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死後(デッドイン)  作者: 糞袋
第一章・黄泉
6/113

ハゲとワカメの喧嘩の図

集中講義に気を取られていたら小説の事を忘れていました。今は反省しています。

少年はそう言ってダイゴに前傾姿勢で駆け寄り、右手に持ったナイフで突きを繰り出す。

「どわあっ!?」

 ダイゴはそれをギリギリでかわすが、少年はそれを予想していたかのように、左手のナイフを逆手に持ち変えて、素早く追撃する。

「ふおぉっ!?」

 情けない声をあげながらも、ダイゴはそれも回避しようと身を捩る。しかし、ここは狭い裏路地の中。大柄なダイゴは身動きが満足に出来ず、右肩を少し裂かれた。

「ぐっ……!」

 顔を歪めながら肩を抑え、後ろに跳ぶ。傷口を抑える指の隙間から、細い血の滝が出現した。

 そんなダイゴの姿を見て、少年は不満気に口元を歪める。

「チッ、デケェ図体のくせにチョコマカ動きやがってよぉ……」

 当たり前、と言うべきか、その表情からは人を傷付けたことに対する、良心の呵責は見られない。

 そんな少年に対し、ダイゴは呻きに似たトーンの声で、問うた。

「テメェ、何でこんなことしやがる……」

「ああ?」

 ダイゴの問いに少年は不機嫌そうに声を上げた後、忌々しげに顔を歪ませて答えた。

「んなもん、テメェからDPを奪うために決まってんだろうが」

その言葉の内容に、ダイゴは目を丸くする。エンディング以外平和な生前をのうのうと送っていたダイゴにとって、金の為に人を殺すという行為選択が、理解できなかったからだ。

 故に、ダイゴは次の瞬間、丸くした目を細め、眉の間に皺を寄せて、語気を怒らせながら、目の前の少年に対して言った。

「テメェ……!んなことして良いと思ってんのか……! 人ぶっ殺して身に着けた金を、お天道様の下で堂々と使えんのかよ……!!」

 のうのうと生きていたからこそ、その言葉には生前の彼の常識が、倫理観が、絡み付いていた。しかし、そんなダイゴの物言いに、少年はこれっぽっちも悔い改める素振りを見せない。ただ、不愉快そうに眉を上げるだけだ。

「知るか!! いつの世だって弱肉強食だ!! そこに法が絡んで罪と見なされるかどうかしか、トカゲが天下を支配してた時代と比べて違いはねえ!! そして、罪っていう概念は俺にとっちゃどうでもいい!! 俺は俺のやりてえようにやる!! テメエをぶっ殺して、DPぶん取って、美味い飯食って温かい布団で寝るだけだ!!」

「それじゃあテメェ、猿と何ら変わらねえじゃねえかよ!」

「だったら俺は猿で構わねえ! 能書き垂れるしか知恵のねえ人間よか、よっぽどマシだ!!」

 そう言って少年は、いきなりダイゴの左胸に向かってナイフを投げた。これを直に喰らえば、命が危ない。それだけはダイゴにも分かった。

「っ!!」

 かといって、至近距離で放たれたナイフを避けるのは、ダイゴには到底無理だった。しかし、それでもその刃をモロに喰らう訳にはいかない。そう考えたダイゴは、咄嗟に左手で胸を庇った。

 ズチャッ! 肉を搔き分け、血管を絶ち、骨を穿つ。そんな三工程が一拍子で行われたことを示す刺突音をたてながら、ナイフは彼の左手を深々と指し貫いた。

「うぐごおおおおおお!!」

 あまりの激痛に、ダイゴは慟哭する。小学校の頃、工作の時間に鋏で自分の皮を間違えて切ってしまうという経験はあったが、流石に掌を刃で以て貫通するというようなバイオレンスな経験は流石に無かった。

(いっでえええ……! クッソ、何だってこんな目に……!)

 今まで経験したことの無いような痛みに苦しみ悶えるダイゴ。そんなダイゴの様子を見て、少年は唇の端を吊り上げる。

「苦しそうだなあオイ?待ってろ、今楽にしてやらぁ」

 そう言うと、少年は手元に残った一本のナイフを両手に持ち、ダイゴに止めを刺そうと突っ込んで来た。

ダイゴの視界に、彼に引導を渡そうとしている少年が映る。このままでは殺される。明確な死の予感がダイゴの脳裏をよぎった。

「う……ぐううううううおおおおおおおお!!!」

 刹那、ダイゴは獣の様に叫んだ。己に発破をかけるためである。そしてそれは、ひとまず成功した。大声によってアドレナリンが分泌したのだろう。彼の中で蠢く激痛が和らいだのだ。

(動ける!)

