起①
ぱた。
ぱたぱた。
廊下に上履きの音がこだまする。
みんな帰って、校舎には誰もいない。
ぱた。
ぱたぱた。
逢魔ヶ時もとっくに過ぎた。
夜の帳が、私とあの子の間に降りる。
ぱたぱた。
ぱたぱた。
輪郭が闇に溶けそうになる。
何もかも、ぼやけて曖昧だ。
ぱたぱた。
ぱたぱたぱた。
足音が増えた気がした。
それは、あの子のものじゃなくて、
あの子にちかづこうとする、私の、
「その『境界』を、越えてはいけないよ」
足音が止まった。
違う。
私が足を止めたのだ。
立ち止まったあの子の声が、
ぴんと張った糸のような声が、
私に向けて放たれたのだと、気づいたから。
まるで反響定位のように、
曖昧模糊とした闇が払われ、
私とあの子を形を露わにする。
あの子は廊下の真ん中で、
私に背を向けて、立っている。
すらりとした長身。
うなじが見えるショートカット。
スカートをはいていなければ、
ここが女子中学校でなかったら、
あの子を男の子だと思っただろう。
そうして、私は、もうひとつ気がつく。
私は、目の前の女生徒を知らない。
では。
あの子は、誰?
貴女は、誰?
まるで私の疑問が聞こえたかのように、
彼女は、振り向いた。
夜の6時50分。
2階の渡り廊下、その真ん中で。