ここは命の停留所
昨日献血に行ったんですがその際に健康診断と称して抜かれた静脈血のあのどす黒さが忘れられません。
「……んご?」
黒い部屋の中の、これまた黒いベッドの上で、大悟は目を覚ました。目を開いたばかりのはずなのに、その視界は明瞭だ。それが、彼が今まで熟睡していたという訳ではないことを示していた。
体を起こし、なんとなく自分の服装を確認する。その身にはどこにも血の付いていない白いカッターシャツと、黒い学生ズボンが纏われていた。その今まで通りの服装と、今までとは全く異なる空間が、先程の出来事が夢では無いことを物語っていた。
「……俺、死んだのか」
大悟の口から言葉が漏れる。と同時に、沸々と死の実感と、それに伴うショックが彼を包もうとした。
「そうです」
しかし、それよりも早く、彼の鼓膜は誰かの声を聞いた。盛大に驚いた大悟は、ベッドから転がり落ちてそのハゲ頭を床にぶつけた。髪が短すぎるため、衝撃が直に肌に伝わる。
「あだんっ!?」
痛みと同時に、異臭が鼻を抜けたような気がした。
「落ち着いてください」
じたばたと、激痛にのたうち回っていると、何者かの声が聞こえてきた。大悟は自分の心臓が跳ね上がるのを感じながらも、頭を擦りながら立ち上がる。その顔は、みっともない姿を誰かに見られてしまったのを恥ずかしく思ったのか、赤く染まっていた。その朱が差した顔を、大悟は声のした方へと向ける。
そこには、身長150㎝前半程に見える、小柄なショートヘアの少女のスーツ姿があった。身長のせいか、その身目形は幼く映る。しかし、大悟は彼女の体格よりも、頭部に意識を集中させて、同時に言葉を失っていた。
「……私の顔に、何か付いていますか」
「へっ!? い、いや別に!!」
急いで首を横に振る。しかし、その視線は頭が左右に揺れている中でも、少女の頭に釘付けになっていた。
(……綺麗な髪色だな)
少女の髪は、何の混じりっ気もない純粋な空色だった。その透き通るような髪色に目を奪われながら、大悟はただ単にそんなことを思った。
「そうですか」
大悟の語彙の少ない評価など知る由もない少女は、ただ一言述べるだけであった。追及の様子はない。そんな少女にホッとしながら、大悟は気になっていたことを口に出した。
「あっ、あのっ、ここは一体何処ッスか!? ま、まさか地獄じゃあ……」
そこまで言って顔を青くする大悟。自分で言っていて怖くなったのだ。何とも情けない話である。非常に滑稽な大悟に対し、少女は淡々と言った。
「安心して下さい。ここは地獄ではありません。とはいえ、貴方の御国でいうところの極楽でもありませんが」
「え? じゃ、じゃあここは一体何処なんで?」
大悟は現代っ子のくせして、割と迷信深い死生観を持っていた。故に、今の少女の言葉に対し疑問を抱き、問いかける。
すると、少女は瞬き一つせずに口を開いた。
「ここは死後の世界、『死界』です」
その言葉に、大悟は一瞬呆然とするが、直ぐに自我を取り戻して言った。
「で、でっどわーるど? ……何か、想像してたのと大分違うんスけど」
「それはそうです。だって死後の世界のことを現世に正しく伝えた人なんて、有史以来一人も居ませんから」
少女は続けた。
「ですから、大悟さんには今私達の居るこの施設の中で、死界についての説明を受けてもらいます」
「はぇ? この『施設』ッスか?」
大悟は首を傾げて辺りを見回す。成る程、言われてみればこの真っ黒な部屋も施設の一つに見えなくもなくもない。取りあえずそこで一回思考を停止してから、大悟は聞き手に徹することにした。
突然黙りこくった大悟に対しても、少女は別段リアクションを取ることもなく、言葉を連ねた。
「この施設の名前は『死者の家』と言って、貴方の様な死者がまず一番始めに送られてくるところです。死者に対する市民権の発行や情報の提供、就職先の案内などもやっています。他にも死者の情報をデータ化し保管する役目も担っていますが、それについては今回の説明では触れませんのでご了承ください」
「あ、ハイ」
取りあえず相槌を打つ大悟。あまりよく分かってはいなかったが、ここで少女の話を止めるのは些か申し訳ないように感じた。そんな大悟に対し、少女が続ける。
「さて、この施設に関する説明はここまでにして、次は死界のシステムに関する説明といきましょう。この世界では貴方が暮らしていた現世と同じように死者達がそれぞれ勤労をしており、それにより賃金を得て生活しています。その賃金と言うのがこちらです」
そう言って、少女はポケットの中から、何やら青い光を放つコイン状の物体を取り出した。
「はぇー、すっごくキレイ……」