 理屈でなく、ただ本能でそう感じたダイゴは、少年の突進を間一髪で躱した。

「とでも思ってんのか?」

 しかし、ダイゴの横を通り過ぎる直前、少年が姿勢を低くする。その行動の意図をダイゴが解するよりも先に、彼は掌を地面に着けて、足払いを放った。

「ぐっ!?」

 脚の後ろに鋭い一撃を喰らい、思わずダイゴは倒れ込む。そんなダイゴに、少年が刃を突き立てようと、ナイフを持った右手を振り下ろした。

「糞がぁ!」

 しかしダイゴは、その刃を間一髪のところで防いだ。現在自分の腕に突き刺さっている、ナイフの柄によって。衝突した弾みで、腕の刃が更に深く潜り込む。血が噴き出て、痛みが脳を支配した。だが、そこで動きを止めていたのでは、少年に今度こそ止めを刺される。そう考えたダイゴは、バランスを崩した体勢のままで、握り拳の指の第二関節部分で、少年の脛を思いっきり殴った。

「ぐっ!?」

 鋭い痛みに、少年が怯む。その隙にダイゴは立ち上がると、少年に向かって右のストレートを繰り出した。腰は入っておらず、痛みのせいで若干動きも鈍い。それでも、ダイゴが祖母の猛攻を耐えるために作り上げた、鍛え上げられた肉体から放たれた拳は、彼の前に居る少年のような細い体を、殴り倒す程度の威力はしっかりと秘めていた。

「おせえよ!」

 しかし、細身の少年はダイゴの全力のストレートを、左手でぱしりと受け止めた。ダイゴは目を見開き、汗を浮かばせる。その掌から伝わってくる握力は、到底目の前の少年の肉体からは想像できないものであったからだ。

(そういやあ、親友さんが言ってたな。死者の肉体は鍛えても変化しにくいって)

 ということはつまり、目前の少年は一見痩身に見えるが、その実凄まじい鍛錬成果を秘めているということか。そうダイゴが考えていると、少年が右手に持ったナイフを振り上げ、ダイゴの右腕に突き立てようとした。

「させねえ!!」

 ダイゴはそう言って、少年の腹に前蹴りを叩き込む。しかし、その足先には殆ど衝撃は無かった。接触する直前、少年は後ろに跳んで、衝撃を和らげたのだ。

「器用なやつだな、テメエ」

「踏んできた場数が違ぇよ、ボケナス」

 そう言うと、少年は再び足に力を籠めて、フェンシングの突きの要領で、ナイフをダイゴの方へ伸ばす。しかし、その突きは右手のみで行われていたため、些か不安定であった。それが幸いした。ダイゴは腰を捻って勢いを作り出し、今度は拳を天高く突き上げた。

「大山大悟を、ナメんじゃねえええええええええ!!!」

 渾身のアッパーカットが、運よく少年の右手を捉える。力の入る角度も良かったのだろう。ダイゴの拳は、少年の指々にめり込んで、激痛を与えていた。

「ぐあっ……!」

 痛みに耐えかね、少年はナイフから手を離す。獰猛な光を放つ刃は、天高く弾き上げられて日の光を浴びた。

「いってぇ……!」

 右手を押えて呻く少年に、ダイゴは言った。

「いてぇのはお互い様だろうがよ……。んなことより、とっとと自首しやがれ。死界は獄犬っていう組織もあるみたいだしな」

 何なら今から死者の家に行って、獄犬の職員を連れて来てやろうか。そうダイゴが続けようとしたときだった。

「何勝った気でいんだよ。慢心野郎」

 少年がそう言って、嬉々とした表情をダイゴに向けた。

「え」

  その笑顔の真意が読み取れず、一言呟いた瞬間。宙にあるナイフが不自然な軌道を描いて急降下し、ダイゴの左肩を深く裂いた。若干骨が見えている裂傷から、噴水の様に鮮血が巻き上がる。

「あっ……が……!」

 ダイゴは苦痛と驚愕で顔を歪め、肩を押える。しかし、指の隙間から何本もの細い赤い滝が出現する。対して、少年は心底おかしそうに哄笑した。

「ギャハハハハハ!! こりゃあ傑作だぁ! 油断した直後に、肩ぶっ裂かれるなんてよ!!」

 けたたましい笑い声が、痛みで朦朧としたダイゴの脳内に反響する。しかし現在、その反響はダイゴにとって取るに足りないものであった。それ以上にダイゴの意識を引き付けるものが、彼の眼前に存在していたからである。

