さかむけって血が出ない割に超痛い
今週は金曜日まで晴れが続くらしいです。最高ですね。
「……ひゅう……ひゅう……はぁー」
血生臭い吐息を吐いて、ダイゴはその場に尻もちをついた。膝が震えて、立っていられなかった。全身にまるで錘でも付いているかのように、動作一つするだけでも辛い。悪寒もしていた。日陰であるからとか、そういった理由では説明が付かないほどの寒さが、彼を取り巻いていた。
(あぁ、心象切らねえと)
少年が目を閉じてからも、依然として力は溢れているような感じはあった。それを使うためのスタミナは、もう底を尽きてはいたが。それでも取りあえず、心象を切る。想像力は何とかまだ保てていた。
(……心象の使いすぎで死ぬのは回避できたみてぇだが……、傷負いすぎちまったなぁ。血が……足りねえ気がすらぁ……)
朦朧とした思考回路で、そのようなことを考える。その最中にも、彼の体から赤い液体が抜け、その全身は白くなっている。唇も紫に近くなっていた。とはいえ、頬や胸などに付いた薄い切り傷は、既に塞がってはいたが。
(……これから、どうすっか……)
耳を押えながら、そんなことを考える。既に、片耳はごうごうと血の流音が響いてくるばかりで、他は何も聞こえなくなっていた。これでは、これからの日常生活に少なからず支障をきたすだろう。そう考えた時、ダイゴはちらりと少年を見た。意識は無いまでもしっかりと呼吸しているその体は、綺麗なままだ。どこにも欠損はない。ダイゴから、片耳を奪ったのにも関わらず。
(まあ、いっか)
しかし、それでもダイゴは横たわってる少年の、片耳をもごうとは考えなかった。そんな気力は残ってないし、そんな勇気も端から無かった。のうのうと生きてきたのだ。むしろ、そんな勇気が培われる方がおかしい。一人でそんなことを思いながら、ダイゴは呟いた。
「これ、治んのかな」
見たところ、死後の世界の技術はかなり進歩している様に思われる。ここならば、自分の耳を繋いで聴力を復活させてくれる何かが、ひょっとすると存在するかもしれない。そうダイゴは感じた。
(まあ、何にせよ死んだらどうにもなんねーや。取りあえず、生き残ることを考えっか。あと、こいつを獄犬に引き渡すことも)
緑髪に目をやって、そんなことを考えた後、うっすらと響いてくる街の喧騒の方へ、ダイゴは顔を向ける。あそこに出れば、この二つの目的を同時に達成できるかもしれない。そう考えた。
「貴様」
その時、喧騒を向いているダイゴの、その後ろの方から、男の声が聞こえた。
「!?」
後ろにも前にも、ほぼ満遍無く彼の血が広がっている。故に、横道などから誰かが来れば、その人が血だまりを踏んだ時に水音が発生して、気付くはずだ。しかし、そんな音は全く聞こえなかった。その事実が、言いようのない不安をダイゴに与える。しかし、それでも勇気を絞って、彼は振り向いた。
「何故、その男に情けをかけた」
そこには、藍色の長髪をした、身長2mはありそうな大男がいた。服装は、上が黒い着物のようなもので、下は白い袴のようなものであった。それら一式は、しかし和風では無い。かといって、ならばどこの国のものだと聞かれると、明確な回答をすることは出来ない。服装を見て、ダイゴがそんなことを考えていると、それを纏っている男が口を開いた。
「貴様なら、さっきの頭突きで男の頭蓋を砕けた筈だ。硬貨で刃ではなく、男の体を狙っていれば、その心臓を貫けた筈だ。何故それをしなかった」
衝撃であった。未知との遭遇であった。いきなり現れたこの男に、よもやそのようなことを言われるなど、ダイゴは夢にも思わなかった。
それでも、彼は無い知恵を一所懸命振り絞って考え、絶えかけの息交じりの言葉を紡いだ。
「……そんなことしたら、そのワカメが死んじまうじゃないッスか。……俺はそいつと喧嘩はしたけど、殺しあいをした覚えはないッスよ」
そもそも、殺し合いとは一体どういうものなのか。それすらダイゴには分からない。殺し合っている最中に、どのような感情を相手にぶつければ良いのか、ダイゴには分からない。相手が自分に対して殺意を向けたとして、その上で手段を講じてきたとして、その相手に対してどうして殺意でもって応じなければいけないのかも、ダイゴには分からない。勿論、ダイゴは殺し合いという言葉の意味は知っている。何故なら、辞書を読んだことがあるからだ。また、殺し合いというものがどういう光景なのかも、彼は知っている。何故なら、漫画を読んだことがあるからだ。しかし、その紙面上の絵や文字の配列と、現在生きている世界とは、ダイゴの中では上手く結びつかなかった。何故なら、紙面の中ほど、彼の居た日常では、殺し合いは頻繁には起こらなかったからだ。全くと言っていいほど、慣れ親しんでなかったからだ。故に、彼は殺し合いが分からないし、殺害を実行できない。そういう『彼』が形成される日常の中を、幸運なダイゴは生きることが出来たから。
そんな彼の、ある意味でのこれまでの集大成ともいえる言葉に、男は顔をしかめた。露骨に、その表情に侮蔑を滲ませた。
「下らん。そこでゴミのように死んでいろ」
そう言うと、彼はダイゴに向かって、その大きな掌をかざした。
「ゴブァッ!?」
刹那、ダイゴの全身の傷口が開き、大量の血が噴き出た。今まで辛うじて流れ切っていなかった全身の血液が、みるみるうちに広がった。彼の隣に居る少年も含んだ周りの世界が、一斉に赤く染まった。壁も地面も己の体も。青いのは空だけであった。もっとも、その色すら当のダイゴには赤に見えたが。
鮮血に染まった目を天に向けながら、口を開けて動きを止めているダイゴを、男は一瞥もせずに去った。その背中に目をやるよりも早く、彼の体は力を失って、血の池に落ちた。
「…………あ…………あ」
血の味はしない。目も見えなくなってきている。音は既に聞こえない。臭いは微かに鉄の香りを拾うばかり。肌もその機能を失っている。
「……あ…………」
眠い。昏い。世界を食む冷たい黒。ダイゴの中に夜が来ていた。子どもがその闇に背筋を寒くするように、彼も迫りくる暗黒に恐怖を感じていた。
そして、全てが無に帰した。
「濃い血の臭いがしたと思ってきてみれば、どうやらドンピシャだったようだね~」
「ニゾウさん! このままじゃこの坊主頭の子の命が危ないわ! あまり一般人相手に使うべきじゃないんだけど、捕縛機を使いましょう!」
「……どうやら、捕縛機は二つ必要みたいだよ~」
「……!? この緑髪の子……! 分かったわ!! じゃあ早くこの子達二人を送りましょう! 獄番に!」
第一章・黄泉 終
そう言えば次から第二章ですね。ところで燕が低く飛ぶと雨が降るって言われてますが、あれって何でなんですかね。