出会い
「晴人さま〜〜!晴人さま〜〜!!」
「何だ…雪。騒々しい」
遠くから渡り廊下をパタパタと走る音が聞こえ、邸の主はいかにも面倒くさげに目線を下げた。
「やっぱりここにいらしたんですね!随分探したんですよ!」
見ると、雪のように白い肌を紅潮させ、腰まで伸びた黒髪を一つに結んだ愛くるしい顔の美少年がこちらを睨んでいた。
「わかっていたなら最初からここに来れば良かったのだ」
そう言うや否や優雅に木から地面へと飛び降りる。
涼やかな衣擦れの音とともに腰まで伸ばした髪がさらりと音をたてた。
反省の色も見えない主人の様子に、雪は大きな溜め息をつく。
「またそのようなことを…。猫じゃあるまいし、木に登るのは止めてください!」
「………お前にだけは言われたくないな」
邸の主は欠伸を噛み殺し、涙目で目の前の少年を見据えた。
しかし、そこには先程の少年の姿はなく、代わりに雪のように白い子猫が一匹立っているだけだった。
「雪華山…用件を話せ」
時は平安――『最も美しき都』と詩に詠まれるほどもてはやされた平安京はそれと対照的に魑魅魍魎で溢れかえる都として有名だった。そしてその魑魅魍魎たちを退治し、また天へ導くために陰陽師という者が現れたのである。
その陰陽師の中でも最も有名なのが安倍晴明である。彼は生まれもった数奇なる力と聡明な頭脳により、実に様々な事件を解決し世に平和をもたらしたのであった。
そんな彼が暮らしていた邸は丑寅の刻を示す方角に立っている。そのため彼の邸の門は鬼門と呼ばれ、鬼が逃げる場所として恐れられていた。
現在、そんな邸に住み安部家を守っているのは、三代目――安倍晴人である。祖父である安倍晴明から受け継いだ秀でた才と頭脳により魑魅魍魎から平安京を守り、帝から絶大の信頼を得ているのである。
――そして今日もまたそんな彼の元に一通の手紙が届くのであった。
「――ほぅ、山奥に住む妖退治とな……」
晴人はいかにもめんどくさそうに卓上に肩肘をつき扇の奥で欠伸をした。
「何でも夜道を通る貴族だけを狙うそうです」
雪に差し出された文にさっと目を通すと晴人はそれを後ろに放り投げる。
「断わる」
「…え!?何でまた!」
主人のいつもの返答に雪は盛大なため息をついた。
晴人は自分の都合にあった仕事しか引き受けないのである。そのため素晴らしい才能を持っていながらもそれを使用しようとしない晴人に敵意の目を向ける輩もそう少くなかった。
「男どもの夜這いの手助けなど面倒臭いことこの上ない」
「そういう晴人様だってよくしてるじゃないですかぁ〜」
小声で突っ込んだ雪は前方から黒いオーラを感じヒッと竦み上がる。
「……で、でもこの応酬は相当なものですよ?」
本性は猫のくせになかなか抜け目のないところは誰に似たのだろうと半ば呆れながら晴人は扇を閉じた。
晴人も文に書いてあった内容は前々から風の噂で聞いていたのだ。何でも、見たこともない美貌の女が、女の元に通うため人目を忍んで夜道を通る貴族の男を誘惑し、いつの間にか朝になると男は従者もろとも落ち葉の上で寝ていて女の姿は何処にもなかったらしい。何とも奇怪な話である。
命には別状ないし物も盗られてはいないため大したことはないのだが、この事件が2ヶ月にも渡り続き、なおかつ他の陰陽師に依頼しても同じ結果になってしまうため今回は陰陽師の中でも飛び抜けて才のある晴人に依頼したのであった。
『陰陽師でも手を焼くほどの美女か……』
晴人はニヤリと口の端を持ち上げると、懐から横笛を取り出した。
「この笛の音と噂に耐えぬ美女……どちらが魅惑的であろうな」
*
「あーあ…退屈ね〜」