「何だよ……それ」

 ダイゴは、戸惑いながら叫んだ。

「何で、何でナイフが浮いてんだよ!!」

 笑う少年の横には、血に濡れて、どろりと赤く光るナイフが浮かんでいた。

「何でか? 決まってんだろうが、心象だよ」

 ダイゴの叫びを鼻で笑い、少年は言った。

「俺の心象は『操作(コントロール)』。自分が物体に対して意識を向ければ、それを触れることなく動かせるってもんだ。こんな風によ」

 少年がそう言うと、ダイゴの左腕に刺さっているナイフが、まるで自我を持っているかのようにひとりでに抜けた。ごぽっ、という水温と共に、ダイゴの左腕から鮮血が溢れる。また一つ、押えねばならない血の間欠泉が増えてしまった。

「畜生……」

 全身から血を流しながら、憎々しげにそう漏らすダイゴに、少年は己の周りに浮いている日本のナイフを見ながら、言った。

「つっても、力不足で今のところはこの二本のナイフしか操れねぇがな」

「……力不足? っつー事は、心象も筋肉と同じように、鍛えれば強くなるってことか」

 肩口を押えながらそんなことを問い掛けるダイゴを、少年は馬鹿にしたような目で見る。

「当たり前だろうが、まさかそんなことも分からねえぐらい馬鹿なのかよテメェは」

 どうやら、死後の世界の住人にとって、心象が鍛えれば強くなるということは、常識らしい。また一つ知識が増えたダイゴは、笑った。

「そうだよ。俺は馬鹿だ」

 その茶色い瞳が、闘志で煌めいた。

「今まで自分も心象を使えることを、忘れちまうくらいにな!」

 ダイゴはファイティングポーズを取り、心象の認識を始めた。高ぶった脳内で、想像する。

(俺の心象は強力! イメージすんのは、あの野郎をぶっ飛ばせるぐれえ強い俺だ!!)

 刹那、彼の認識は終了した。死が近付いている極限状態は、彼の想像力を高めたようだ。

(雰囲気が変わったな……。心象を発動しやがったか……。)

 少年はダイゴの雰囲気の変化を敏感に感じとり、距離を取る。場数を踏む中で、そういった勘も培われていたのだろう。今のダイゴに近距離戦闘を挑まれると危ないという、そんな勘が。

「おいワカメ野郎。テメェも男なら、喧嘩は己の拳でしやがれ」

 だが、それをダイゴは許さない。すかさず心象の効果で強化された脚力で飛びかかり、一気に少年との距離を潰す。その速度に、一瞬少年は目を見張る。しかし、直ぐに不敵な表情に戻ると、こう言った。

「テメェの馬鹿な喧嘩論なんざ知るかよ。喧嘩ってのは自分の土俵でやるもんだ!」

 瞬間、彼は二本のナイフに己の周りを、高速で回転させた。衛星のような軌道を描く紅の刃光が、ダイゴの視界に映り込む。

「あぶねっ!!」

 その回転を避けるため、ダイゴはバックステップで距離を取る。しかし、そのカッターシャツは一文字に裂け、うっすらと赤が滲んでいた。

(薄皮一枚持ってかれたか。まあ、臓物ごとぶった切られるよりは、何ぼかマシだがよ)

 頭の中でそんなことを考えながら、ダイゴは前を向く。その視界に、笑みを浮かべた少年が映った。

「そこは俺の土俵だぜ」

 瞬間、彼の周りに浮いていたナイフが、二本ともダイゴに迫った。その軌道はどちらも不規則で、速度は高速だ。そんな二つの刃を前に、ダイゴは考えた。

(さっきまでの俺なら、回避すんのは無理だ。だが、心象を発動した今なら!)

