ある罪人の死後 その肆
過去話が長くなってスンマセン。いや本当に。
雨が、降っていた。
霧雨が下に敷かれたコンクリートを濡らし、埃の湿ったような臭いが辺りを包む。
「・・・」
「・・・」
その臭いの中に、ラムドレーとリムードは立っていた。
二人は顔には黒い覆面を被っており、手には黒い手袋を嵌めており、体には黒いレインコートを纏っていた。全体的に黒いカラーリングのその服装は、裏路地の影に二人を溶け込ませていた。
その路地裏の端から、リムードは僅かに顔を出し、表道を伺う。そして、顔を出してコンマ二秒も経たぬ内に、再び影の中に身を隠した。
「・・・ふ・・・ふ・・・ん」
向こうから、鼻歌が聞こえてきた。男の声だ。爛れたような低い声が、裏路地の湿っぽい空気を濁らせる。
「・・・んふ・・・ふーん。ふんふーん」
声がだんだんと近づいて来る。それを、二人は息を殺して待っていた。
「ふっふふーん、ふっふふーん、ふっふふー・・・んっ!?」
そして、裏路地を作っている建物の隙間の前に男の横姿が出てきた時、リムードは猫のような俊敏且つ静粛な動きで彼を捕まえ、引きずり込んだ。
「なっ、何をっ」
そこまで言って、男の声は途切れた。そして、声が消えるのと同時に、何かが噴き出すシュルシュルという音が無音の裏路地に響き始めた。
「・・・はい、お仕舞」
リムードが呟く。その目の前に転がっている男の頭には、糸のように細い穴が穿たれていた。同じような細い穴が、リムードの手袋にも開いている。その穴は、彼女が心象を使って男を殺したことを物語っていた。
「・・・」
リムードは雨によって薄まった血溜まりに沈む男のポケットから、茶色い財布を抜き取る。彼女は、そこから赤色のコインを一枚、藍色のコインを四枚抜き取ると、空になった財布を男の骸の上に投げ捨てた。
「・・・」
「・・・」
目的を達成したリムードがラムドレーに無言で目配せをする。そして、二人は静かに裏路地を立ち去った。
「何も殺すことは無かったんじゃないか」
ラムドレーが、アジトにてリムードに語り掛けた。二人の格好は既に黒一色といったものではなく、普通に街に出かける時にするようなものであった。
父の言葉に対し、リムードは頬張っている自作のサンドイッチを嚥下した後、静かに答える。
「アイツは、今まで陸でもない粗悪品を口八丁で客に売っては、高い金を騙し取ってきた糞野郎だ。だから、蘇生代だってたんまり家にあるだろうし、何よりアイツが死んでも誰も悲しまないよ」
そう言ってから、リムードは表情を柔らかくして続けた。
「それより、今日は思ったよりもDPが沢山手に入ったから、久しぶりに二人で外食でもしない?最近、この辺りに新しく出来たレストラン、結構評判が良いみたいだよ」
娘のその言葉に、しかしラムドレーは硬い表情で返した。
「いや、良いよ。私今、そんな気分じゃないんだ」
「・・・じゃあ、今日も家で食べよっか!パパの好きなビーフシチューでも作るよ!楽しみにしててね!」
リムードは、取って付けた様な明るい声でそう言った。
「・・・ああ」
ラムドレーは、力無く頷いた。
リムードが店長を殺したあの日から、既に一週間が経っていた。あの時を境に、リムードは六道組に本格的に入り、その組の仕事の中でターゲットを何人も殺していた。標的となっているのが全員阿漕な商売をしている小悪党であったことも、彼女が躊躇いなく人を殺す理由の一つになっていたかもしれない。しかし、何より一度人を殺したという経験が、彼女が心象を敵に向ける為の踏み台となっているようであった。