そう呟くと、樹木の枝の上から細い腕をだらりと落とした。その拍子に着物の裾がめくれ陶器のような白い肌が露になる。
気だるげに腕をぶらぶらさせ、金色の瞳を動かし、眼下に広がる平安京を眺めた……。
「…さて、今日はどんな男がくるのかしら」
形のよい唇で妖艶に微笑むとゆっくりと上半身を起こす。そして、鮮やかに枝の上から地面に飛び降りた。
「まったく…どいつもこいつも美女には目がない変態オヤジなんだから。…ま、この私の美貌見て落ちない方が可笑しいけどね」
蘭狐はさらさらと背中に流れ落ちた銀色の髪をかきあげ、横目で足元の池に移る自分の姿を捉えた……。
そこに移るのは冬月のような銀糸の髪を踝まで伸ばし絹のように白く柔らかな肌を艶やかな衣で彩った絶世の美女だった。長い睫毛に縁取られた琥珀色の瞳はまるで孤高の狼を想わせるような気高さがある。母親と生き写しの自分の姿に蘭子はクスッと笑った。
「あの女は気に食わないけど、この美貌には感謝しなくちゃ」
元々蘭狐は人間の男や金銭に興味はなかった。
ただ、自分の美しさに魅了され愚かにも今から通いにいく女のことなど忘れて自分についてくる男たちを見ているのが楽しいのだ。
他の妖のように幻術を使っていないぶん、余計に滑稽で可笑しい。だからついつい悪戯をしてしまう。
ついこの間自分を倒しに来た陰陽師という輩でさえ、蘭狐の美しさに魅了され蘭狐を倒しに来たことなど忘れてしまったのだ。何とも間抜けな話である。
「そろそろ来てもいいころね……」
蘭狐は琥珀色の瞳を光らせ山の麓を見つめた。
ちょうどその時、蘭狐の鼻を独特の匂いが掠める。
「あら?さっそく今日の獲物が来たようだわ…」
蘭狐は妖艶に微笑むといつもの定位置まで降りて行こうとした。……が、いつもとは違う雰囲気にすぐに勘づく。
匂いとともに不思議な音が聞こえてきたのだ。
「…何?笛の音?」
予想外な出来事に蘭狐は警戒の色を滲ませた。目を瞑り耳を澄ませる。
どうやら、800メートル先から聞こえてくるようだ。足音からして一人で山道を歩いてくるのがわかった。
――これは明らかにおかしいことだった。普通の貴族だったらこんな夜道を共もつけずに通るものはいない。ましてや貴族だったら牛車に乗ってくるはずである。いくら山奥に住んでいるからといって蘭狐は人間の世の常に疎い方ではなかった。
――と、言うことは……
――陰陽師!?
しかし、この前来た陰陽師は一人で来るような大胆なことはしなかった。共を連れ牛車できたはずだ。貴族の真似をしてこちらが油断してるとこを狙おとし、結局それは意味を成していなかったようだが……。
まあ、どんな輩であろうとこの私に勝てる者はいない。
あの美しい音色を奏でてる男でさえこの私の美貌を見れば一瞬で魅了されるにきまってる。
「――おもしろい。この勝負、乗ってやろうではないか…」
闇に支配されたような山の中を白い狩衣を着た一人の男が歩いていた。手には竹でできた横笛を持ち涼やかな音色を奏でている。
急に強くなった妖気に晴人は驚きを隠せないでいた。
――まさかこれほどのモノだったとは……。
ただ悪戯をするだけの妖だから大した妖ではないかと思っていたが、それは大きな勘違いだった。
一歩踏み出すごとに一段と濃くなる妖気が、白い狩衣を通して肌に突き刺さってくる。
――しかし、急に妖気が強くなったところをみると私が陰陽師だということに気づいたか……?
晴人は心の中で不敵に微笑む。
――なんともまぁ好戦的な妖だ。
『陰陽師』と『妖』…決して出会ってはいけない二人が対面するのは、もうすぐそこまで迫っていた。
蘭狐 17才 165センチ伝説の九尾の狐の一人娘 外見は大人っぽいが性格は意外に子どもっぽいところがある。