 瞬間、ダイゴはその場で渾身の力を両足に込め、凄まじい勢いで跳躍した。もぬけの殻になった空間を、ナイフが抉る。しかし、直ぐにその軌道は修正されて、今度は上空目掛けて刃は飛んだ。風切り音が闇に響く。

「でりゃあ!!」

 だが、空中で物言わぬ的になってやるほど、ダイゴは死に急いではいなかった。彼は路地裏の壁を蹴り、勢いを付けて少年の前に降り立ったのである。しっかりと、ナイフの横を通り過ぎながら。

「ここは俺の土俵、ってことで良いのか?」

 拳を握りしめて、ダイゴが言う。しかし、その顔面目掛けて、少年は先程の足払いの時に地面から拾っていた小石を、全力で投げつけた。

「あでっ!?」

 ゴッ、という音と共に、ダイゴの鼻から鮮血が噴き出る。今の一撃で鼻が折れたらしい。土俵がどうのこうのぺちゃくちゃ喋って格好付けるからこうなるのだ馬鹿者。

「ご……のぉぉ!!」

 しかし、ダイゴだって負けてはいない。鼻血で濁った声をあげながら、両足に力を込めて、少年目掛けて飛んだのだ。坊主頭が、少年の顔面に凄まじい勢いで迫る。

「ちぃっ!!」

 顔で受け止めるのは、流石に危険だと判断したのだろう。少年は身を捩り、何とかその頭突きを回避しようとした。だが、天は彼に味方しなかった。必死の回避行動空しく、ダイゴの坊主頭が少年の肩にめり込んだのだ。

 ベキャッ、という骨の砕ける音が響く。走る激痛に、少年が表情を歪める。が。

「それっが……、何だってんだクソハゲェッ!!」

 骨は砕けても、彼の闘争心は依然として健やかであった。咆哮と共に、先程まで滞空していたナイフが一本軌道を変え、ダイゴの背に迫る。完全に死角からの攻撃であったため、その血濡れの刃はダイゴの左肩で、再び自身を赤く塗り直した。

「ぐうっ……!! っの、野郎!!」

 肩に潜り込んだ金属の感触に、しかしダイゴは怯まない。右手で素早く、引っこ抜く。血が噴き出るが、彼にとって問題では無かった。それどころではなかった。

 そんなダイゴを前に、少年は己の肩を押えながら、不敵に笑う。

「ズタズタの左肩に追撃喰らって、その気合い。中々テメェ、やるじゃねえか。……だが、相手が悪かったなぁ!」

 刹那、先程から滞空していた二本目のナイフが、ダイゴの右手目掛けて飛来した。

「うぉっと!?」

 しかし、今度の刃は運悪く、影のと影の隙間、つまり日の当たる部分に入ってしまった。赤い刃から跳ね返った日光が、ダイゴの目に伝わる。刹那、彼は辛うじてナイフの存在を感知し、右手に持っている得物で、その刃を防いだ。

 ガキィン。金属音と血液を飛び散らせながら、刃がぶつかる。しかし、天というのはどうやら公平なようだ。咄嗟の事で柄を握る力が弱まったのか、ダイゴの手元からナイフが落ちた。

「やべっ!」

 思わずそんなことを口走る。しかし、何時までも落ちたナイフを思考と視界に入れている訳には行かなかった。手の中にあったナイフを弾き出した得物が、今度は少年の掌に収まったからである。

「終いだ!」

 間髪入れずに、鋭い刃先がダイゴの頭部目掛けて突き出された。赤い血の筋が直線を描く。

「終わるかぁ!」

 咄嗟に首を左に傾け、深紅の直線上から逃れる。だが、完全に躱しきることは出来なかったようだ。既に傷塗れのダイゴの頬に、新しい痕跡が刻まれる。

 そうはいっても、致命傷は免れた。ここからどう逆転するべきか。漠然と考えるダイゴに、しかし少年は言い放った。

「終いだっつってんだろ!!」

 掌の中のナイフが、独りでにくるりと回る。心象を用いて初めて可能になる様な動作が生み出したのは、逆手持ちというスタイルであった。突きのために伸びきった腕が、そのまま振り下ろしのための準備体勢と化す。刃の光が、今度はダイゴの正中線を切り裂かんと、下に伸びた。

「うおぉっ!!」

 だが、それでもダイゴは、終了の宣告に対してNOを突きつける。回避したままの体勢で腰を落とし、そのまま脚に力を込めて、後ろに跳んだのだ。その一連の動作は、心象を用いたおかげで、ナイフの一閃を回避するに足る速さに達していた。

 次の瞬間、背後で停止していた刃に、ダイゴは自らの左耳をめり込ませていた。

(え)

 何が何だか、分からなかった。ただ、耳に伝わる冷たさと、耳から生じる熱さだけが、彼の触覚に訴えかけていた。先程弾き飛ばされていたナイフが、少年の心象によって、刃を己に向けた状態で空中で停止している、などという事実を呑みこむ前に。