ラムドレーは橙に燃える夕空の下、アジトの外で佇んでいた。仕事は既に済んでいた為、このまま家に帰っても構わなかったのだが、娘が既に帰宅して自分を待っているだろうマンションの方に、彼の脚は向かえずにいた。
(・・・私が、あの時リムードを制止していたならば、現状はもっと違っていたかもしれない。・・・私はいつもそうだ。娘を、大事なところで止めてあげることが出来ない)
佇みながら、ラムドレーはそんなことを考えた。と同時に、彼の頭の中で、生前の心中がフラッシュバックする。自己嫌悪が、彼の疲弊した心を包んだ。
「・・・おい。あんた、大丈夫か」
そんな彼に、何者かが声を掛けてきた。その声の方向を向けば、煙草の箱を左手に携えたボスの姿が目に入った。
「・・・」
ボスの言葉に対し、ラムドレーは無言で以て返答した。そんなラムドレーの態度に特に文句を垂れることもなく、ボスは彼の近くに立って、箱から白い煙草を取り出した。
「・・・あんたも吸うか?」
ボスが煙草をラムドレーに差し出し、そんなことを言ってきた。
「いえ、ご遠慮させていただきます」
しかし、ラムドレーはその申し出を断った。彼は元々あまり煙草を吸わなかったし、何よりそのようなことをしてくるボスに対し不信感を抱いたからである。
ボスはリムードが初めてアジトに来た時以降、ラムドレーの前に姿を見せなかった。ダニー曰く、無限大蛇との同盟の為に、色々と奔走しているとのことであった。
「そうか」
ボスは、そんなラムドレーの不信感を知ってか知らずか、それ以上何か言うことも無く、差し出した煙草を自分の口に咥え、ポケットから取り出したライターでその先に火を灯した。
ボスの口から吐き出された白煙が、夕空に溶けていく。煙のきな臭さが、ラムドレーの鼻腔を突いた。
「・・・」
「・・・」
無言がアジトの外を包む。静けさ故か、遠くの烏の鳴き声が、やけに鮮明に聞こえてきた。
(・・・死後の世界にも烏は居るのか)
漂う煙のようにぼんやりとした脳味噌で、ラムドレーはそんなことを考えた。
それから、どれくらい経っただろうか。十分、あるいは五分。正確な時間は分からなかったが、そう長くない時間の後に、ボスが口を開いた。
「・・・済まなかった。あんたの娘を、こんなところに引きずり込んじまって」
紡がれたのは謝罪の言葉であった。そのことにラムドレーは少なからず驚いたが、しかしそれを顔に出すこと無く、淡々と返した。
「・・・貴方が謝ったところで、何の解決にもなりません」
その返答には棘が有った。自分の無力に対する苛立ちも、彼の言葉を尖らせる要因になっていた。
しかし、その言葉に対して、ボスはやはり悪態を吐くこともなしに、続けて言った。
「・・・済まなかった」
再び紡がれた謝罪の言葉に、ラムドレーは更に動揺した。故に、返答を口から出すことは叶わなかった。
そんなラムドレーの沈黙を目前に、ボスは再び煙草を口に付け、紫煙を燻らせる。それから、立ち上っていく煙を眩しそうに見上げながら、ポツリと言った。
「・・・俺ぁ、ここでしか煙草は吸えないんだ。家で吸うと、娘がうるさくてな」
その言葉に、ラムドレーは今までのどの言葉よりも驚いた。
「娘さんがいらっしゃったんですか」
頷くボスを見て、ラムドレーは驚くと共に合点がいった。つまり、ボスがさっきのように、この前のように、自分達を気遣う素振りを見せたのは、娘を想う親の心が理解出来たからであったのだと、ラムドレーは察した。
「俺の娘も、あんたんとこと同じくらいの享年でな。・・・生前、一緒にドライブしてる時に玉突き事故に巻き込まれて、・・・今この世界に居る」
煙草の煙と共にそんな言葉を吐くボス。その瞳は、消えていく煙に自分達を重ね合わせているようであった。
「それは、・・・ご愁傷様です」