少女の髪の色よりも、その光の色は濃く、どこか力強かった。素直な感想を漏らす大悟に、少女は物体についての説明を始める。
「これが死界における通貨、DPです。これを用いることで、死界での物品の購入や、公共サービスの享受が出来ます。しかし、DPの真価はそれらとは別にあります」
「別に?」
「このDPを一億 P貯めると、現世への転生の権利を得ることが出来るんです」
「ウェイっ!? それは本当ッスか!?」
目を丸くする。まさか転生という選択肢があるとは思っていなかった為、その衝撃はかなりのものだった。大悟は興奮で若干上擦った声色で言う。
「そいつは早くDPとやらを集めた方が良いッスね! その為には、この死者の家で仕事を見つけねぇと! うぉぉお、燃えてきたッスよおお!!」
テンションがハイボルテージの大悟に対し、しかし少女は相変わらずの冷めたトーンで言った。
「はやる気持ちはお察ししますが、残念ながら今の大悟さんでは、死界の仕事に就くことは出来ません」
「へぇ!? 何ゆえ!?」
大悟が頭上にクエスチョンマークを浮かべながら問えば、少女は次のようなことを言った。
「先程申し上げましたように、死者の家では大悟さんの様な死者の方に市民権を発行しています。この市民権がなければ、死界にて仕事に就くことは出来ないのです」
「なーるへそ……、そんじゃあ市民権って、どうやったら発行して貰えるんスか?」
少女は答える。
「死者の家の中で簡単な手続きをして貰えればそれで発行できます。ですが、その為にはある行程を踏んでもらわなくてはなりません」
「……で、その行程ってのは一体全体?」
「その行程とは、」
少女は大悟の目を真っ直ぐ見据えて言った。
「『心象』の習得です」
「・・・・・・はいぃ?」
思わず普段よりも二割増しの間抜け声を発する大悟。それに質問を繋げる。
「えぇっと、その、いめーじ?ってのは一体……。なんかの資格や免許的な? 教習所的な?」
「いいえ違います。心象とは、死者が一人一つずつ持つことが出来る、特殊能力の事です」
「……」
「…………」
一瞬でその場を静寂が包む。それもそうだ。いきなり『特殊能力』なんて言われたあかつきには、普通の人間ならばかなりの戸惑いを見せる筈だ。特に今の大悟は死んだばかりで右も左も分からぬ状態、そのようなことを言われれば右往左往すら通り越して、その場で地蔵の如く固まってしまうであろう。
「か、かっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
しかし、次の瞬間静寂を破って大悟の口から放たれたのは、興奮に満ちた声から成る、そんな言葉であった。
息巻き、瞳をキラキラ輝かせ、大悟は少女に聞いた。
「特殊能力ってあれっスよね! 漫画やアニメに出てくるあれの事っスよね!?」
「……漫画やアニメというのがよく分かりません。……まあ、心象の例を挙げるとするなら、例えば生前消防士をしていた人の心象は水を操るといったものになる可能性が高いです。……想像と合っていたでしょうか?」
「ビンゴっス!!」
そう言いながら大悟は親指を立てた。その瞳の輝きは一層強くなっている。坊主頭の大男がそんな風にしている為、割と気持ち悪い。否、かなり気持ち悪い。見ていて吐き気を催すような状態で、大悟は相変わらずのテンションで聞く。
「んで、その心象を習得する為にはどんなことしたら良いんスかね!? 山に籠ったり、滝に打たれたりするんスか!?」
そう聞く大悟の全身からは、オラわくわくすっぞ!、というオーラが迸っていた。どうやらそういう一昔前の修行めいたことに憧れているらしい。漫画の読みすぎと言わざるを得ない。
そんな大悟に少女はただ一言。
「いえ、この施設の中にある『認識機』という心象習得用の機械を使うことにより、十数秒で習得できます」
「へ、へえー……そうなんスかー……」
それを聞いた大悟は、何故かがっくりと肩を落とした。今までうなぎ登りであったテンションが、真っ逆さまに地面に突き刺さる。情緒不安定にも程があるだろ。
割と面倒くさい反応を示す大悟に、しかし少女は嫌な顔一つ見せることなく、後ろを指さした。そこには黒い壁が広がっており、その左端に壁と同じ色をした扉が存在していた。
「では、早速認識機のある部屋に向かいましょう。付いてきてください」
そう言って、少女は扉の所まで歩を進め、それを開いた。
「あ、ありがとうございます」
扉を支えてくれている少女に礼を言った後、部屋を出る。大悟が出るのを確認してから、少女は扉から手を離し、誘導のために彼の前を歩き始めた。
そういえば献血中に献血のおばちゃんに「あんた立派な血管持ってるねぇ」と言われました。嬉しかったです。・・・・・・立派な血管・・・?