 ダイゴの左耳は、モザイク状の影の中に落ちた。


 轟音という名の無音。感覚がないという苦痛。局所的な非日常の中で、ダイゴは己の耳の不在を実感した。

「……っ!!」

 溢れ出す鮮血を、無言で押さえつける。身体の欠損。五体満足で生まれ、それから平穏というぬるま湯に浸かってきたダイゴにとって、その衝撃はあまりにも大きく。その痛みはあまりにも濃く。

「それがどーしたクソワカメェッ!!」

 それでも、彼の中に残っている全てを削り取るには、及ばなかった。

「ぬがあぁ!!」

 叫びによって生じた熱を吸った脚を、全力で突き出す。鋭い前蹴りであった。心象も相まって強化されたその攻撃が、少年の腹に伸びる。

「ちぃっ!」

 しかし、それに少年はバックステップを合わせた。ダイゴの靴先が、少年の腹に触れる。しかし、それは僅かにめり込むばかりで、何も傷付けることはなかった。少年の背後にナイフは浮いていない。無償で地面に降り立ち、彼は汗を流しながらも口角を吊り上げる。

「本当に見上げた根性だ。場数踏んでなけりゃ、今の蹴りで沈んでたぜ」

「……グ……ヘヘ……。場数なら、俺だって踏んでるよ。……テメェの凶器攻撃よか、婆ちゃんのプロレス技の方がよっぽど危険だぜ……」

 全身から赤い汁を垂らしながら、ダイゴは笑う。その笑みは、不敵というにはあまりにも切羽詰まったものであった。

 そんなダイゴに対し、少年は口を開いた。

「まだ軽口が叩ける余裕があんのか。呆れた頑丈さだ。だが、テメェがどんだけタフだろうと、根性があろうと、最後に死んで負ければ何の意味もねえよ。喧嘩ってのは、闘争ってのは、とどのつまり結果が全てだからな。……じゃあ死ねよ。バカハゲ」

 ナイフが、弧を描いてダイゴの頭に飛ぶ。このままでは、彼の脳味噌はその刃に貫かれてしまうだろう。しかしこの時、当の脳味噌は、出血多量が原因で、その働きを鈍化していた。故に、ダイゴは迫りくるナイフに対し、即座に反応することは出来なかった。彼は回避という行動を、選択することが出来なかったのだ。

 

 ずるり。


「あ?」

 影の中に、声が響く。その主は緑髪の少年だ。彼が下に目をやれば、そこには血だまりがあった。現在までにダイゴが垂れ流してきた、血液の集合だ。さっきのずるり、という音は、彼の脚がその血液で僅かに滑った音だ。

 しかし、そんなことは少年にとってはどうでも良かった。彼にとって、この瞬間もっとも重大なことは、彼の意識が血だまりによって、ほんの一瞬だが削がれてしまったことであった。そのせいで、心象によって操作していたナイフが、動きに僅かな支障をきたすと決定してしまったことだ。

 

 ぐさり。


 何か柔らかいものを、鋭いものが貫いた音がした。少年が血だまりから急いで目をやれば、そこには。

「ひりひりへえふ……!!」

 頭蓋では無く、頬肉を。脳ではなく、口腔を貫かれたダイゴが、血を吐き垂らしながら生きていた。その様子に少年が息を呑む前に、坊主頭の口の中から、金属の砕ける音が響く。心象によって強化された顎で、ナイフの刃を噛み砕いたのだ。

「べっ!!」

 ダイゴの口から吐き出された赤く汚れた破片の集合が、べちゃりという水音と共に地面に落ちる。右頬に穴を開け、そこから血を流しながら、彼は少年を睨めつけた。その眼には、依然として闘志が燃えている。

 その眼光を受けて、少年は額に汗を浮かべた。だが、それでも彼の瞳は、敵のそれと同じように、爛々と燃えている。

「……確かに、殺しきれはしなかった。だが、それでも俺が優位なことに変わりはねえ。だって、俺にはまだナイフが一本残ってるからよ。殆ど死に体のテメェを殺すには、十分だぜ」

 少年の言う通りであった。現在、少年とダイゴの距離は5メートル程。ナイフを飛ばせる少年にとっては取るに足らない距離だが、血液不足でふらふらのダイゴにとって、その距離は天竺への道の様に果てしなく感じられた。

「テメェの心象が飛び道具を生み出すようなもんだったなら話は別だがよ。『喧嘩は拳でやるもんだ』なんて馬鹿な戦闘哲学唱えてるテメェの心象じゃ、んなことは出来ねえだろ」

