1話 落ちた太陽
「そのボタンを! 絶対に押してはいけない!」
人間とは、かくも愚かである。
なぜなら『~してはいけない』と禁じられると、無性にそのパンドラの箱を開けたくなるのが性なのだ。禁忌の先で触れるものが絶望や破滅の一色であったとしても、好奇心という名の欲望には抗えない生物なのかもしれない。
「そのボタンをまだ押してはいけない!」
古代人はこの行為を『フラグを立てる』と称したらしいが……。
しかし、人間ではない、神々の血を継承する【神人】ならば理性的な判断を下し、この警告を真摯に受け止めてくれるのではないかと期待してしまう。
そう思い、私は懸命に声を振り絞る。
「ボタンを押すタイミングは、私が指示す――るッ!?」
戦の最中に張り上げた私の伝令が、騒乱や怒号の渦によってかき消されるのはよくある。それは、果たして敵のみが引き起こす現象かと言えば、そうでもない。
現に私の決死の叫びは、味方であるはずのアークがせせら笑いとともに押し潰してしまった。
彼の目にも止まらぬ速さと化け物じみた筋力により、私の身体はいとも簡単にねじ伏せられ、地面へと顔から打ちつけられる。
「ぐあっ!?」
「おい、レイ。聞き間違えか? 今、お前は、【血位者】である俺様に命令したのか?」
顔面が燃えるように熱くなり、激しい痛みで意識が飛びそうになるのを寸でのところで耐える。
アークは銀色に光る筒状の先端、丸型の突起部分に指をそえながら馬鹿にするような目つきで私を睥睨する。
「神血の流れぬ貧弱な身体、くわえて魔法さえ使えず、神意すら聞き取れないゴミの分際、筋肉のないお前が! 俺様に指図するだとー?」
彼の言う通り私は確かに神々の概念、世界を構築する意思、神意すら聞き取ろうとしない無能者である。だが、何千年も前の人々が創り出し、今もなお作動し続ける【星遺物】、それらが引き出す失われた伝説の現象、【失伝魔法】にだけは戦場の誰よりも詳しいと自負している。
現在、人類の主な戦闘方法は剣と魔法、それに神意である。そんな戦の最中で、古代に栄えたと言われる【魔導帝国日本】が残した【失伝魔法】の発動タイミングを誤ったら……そのボタンを押したが最後、大いなる破壊が生まれ数多の命が亡くなる。
それがわかっていながら静止をかけない理由などない。
「レイ殿の命令だ。今すぐにそのボタンを押したまえ、だとさ」
だというのにこの男ときたら、自身のくすんだ金髪を撫で終わった後にニヤケ面で言い放ったのだ。
私の名を語り、平然と大量殺戮の引き金を弾くと。
「おい、やめろ!? 今、そんな事をしたら前線が大惨事になる! いいか、それは『祈りの涙』と言って、ボタン一つで何もかもを吹き飛ばせる代物だ!」
「あぁー?」
「せめて味方の前線部隊が撤退を終えてから、使用する計画だったろう!?」
「撤退を待つだなんて悠長な寝言をほざく暇があるなら、少しでも後陣の安全性を考慮しなくちゃ~」
彼の黄金に光る双眸はゆっくりと弧を描き、その美貌は悪魔のように歪む。
「これほど耳障りで不快な物語も稀だなあ……」
アークの態度から、私の警告を受け入れる気は一切ないようだ。
その事実が、私を暗い絶望の底へと落とす。
「レイにはさぁ、この状況が見えてないのかあ? 前線は【植物人間】の大群に突破され、崩壊の物語は序章をとっくに終えている」
「あれは……【植物人間】などではない! おそらく古代の硬貨を元とした人型の星遺物だ。必ず【金属キノコ】の群生地帯で出現するのがいい証拠だ!」
「寝物語をほざくのは、ほどほどにしなよ~。あの歪な銅貨の集合体、それに絡まる植物に侵食されし人を模倣した意思なき異形が、星遺物だと?」
そう、現在進行形で我々を危機的状況に陥れているのは、【植物人間】と恐れられている銅製の人型モンスター。古来より【金属キノコ】と呼ばれる謎の巨木群が発生すると、【植物人間】は尋常じゃない程の数に増殖して現れ、都市1つを滅ぼしたとの記録がいくつも残っている。
いわば厄災級に指定されたモンスターだ。
私も今回の討伐軍に参加して、この目で見るのは初めてだったが……実際に人々が必死になって剣を振り回している相手を直視して思ったのだ。
あれって、十円玉じゃね……? と。
そう、巨大樹と見まがうほどの【金属キノコ】の傘の部分は、5メル以上の大きな十円玉が一枚、そしてまた一枚と、何枚も重なった構図をしている。そして、頭頂部に近づくにつれて十円玉のサイズは小さくなってゆく。
キノコというのは胞子を媒体にして菌を増殖させる。つまり、胞子や菌に相当するのが【植物人間】であるはず。ならば【金属キノコ】さえ処理してしまえば、【植物人間】は増殖を止め、確実に仕留める掃討戦に持ち込めるはずなのだ。
「あれは十円玉と言って、と、とにかく【金属キノコ】を根っこから処理さえすれば! あれらは発生しなくなる! だから、真っ向から衝突するよりも【金属キノコ】の破壊を優先す――――ゴハッ!?」
頬を強打され、私の説明は強制的に消失させられる。
「そんなのどうでもいーんだよ。ここは【祈りの涙】とやらの威力で、敵もろとも吹き飛ばすのが上策だろう?」
「ダ、ダメだ! 私がどうして、その失伝魔法を【祈りの涙】と命名したのかまるで理解していない!」
【祈りの涙】、それがもたらす破壊は人々の心に深く刻まれるはず。それこそ神に感謝を捧げる祭礼でさえ亡き人を想い、その場に居る全ての人々が落涙するだろう結末を生む。
「おい、レイ。武器は使ってこそ、武器だと語れる。女も乗りこなしてこそ、だろぉ?」
「【祈りの涙】を行使すれば、その破壊力に必ず後悔が残るぞ!」
「ほう。それほどまでの破壊力か……であるならば、この機に使わなくていつ使うんだあ? 俺様の語る寝物語に登場する女に【未使用】の三文字はないぞ~?」
「……だが、断る!」
「わかってないな~。レイに拒否権とかないし。そもそも俺様の命令を止める権威もなければ、筋肉もないだるぉー?」
わかってないのはキミの方だろうが……まるで話にならない!
