起③
「そう。じゃあ、」
さよちゃん、だね。
菫色の瞳を持つ彼女は、
うっすら目を細めて、そう言った。
「僕はうしお。よろしく」
「うしお……さん?」
「うーん。出来れば、くんで呼んでくれると嬉しいな」
宗教上の理由で。
と、うしおくんは付け加えた。
私は頷く。
断る理由も、特にない。
「うしおくんは、なんで、ここにいるの?」
「出るって聞いたから、ちょっと確かめに」
「ひとりで? 怖くないの?」
「あんまり」
肩をすくめる、うしおくん。
お化けとか、都市伝説とか、
理由もなく怖がるタイプじゃなさそうだ。
うしおくんを改めて見る。
すらりと高い背に、
首周りのすっきりとしたショートカット。
女子制服を着ていなければ、
きっと男の子に見えただろう。
菫色の瞳は、闇にまつろわぬ光をたたえて、
堂々としているのに、つかみどころのない、
不思議な子。
「でも、今日はもう帰ろうかな。
さよちゃんもいっしょに帰らない?」
うしおくんは、廊下の端まで歩いていくと、
暗がりから肩掛けカバンを取り出した。
「悪いことしちゃったから、お詫びになにか奢るよ」
「え?」
「だって、確かめに来たんでしょ」
『ウシロダくん』のうわさ。
何気なく放たれたその一言で、
闇が再び、ざわりと蠢く。
「もう時間は過ぎたから、『ウシロダくん』は現れないよ」
“夜の6時50分に、
ひとりで2階の渡り廊下を歩いていると、”
「さよちゃんは、僕が先に居たから、見られなかった」
“足音が、
ひたひた後ろをついてくる。”
「うしおくんは、見られたの?」
「うーん、どうだろう。
ねえ、」
“『後ろだ……後ろだ……』
低い声がだんだん近づいてくるけど、
絶対に振り返ってはいけない。
振り返ると……”
「君は、どうして此処に居る?」
「……私、」
息を吸う。
吸って、吐く。
輪郭が形を成して、闇を遠ざける。
「私のともだちが、ウシロダくんを見た、って」




