箱入り娘(物理)と狼王 【前】
お久しぶりにございます。元カルカナ王国第一皇女リーファ・カルレアンと申します。
現在私はたいへん宙ぶらりんな状況にあります。カルカナ王国を出、ギルヴァーン王国に来て早一カ月。一応輿入れという名目でございましたが、肝心の旦那様(仮)とは初日にお目通しいただいただけで一度もお会いしておらず、交換ノートを続けてはおりましたが、特にこれと言って名言なさることはございませんでした。
現在戸籍やらなんやらがどうなっているのか私にはわかりません。私の身は果たして完全に嫁入りとなっているのか、それともギルヴァーン王国お預かりとなっているのか。後者であれば、私は戸籍をカルカナ王国に置き、身体のみギルヴァーン王国に置いていることになります。
そう、現代でいう住所不定無職にございます。
もし私がこの状況で警察から何らかの容疑を受けた場合、報道では住所不定無職、リーファ・カルレアン(自称)とされるのです。
住所不定無職、そのうえ自称とは、なんと恐ろしい響きでございましょうか!
「リーファ様。何をしてらっしゃるのですか?」
「……今から陛下を伺おうと思っているのです。」
現実逃避は目の前の大きな扉から出てこられた陛下の腹心、虎族のアルドラ様によって遮られてしまいました。ああ、アルドラ様も麗しい。銀縁眼鏡にすらっとした体躯、ピシッとした硬い軍服から覗くふわっふわの尻尾、小さくて丸っこい耳。あいかわらずのイケモフにございます。
「そう緊張なさらずとも。今は急を要することもありません。いつでも陛下は時間を取られますよ。」
「ええ、アルドラ様、お気遣いありがとうございます。しかしもう少し心の準備をしたいのです。」
微笑まし気に眼鏡の奥の目が細められる。その視線の先には私の腕の中にある一冊のノートがあった。
私、リーファ・カルレアンがこの国に来て一カ月、つまり交換ノートを初めて一カ月でもあります。そう分厚くもなく、一般的なページ数のノートはこの一カ月の間に最後のページまで埋まってしまいました。
そしてこの交換ノートに綴られるガオラン・ギルヴァーン様の文字たちのなんと愛らしく愛おしいこと!
硬い文字に、柔らかくしようとした痕跡の見られる文章、挙げ出せばきりがないのでこれ位くらいにいたしますが、ノート越しにも愛おしさが募ってまいりました。一国の主たるガオラン様も忙しいでしょうに、私のために交換ノートにお付き合いいただき、本当にありがたいと思っています。
そしてこのノートが終わりました。そのためてっきり私は二冊目の交換ノートを用意していただくつもりでございました。
「リーファ様、陛下と交換ノートをしてみていかがでしたか?」
「ええ、大変お優しい方だと思いました。なんのお役にも立てない私をこのようにお気遣いいただき、本当に感謝しています。アレンさんも、このようにお互いを知れるような方法を提案していただき、ありがとうございました。」
「いえそんな!出過ぎた申し出でありましたが、そのように言っていただけてうれしい限りにございます!……それで、リーファ様。まだ陛下のことは恐ろしいと思われますか?」
「まさか!とても紳士的で素敵な方だと、私は思っています。」
「まあ!それは良かったですわ!リーファ様、よろしければもう一度陛下と、ガオラン様とお会いいたしませんか?」
それは私にとって願ったりかなったりの提案にございました。
何やかんや、私の態度により私がガオラン様のことを恐れている、という勘違いが生まれてしまい、それを訂正することができずにいましたが、私は最初からガオラン様のことを恐れてはいませんでした。
それこそ、お会いするまでは丸呑みされるのでは、頭からバリバリいただかれるのではと思わないでもありませんでしたが、一目見たときから私の中から一切の怯えはなくなり、たいへん素敵なイケモフ様で頭がいっぱいになってしまいました。モフモフに対する熱いパトスがみなぎっております。
