーナが続けざまに言う。
「昨日、犯人側から手紙が届いたのよ」
「「っ!」」
途端、ユウタロウたちは驚きで目を見開く。
「差出人の欄には、犯人が常に被っている面が描かれていて、手紙にはこの場所と時刻だけが書かれていたの。怪しさしか詰め込まれていなかったけど、何か手掛かりが掴めるかもしれないと思って来たの……なのに……よりにもよって何で勇者なのかしら」
「知らねぇよ。差出人に聞け」
「私たち以外にはアンタの連れしかいないみたいだし、とんだ無駄足の上、気分最悪よ。
……で。……どうする?私たちとやり合う?」
挑発じみた笑みを浮かべ、ニーナは尋ねた。互いの状況説明に時間を費やしてしまったが、本来ユウタロウと彼女ら始受会は敵同士。本来であれば会った途端、戦いの火蓋が切られるのは必至なのだ。
「は?何でんな面倒なことしなきゃいけねぇんだよ」
「「…………」」
本気で意味が分からない。とでも言いたげな顰め面で、ユウタロウは言い放った。瞬間、始受会の二人は茫然自失とする。そして、彼ら二人の思考は面白いぐらいにリンクしていた。
『この男は、本当に勇者なのだろうか?』と。
「……なるほどね。アンタが勇者一族の恥さらしって呼ばれている理由が、今になって漸く分かったわ」
「?」
「全然勇者っぽくないもの。アンタ」
「はっ。だろうな」
ユウタロウは自嘲気味に笑った。
ニーナからの評価が不服だったからではない。寧ろ、勇者らしいと称されてしまえば、彼は全身が粟立つ感覚を覚えるだろう。そうではなく、ニーナの推測が見事に的を得ていたからだ。
勇者であるユウタロウが〝勇者一族の恥さらし〟と呼ばれている理由。彼に勇者としての実力が備わっていないからだと勘違いしている生徒は多くいるが、実際は違う。
彼が恥さらしと罵られているのは、彼に勇者としての思想――悪魔に対する敵愾心が一切無いからなのだ。
「――まぁいいわ。仮面の犯人も現れ無さそうだし……帰るわよ。ハッチ」
「えぇー、コイツとやらねぇのかよ。つまんねーな」
「馬鹿言わないで。アンタ如きじゃ勝てないわよ。筋肉馬鹿でも命は惜しいでしょ?」
「ちっ……おい小僧。今度機会があれば俺とやろうぜ?退屈はさせねぇからよ」
「俺はこれでも忙しい。てめぇらの相手なんぞしてられっか」
「ハハッ、つれねぇなぁ」
そう言って笑うハッチだったが、ユウタロウの毒舌の真意には気づけていなかった。
ユウタロウは確信しているのだ。この二人どちらが相手でも、学園での決闘の様に瞬殺することは不可能だと。長時間の接戦になることは避けられないと。
ユウタロウは彼らの実力を見抜き、戦闘を拒否する程度にはその力量を評価しているのだ。
こうして、勇者一族と悪魔教団。この奇妙な組み合わせは、早々に解散することになる。
この日。結局日が昇るまで犯人たちは姿を見せず、ユウタロウは何の収穫も得られないまま、学園に直行することになった。
徹夜したこともあり、いつも以上に学園でだらけるユウタロウは、まだ知らなかった。
その日。一切予想だにしていなかった事件に、巻き込まれてしまうという未来を。
次は明日投稿予定です。
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