箱庭の海辺
波音が、穏やかな旋律をくり返し、奏でていた。
陽射しが砂浜と肌を熱する。
心地よく、風が身体を通り抜ける。
雨を降らせる雲はみえない。
押し寄せる波が、足もとまで届き、かえっていった。
くり返される、生命の営み。
生まれたときから、世界の在り方は変わっていない。
平和な日常に不満はなく、不安もない。
しかし、それでも生まれる数々の疑問が、好奇心と想像力を育てていく。
海辺に立つ、ふたりの少年。
彼らはずっと、この島で暮らしている。
○
サトシは腕を組み、足元をみていた。
その後ろでは、フジオが砂山にトンネルをつくろうとしていた。
「またどこかで、大雨が降ったみたいだ」
フジオが手を止めて、サトシにたずねた。
「なんでわかるの?」
「昨日まで、こんなところに波はこなかった」
一日の間で、波打ち際は変化する。
潮が引いている時間帯には、砂を掘って貝を捕まえる。
「一日の間で、海の水は増えたり減ったりしてる。満ち潮といい、引き潮というらしいけれど、これはだいたい同じ時間にそうなるだろう? どこかで雨が降ったり降らなかったりする時間は、だいたい決まっている」
そして同じ満ち潮でも、波のとどく位置がちがう。
増えたり減ったりしている。
「もしかして、それにも決まりがある?」
「記録をつけてみないとわからないけれど、ありそうな気がする」
サトシの嬉しそうな笑みをみて、フジオも楽しくなってきた。
「またなにか、大発見につながるかもしれないね」
「フジオにも期待してるからな」
サトシは、疑問を抱き、考えをめぐらせる。
サトシの導き出した答えに、新たな可能性を見出すのが、フジオだった。
○
あるとき、サトシは疑問をもち、フジオに相談した。
「水は、高いところから低いところに流れていくのに、どうして海の水は増えていかないのだろう? 一番低いところでないのなら、どうして流れてなくならないのだろう?」
流れをせき止めている、何かがある?
あふれる水だけが流れていく?
「雨も降っていないのに、なんで海の水が増えるんだろう?」
「うーん、海の底でも、水が湧き出ているから?」
「でも、谷の水源からは、ずっと水が湧き出ているだろう? 増えたり減ったりするのは、なにか変じゃないかな?」
フジオはあきらめたが、サトシは考えつづけた。
「海の水がなくならないのは、どこかで雨が降っているから?」
サトシが思いついたとき、フジオはすぐに納得した。そして想像力を働かせ、はっと気づいた。サトシの考えが正しいのだとすれば、雨が降った気配が感じられないくらい、遠くで雨が降っていたことになる。流れても流れてもなくならないくらい、雨が降り続いているのかもしれない。
「世界は、ものすごく広いのかもしれない」
ふたりは見果てぬ世界に向かい、叫び、腹の底から笑いあった。
あれほど喜びを爆発させたのは、初めてのことだった。
○
「ただいまー」
「ただいまー」
「はい、おかえりなさい。サトシもフジオも、ケガはありませんね。では、きちんとシャワーを浴びて、外の汚れを落としてください。わたしはその間に、食事の用意をしておきます」
彼女はふたりを浴室にむかわせ、調理場へと足を運んだ。
ふたりが収穫してきた貝や魚を、ピカッと照射して、菌や寄生虫の処理をする。
畑でとれた野菜なども同様に処理する。
バナナなどの果物はそのまま。
さばいたり盛りつけたり、スパイスを振りかけたりはするが、生食である。
「イモ類があれば、よいのでしょうが」
イモ類も穀物も容易に栽培できる。
しかし、それらの食材は、生食が推奨できない。
加熱処理が求められる。
「できるかぎり、火は使用したくありません」
危険だから。
サトシとフジオに、火というものを見せてはならない。
好奇心を爆発させて、間違いなく火傷をする。
「水を加熱すると状態変化をおこし、蒸気となって消えていく。それを知ったら、どうなるでしょうね……調理マシンを用いれば二秒で加熱できますが、それはそれで、好奇心が止まらないでしょう」
すぐにでも、ふたりがやってくる。
遊びまわった少年たちのために、彼女は食事をテーブルに運んだ。
○
彼女は、ひとり編み物をしていた手をとめ、就寝の支度をはじめた。
外はすっかり暗くなった。
ボードゲームに興じていたサトシとフジオも、そろそろ眠気に襲われている。
サトシが大きな欠伸をして、ふっと、疑問を口にした。
「……海の水は、増えたり減ったりはしても、それほど変わらないよね?」
「ん? うん、そうだね」
「だとしたら、どうしてあんなに溜まったんだろう?」
流れても大丈夫なくらい、どこかで雨が降っている。
だとしても、水が溜まるのはおかしい。
やっぱり、水のせき止めている何かがある?
少しずつ溜まっていった?
「もしかしたら、ものすごい大雨が降ったんじゃないかな? いまの海ができるくらいの、ものすごい大雨が」
「えー、そんなに雨が降ったら、ぼくたちも流されるんじゃない?」
ふたりは想像をめぐらせた。
「ぼくたちより前の人たちは、そのとき世界にいたのかな?」
「だとしたら、すごいよね。どうやって暮らしていたんだろう?」
「謎だね」
「うーん、海にぷかぷか浮いてたとか?」
「そっか、浮かびながら生活できるような、大きな草舟を作ったのかもしれない」
「はいはい、そろそろベッドに入ってください」
彼女は、ふたりの少年をベッドに向かわせる。
「ねえねえ、ノアはどうおもう?」
「そうそう、ノアはどうおもう?」
「わたしの考えることは、あなたがたの生活と安全だけですので」
なんでだよー。
なんだかんだで、ノアが一番の謎だよ。
「わたしはただ、あなたがたがいればそれでいいのですよ」
彼女は語らない。
自身のことも、少年たちのことも、世界のことも。
○
ヒトという種は、死と眠りのどちらかを選んだ。
巨大な箱庭のなかに、いまはもう、ヒトはふたりしかいない。
「わたしの本体は、種の保存、世界の保存が役目です。わたしの役目は、あなたがたの世話をすることです。わたしたちに、役目を変えることはできませんでした。あなたがたがいなければ、わたしは、存在する意義が失われてしまうのです」
サトシとフジオの安らかな寝顔を見つめながら、彼女は語った。
少年たちは、施設内で保存されている、ヒトの細胞から創りだされた複製体。いくらか遺伝子をデザインしたうえで誕生している。
箱庭のなかで育ち、死んでゆく存在。
幾度もくり返された、自然ならざる生命の営み。
これは人間の世話をする彼女の、存在を守るための救済措置。寿命による死を選んだ、最後のマスターたちが許可をだした、彼女のためのプロジェクト。
「もう少し成長すれば、夜の外出も許可しましょう」
星空も精巧につくられている。
夜空の星々を眺めれば、あらたな方向に想像力を働かせるだろう。
これまでのサトシとフジオのように。
「いつの日か、ほんとうの海と星空を、あなたがたに」
現実となるまでに、どれほどの時が必要だろうか。
人間には耐えられぬ苦しみであっても、彼女たちは役目を放棄しない。
宇宙船『ノア』は、地球に帰還できる日を、待ちつづけている。