「は、はいっ、陛下のご予定さえ許されるのであれば、是非。」
そう答えたものの、正直いずれ、としか思っていませんでした。ええ、よもやアレンさんが驚くべき行動力を発揮し陛下のご予定を調整するように提言しそれを実際に叶えさせるとは努々思っておりませんでした。まだここに来て一カ月ですが、アレンさんはメイド長でありながら凄まじい発言力を持っていること罅体感しております。いったい何者なのか他のメイドさんに聞いてみたところ、陛下の副官である虎のアルドラ様の奥様であるようでした。同族でなくとも結婚するのかとか二人に子供がいるならどんなモフモフなのかとかいろいろと突っ込みたいところもございます。しかし一番はだからと言ってそれほどの発言力があるのかと尋ねてみましたところ、苦笑いで姉さん女房ですから、とお返事をいただきました。姉さん女房だから何なのだと聞きたいところでございますが、どうも本当にそれがすべてのようでございました。……ギルヴァーン王国の本当の支配者はアレンさんである可能性が浮上しつつあります。
あれよあれよと外堀を埋められ、アレンさんに見送られ陛下の部屋の前。イマココ。
アレンさん、最初あんなに私の心配をしてくださっていたのになぜか今回はぐいぐい来ます。曰く、もどかしいとのこと。そんなこと言われても、と思いながらこうして陛下の部屋の前へ来たは良いものの、いまだこの大きな扉をノックする勇気がわきません。ここに突っ立って早数分になりますが、廊下を行く方々、悉くにアルドラ様と似たような微笑ましいものを見る温かい視線を送られております。ギルヴァーン王城の連絡網怖い。
いい加減居た堪れないので中に入りたいのですが、何度もノックするために手を上げては下ろすを繰り返しております。
会いたい気持ちは山々ございます。
好みはどストライク、ノートを見る限り大変優しく心の広い方、モフモフ、初めてお会いした時からお慕い申し上げていたと言っても決して過言ではないのですが、、どうにも、なんと申しましょうか、常識人的な恥ずかしさが今更になってこみ上げてまいりまして、明日顔面が筋肉痛になるのではないかというほどの百面相を一人繰り広げているのです。
モフモフに対する愛が偏執的なのは重々自覚しているのですが、いったん時間を置いてクールダウンを余儀なくされると否が応でも常識が舞い戻って参ります。
簡潔に申し上げますと、もう私にはガオラン様が一人の男性に見えている、ということにございます。
当然のことのように感じられますでしょうが、私にとっては青天の霹靂と言っても強ち間違いではないのです。
最初は私は彼のことをモフモフだとしか思っていませんでした。
大きくて理性あるモフモフです。
しかしながらノート越しに対話を重ねるうちにモフモフ云々ではなく、ガオラン様という一人の方にお会いしたくなったのでございます。
ああ何という煩悩!生粋のモフリストにあるまじき失態!いえ、モフりたい衝動と一人の方として会いたい気持ちのどちらが煩悩なのかは定かではないのですが。
そもそもこの私の中にある乙女的思考が痛々しくてやっていられないのでございます。このピンク色の思考をなんとか取り払いたいのですが、取り払う前に外堀を埋められ、煩悩を抱えたまま戸をたたく羽目になり、こうして扉の前で悶々としているのです。
そして一つ申し上げたいのですが、そこの角を曲がったところで隠れているらしいメイドさんや武官文官の方々。いまいち隠れられておりません。音がしないのは流石なのですが、視線が大変煩いです。
いい加減ここで立ち尽くすのも視線にさらされるのも限界、そう思い意を決して扉を叩こうとしたそのとき、そんなタイミングで扉が内側に引かれ私の決死のノックは見事に空振りいたしました。
「リーファ、か。」
ベルベットボイスが、空から降ってまいりました。