「・・・はは、なに、この世界でまた一緒になれたから良いんだよ」
乾いた笑いを零しながら、ボスは言った。それから、煙草の灰を地面に落とし、吸殻を携帯ゴミ箱に入れ、それ胸ポケットに閉まってから、ラムドレーの方を向いた。そして、
「・・・俺は、こんな仕事で娘を養ってる。そのことを娘は知らない。だが、こんな仕事でもやらなきゃ娘共々おまんま喰いっ逸れちまう。・・・本当に済まなかった。アンタの娘を犠牲にするようなことしちまって」
そう言って、ボスは頭を下げた。
そんなボスの姿に、ラムドレーは驚愕のあまり一瞬その呼吸を止めるが、しかし直ぐにその表情を和らげて言った。
「・・・いえ、・・・私も貴方と同じような立場になって、自分の娘と他人の娘を天秤にかけるようなことになったら、・・・迷わず自分の娘をとったでしょう。・・・娘を飢えさせるのは、辛いですから」
その頭に、六道組に入る前の娘の姿が想起される。
「・・・ですから、顔をお上げになって下さい。・・・私は、少なくとも貴方は恨んでませんから」
ラムドレーの言葉を受けて、ボスはゆっくりと頭を上げた。そして、言った。
「・・・そう言って貰えると・・・少し、救われる・・・」
そう言うボスに対し、ラムドレーは笑みを浮かべる。その表情は、死界に来てから浮かべた笑みの中でも、最も穏やかなものであった。
「・・・俺は、・・・本当は真っ当な仕事で娘を養っていきたかったんだが、少しゴタゴタが有った、・・・正確には、有ったらしくてな。・・・とにかく、俺はまともな仕事に就けなくなっちまってた。それで、結果こんな仕事に手ぇ染めてたんだ。・・・もう、戻れないとこまで来ちまったよ。・・・投げ出すには、抱えすぎた」
しばしの沈黙の後、ボスは空を見上げながらそう言った。上に広がる橙色は、既に藍色に変わってきている。気が付けば、かなりの時間二人でそこに居たようであった。
空から目を背けて、ボスはしばらく濡れそぼった地面を見つめる。雨が止んでからしばらく経っていた為に、そこには乾いたコンクリートが広がっていた。
そこから更に目を逸らして、ボスは再びラムドレーを見据えて、こう言った。
「だが、・・・俺はもう駄目だが、あんた達はまだやり直せる。・・・無限大蛇と手を組んで人員が増えれば、あんた達がこの組織に居なきゃいけない理由も無いしな。・・・無限大蛇と手を組んでから稼げるだけ稼いだら、・・・組ぃ抜けてくれて良いぜ」
その言葉に対し、ラムドレーは困ったような笑顔を浮かべて言った。
「・・・お気持ちは嬉しいのですが、・・・しかし、貴方の一存でどうにかなるのでしょうか。無限大蛇と組んでしまえば、貴方は今までよりも地位は低くなるのでは・・・?」
「大丈夫だ。向こうも俺のことは結構高く買ってくれているらしくてよ。それなりのポストを与えてくれるんだとさ」
そう言って、ボスは笑った。今度の笑いは、乾いてはいなかった。
そんなボスに対し、ラムドレーは少し考えた後、こう言った。
「そう言えば、貴方の名前をまだ聞いていませんでした。・・・宜しければ、お伺いしても?」
「・・・イットクだ」
短く、ボス、改めイットクは答えた。
そんなイットクに対し、ラムドレーはこう言った。
「・・・イットクさん。取りあえず、この組に居る間は、貴方の事を全力でサポートさせていただきます。・・・貴方が居なければ、私たちには絶望しか残されないようですから」
「・・・おう。頼りにしてる」
イットクは短くそう返すと、再び煙草を取り出して吸った。昇っていく煙が、藍一色に染まった空に掛かる。そして、その白い靄が消えた時、そこには一番星が輝いていた。
あと3、4話くらい続きます。ほんとスンマセン。