対話はできないくせに、奴の狂気に染まった瞳は雄弁に語ってくる。『【祈りの涙】の威力が見てみたい』と。
神々の血に侵された神人の中には……信仰心が高すぎるからなのか、それとも神の概念に触れているからなのか、自身の価値観への没入が深すぎる者もいる。
その筆頭が、たまたまアークであっただけなのだ。
だがこの問題は、多くの命が懸かっているのだから、ハイソウデスカと容易に片付けられてしまう些事ではない。
「まーだぁ、わかってないみたいだから言うけどさあ。【祈りの涙】を使って後悔するのは俺様じゃないよぉ♪」
「くっ……リヒテス様はどこだ!? どうかアークを止めてくれ!」
唯一、この場での決定権を覆せるリヒテス様に嘆願すべく彼の姿を探す。
だが、既に戦場は混乱の渦であり、私達のいる後陣も慌ただしい有様になっているため彼を咄嗟に見つけるのは不可能に近かった。
「リヒテス様は前線で交戦中だ。さて、この場のみなが証人となるなあ? ペテン師のレイ殿が、我々に今! 絶対に大丈夫だからと言って、このボタンを押せと指示した!」
「「「はっ! 【第二十二血位アーク・ビブリオン】様の仰る通りでございます!」」」
「我らが強靭なる筋肉に乾杯!」
「「「筋肉こそが正義!」」」
私は彼に迎合する周囲の味方兵に驚愕の眼差しを向ける。
だが、ここではこれが当たり前だったな……と思い出す。
どうやら、しばらくプリシラの部隊で動いていたから失念していた。
神々の血を継ぐ【血位者】様が白と言えば、黒い物ですら白になる。
この場には彼より、高位の神血を冠する【血位者】は皆無。
だからといって、そんな状況をいいことに指令の捏造すら厭わない蛮行に抗わない理由はない。
「私は……星の記憶を読み解き、人間の力を証明する者。錬星術士だ!」
故にこんな暴挙は見過ごせない。
決死の覚悟でアークのやろうとしてる事を止めようともがく。もがいてもがいて、もがいても、上から押さえつけられた両手は微動だにせず、岩のように固く重いアークの身体が私の自由を奪い続ける。
「全責任は、ペテン師レイにあるから何が起きても関係ないっと~♪」
そういって彼はためらいもなく禁忌のボタンを押した。
それを契機に、ここより遥か後方に設置しておいた【祈りの涙】は起動しただろう。
絶望的な予測は現実となり、上空に白い煙の線が一本だけ引かれる。【祈りの涙】の弾道軌道は予め調整しておいた通り、後陣の頭上を過ぎ去り前戦地へと着弾した。
――この日、大地と空は真っ赤に染まった。
それはまるで血の海が吹き荒れ、血の霧が天高く舞い上がり、血に濡れ切った大雲が空を覆い尽くすようだった。
誰もがその光景に戦慄するなか、1人だけ喜々とした笑みを携えながら地獄絵図を眺める奴がいた。
「わぁーお、眩しいねえ……これは本当に想像以上だよ」
死の炎を歓迎するように両手を広げ、歓喜するアーク。
「新しい刺激、見たことのない光景!」
狂っているとしか言えない。
「さあーって、これで面白い物語が書けそうだねえ?」
こうして多くの同胞を失った日は――
【英雄神アキレリア帝国】において、嘘により全てを零の焦土にした災厄、【虚言に落ちた太陽】と語り継がれた。
この殺戮の元凶はペテン師レイであると、私の名にちなんで……。
◆◇◆◇◆
【第二十二血位アーク・ビブリオン】の暴挙が、後に『英雄神アキレリア帝国』の破滅に繋がると、未だ誰も知らず。
錬星術士レイに不当なぬれ衣を着せたがために、彼の大帝国の衰退は序章を迎える。
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