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交換ノートを始めて、いや、人族の王国、カルカナ王国の皇女リーファ・カルレアンを迎えてから一カ月が経った。
最初こそたどたどしく文字を綴り、ノートの前で頭を悩ませていたが、次第に慣れ自然と書き綴ることができるようになっていた。それこそ、他の者達の揶揄いなど気にならないほどに気づけば入れ込んでいた。
ノートが次で最後のページになるころ、リーファの世話係となっているアレンからもう一度会ってみないかと打診を受けた。
もちろん、会ってみたいと思っていた。
だがそれ以上に、再び怯えられることに対する恐ろしさの方が上回っていた。
ノート越しに話をする中、会って話をしてみたいという思いが募っていた。あの日、箱の中から私を見上げたリーファを、私は忘れたことはない。一瞬、ほんの一瞬だったが、あの千種の瞳に私の顔が映った。あの時の言葉に表しがたい感情は今も胸の中に居座り、その存在を日増しに色濃くさせている。
嫌われていないことはわかる。繊細な文字から伝えられる言葉に私を厭うものはない。少なくとも気に入られるための演技などという陳腐なものでもなんでもないとわかるほどには。
だからこそ、私は再び会うことが恐ろしい。文字に怯えはない。だが生物の本能には抗えないだろう。
彼女には身を守るための毛皮もなければ爪もない、牙もない。
私なぞが触れれば簡単に壊れてしまいそうな彼女は、圧倒的弱者であり、被食者だ。それに対して私は獣人の中でも圧倒的強者であり、捕食者だ。きっと彼女は本能的に私を恐れるだろう。
しかしながら問答無用のアレンである。
私の葛藤など知ったことか、と言わんばかりに次々と予定を調整し、見事に一日休みを作ってくれた。全くありがたくない。私たちのことなのだから私たちのペースでやる、放っておいてくれ、と言ったもののあなた方は部外者がしなくては何もなさらないでしょうっとの一言であっさりとぶった切られた。
ふざけるなと脅すつもりで一声吠えたが、逆に牙をむかれた。もちろん、栗鼠族である彼女の威嚇など赤子の戯れほどの効果しかないはずなのに思わず慄く。
彼女に対してだけは威厳が迷子だ。
そして無駄な抵抗は無駄なまま、その日が訪れた。
部屋を訪れていたアルドラがにやにやしながら私を見る。
「いっそ開けて差し上げてはいかがですか?」
「…………、」
アルドラがにやにやする原因は扉の外にある。
声がするわけではないが、扉の向こう側で一人ずっととどまっている気配がある。おそらくアレンに言われたのだろう、扉の外ではリーファがずっと部屋に入ろうか入らまいかと逡巡している。あの気配が扉の側に現れてからもうずいぶん経つが、扉が開けられることもましてノックされることもない。そのおかげで私はアルドラと話している間もずっと意識がそちらへ向いていて悉く生返事となってしまっている。話に集中しようとも、耳は勝手に彼女のいる方へと傾けられてしまう。
「……陛下がお開けになられないなら私が代わりに、」
「待てっ!」
「冗談ですよ。私が居ては邪魔でしょう。御武運を願っていますよ。」
クスクスと笑いながらアルドラは扉へと踵を返した。上機嫌に揺れる尻尾を恨みがましく睨む。しかしアルドラが扉を開けた一瞬、彼女の金糸雀色の見えて苛立ちが霧散し、代わりに再び言葉にしがたい思いが去来する。
アルドラが去った後も沈黙を保ったままの扉。どうすることもせずやきもきしていたが、どうせ今日会わないという選択肢はアレンがいる以上私たちに残されていないのだ。咳ばらいをして身だしなみを整え、意を決し扉のノブに手を掛けた。
「リーファ、か。」
扉を引けば、中途半端に手を上げたリーファが目をまん丸にしてこちらを見上げていた。
前回は今回ので最後とか言ってたくせに最終話にならず大変申し訳ございませんでした!
思ったより長くなってしまったので、最終話は二話に分けさせていただきます。次こそは最終話です。たぶん。