「クソ……!」

 少年の言葉に、ダイゴは歯噛みした。彼の心象は『強力』であり、効果は単なる身体強化。死後、彼が配られたカードは、この状況を打破するための切り札とはならない。

 どうする。ダイゴは、血の不足している脳味噌で、ぼんやりと考えた。しかし、案は出ない。5メートルを一気に走り抜ける力は、ぎりぎり残ってはいた。だが、駆け抜けている最中に、少年のナイフで殺されてしまうのは、目に見えている。完全に八方ふさがりであった。深い絶望の中で、ダイゴは無意識の内に、手に付いている血をズボンで拭った。

「……ん?」

 その時、ダイゴの手が硬いものに触れた。瞬間、彼の脳に閃光が瞬いた。

(一か八か)

 不安定な閃光に全てを賭ける中で、少年がダイゴに言う。

「じゃあなハゲ。テメェの喧嘩は馬鹿だが、テメェとの喧嘩は燃えたぜ」

 ナイフが浮き上がり、その刃先がダイゴの方を向く。その金属光沢は、いつぞやのギロチンと同じ意味を含んでいる様にも見えた。

「……俺の喧嘩は、馬鹿か。……なあオイ」

 ダイゴが口を開くと同時に、ナイフが彼の首を狙って飛ぶ。


「“愚者にも一得”って知ってっか」

 

 己の熱い血を纏い、冷たい光を放ちながら向かってくる刃に、ダイゴはポケットの中にあるメダルを、全力で投げつけた。


 ぱんっ。


 そのメダルは鈍色の光条と化し、迫りくる断頭の刃を粉々に打ち砕いた。

「な……!?」

 少年は信じられないとでも言うように、目を見開く。たった今この瞬間をもって、彼の得物は消失した。と同時に、この闘争における彼の優位性も無くなった。

 そんな少年に対して、頬に開いた穴から血を流しながら、ダイゴが問う。

「……で、どうすんだ? 武器が無くなったみてぇだけど、降参するか?」

 ダイゴの言葉に、我に返ったように少年がこちらを向いた。こちらを向いて、一番最初に彼がしたことは、

「……武器が無くなったなんて過程、知らねえなぁ」

 両拳を胸の前に上げて、ファイティングポーズを取ることであった。少年の得物は、そして土俵は、たった今ダイゴのそれと一致したらしい。

「……テメェ、なかなか漢じゃねぇか」

 漏れ出す血液のせいで若干不明瞭な滑舌で、ダイゴは言葉を紡ぐ。その顔には、少年に対する敬意が浮かんでいた。

 次の瞬間、ダイゴは地面を蹴り、少年目掛けて駆け出した。

「うおらああああああああああ!!」

 気合を発しながら少年の目前に一気に迫ると、その加速した全身のてっぺん、つまり己の頭蓋を、標的の頭目掛けて叩き付けた。

 

 ゴッ、という固い音が裏路地に木霊する。ワンテンポ遅れて、少年が地面に倒れ伏す音が響いた。血で汚れた地面に横たわる少年を見下ろして、ダイゴは肩で息をしながら言った。

「……ぜぇ……はぁ……、どうよ、俺の馬鹿な戦闘哲学書の威力は」


 そう言うダイゴの目前で、少年がパチリと目を開いた。


 ダイゴは飛び出るんじゃないかというぐらい目をかっぴらいて驚愕するが、それ以上に驚いている様子で少年が口を開く。

「テメェ……! 何で、手加減なんか……!?」

「アレェ!? 気絶するくらいには力を込めた筈なのに!?」

 少年の顔に、呆れが混ざった。

「……テメェ、さては素人だな……。だから加減する際も、馬鹿みてぇに力を抜く……」

「……仕方ねえだろ、素人なんだからよ。……って、痛っ!! 落ち着いたせいで、全身から今までの痛みが一気に湧き上がってきやがった!!」

 痛い痛いと、耳を押えながら喚くダイゴ。その全身には大量の傷があり、見るも無残だ。

「……でもまあ、結果的に敗けたのは俺だ。……悔しいし、認めたくはねぇ。体が動くんなら、今すぐにでもテメェに飛び掛かりたいが……脳が揺れちまって………。……でも……こんな……過程……な……ら……」

 己よりも満身創痍なダイゴを見ながらそんなことを呟いた後、少年はとうとう意識を失った。その口元は、どこか笑っているようであった。


 


ところでもう少しでゴールデンウィークですね。

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