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死後(デッドイン)  作者: 糞袋
序章・生前
1/113

糞小説の始まり始まり

駄文という表現すら生温いほどの糞文しか書けませんがご容赦下さい。

大悟(だいご)、帰るよ」

「おう! 今行く!」

 そう言って坊主頭の少年、大山大悟(おおやまだいご)は急いで下校の身支度を済ませ、幼馴染の眼鏡の少年、的田駆(まとだかける)の元へ走った。鞄が揺れ、中身がガサガサと鳴る。血液型がOである大悟は、今日も今日とて力づくで、鞄にブツを入れたようだ。

 カーン、という音が背後の野球場から響く。五月の青空に、白球が浮いた。野球部の少年達は今日も今日とて汗を輝かせているようだ。大悟はその少年達と同じくらい青く短い己の頭を掻きながら、晴天の元の青春劇場に背を向けて、駆と肩を並べて歩を進める。彼らは現在高校二年生。帰宅部である。

「なあ駆ぅ、勉強で分かんねぇとこがあっからさぁ、教えてくんねぇか?」

 のびのびとリラックスした俗っぽい口調で大悟が言う。駆は微笑んで頷いた。

「良いよ。じゃあこれから大悟の家で、一緒にしようか」

「マジか! オッシャア!」

 拳を握り喜びを表す大悟。若干オーバーリアクションな気もするが、これが彼の素である。

 ここで少し人物紹介といこう。現在友人に勉強の救援を求めている少年、大山大悟は身長185cmの大柄な少年だ。その体格はかなり筋肉質で、半袖のカッターシャツからのぞく逞しい腕には、太い血管が浮いている。対して現在友人に救いの手を差し伸べている少年、的田駆は身長170cmの中肉中背の少年だ。その頭脳は明晰で、テストではいつも学年一位を取っていた。

「しっかし、駆は本当に頭良いよなー。俺もそんぐらい頭が良けりゃ、もちっと勉強が楽しくなるんだろうに」

「いやいや、大悟だって真面目に勉強頑張っているじゃないか。その勤勉さは大悟の長所の一つだと、俺は思うな」

 駆の言う通り、大悟は毎日真面目に家で勉強に取り組んでいた。しかし、生まれつき物覚えと理解力が共に悪い大悟は、人一倍の努力の甲斐も空しくテストでは毎回中の上か中の下のどちらかという微妙な順位に甘んじており、学期を通しての成績もそこそこであった。そのため、大悟はこうして駆に鞭撻を頼み、頻繁に勉強を教えてもらっているのである。

 故に大悟はそんな学習に関する恩人である駆が、己を褒めてくれたことに対し、

「か、駆ぅ!」

 と、ジーンという効果音が聞こえてきそうな程分かりやすい感動を、瞳を若干潤ませながら示すのであった。

 そんな大悟に対し、駆は目を細めて白い歯を見せる。

「あはは、大悟は本当に感情豊かだね。・・・と、そう言っている間に着いたよ。大悟の家」

「んあ? あ、本当だ」

 そこで談笑を一旦止めて、二人は二階建ての赤い屋根の家の前で立ち止まる。この何の変哲も無いただの建築物が、大悟の家であった。

「婆ちゃんただいまー」

「お邪魔します」

 ドアを開けて二人がそう言うと、奥からトタトタと足音が聞こえてきた。

「おんやまあ大悟お帰り。って駆君も一緒かい? まあ良いや。ささ上がって上がって!」

 そう言って二人を出迎えたのは大悟の祖母、大山巨代(おおやままさよ)である。御年七十八の巨代だが、その元気な姿は老いを感じさせない。本人曰く、若いころはヒールのプロレスラーをしており、それで鍛えられたのか年を食ってもピンシャンしているとのこと。彼女がこの話をする時、いつも大悟と駆は自分達の耳の通りを良くするのであった。

 二人は巨代に出迎えられた後、玄関の先にある茶の間に行った。全面畳張りで、室内にはほんのりと古びた藺草の香りがする。その真ん中に置いてあるちゃぶ台の上で、二人は勉強を始めた。


「駆、ここってどうすりゃあ良いんだ? 達磨宜しくまったく手が出ないんだけどよ」

「大悟が座禅を組んだら、それなりに様になる気がするなぁ。……どこで躓いてるの?」

 数学のノートを見せる大悟。それを見て、ああここはこうすれば良いんだよと、駆が教える。こんなやり取りをちょくちょく挟んでいる内に、二時間が経っていた。しかし、その事実に二人が気付くよりも早く、玄関の扉の開く音が、茶の間に届いた。続けて足音が近付いてきて、部屋の前で止むと同時に、障子が開いた。

「ただいま! ってあれ? 駆さん来てたの?」

「おう我が妹よ帰ってきたか! 今兄ちゃんは駆に勉強を教えて貰っているとこだ!」

「あ、そうなの。すいません駆さんいつもうちの馬鹿兄貴が迷惑かけて」

 そう言って大悟の頭をスパァンとはたいて笑っているのは彼の妹、大山広華(おおやまひろか)である。彼女は現在中学三年生で、所謂受験生というやつだ。その顔は兄である大悟とは違い、どこか愛嬌がある。若干目つきが悪く、尚且つあほ面であるという顔面二重苦を抱えている大悟は、そんな妹に言った。

「いってえな! 広華テメェ、兄ちゃんがこれ以上禿げて馬鹿になったらどうすんだ! ってか俺馬鹿じゃねーし! 成績中の中だし!」

「へへーん、学年で上の上である私から見たら、兄貴が馬鹿であるのに変わりないもーん」

 広華はそう言って胸を張った。彼女のの言葉に嘘はない。広華の成績は、彼女の通っている中学の学年でもトップレベルである。そんな妹のことを、日頃から大悟も誇りに思っていた。しかし、かといって年端もいかぬ妹に虚仮にされて黙っていられるほど、大悟は温厚ではない。普段の妹に対する一種の尊敬を畳に転がせ、彼女の物言いに猛然と噛みついた。

「このヤロウ口ばっかり達者になりおってからに! もう許さん兄ちゃん今日お前と一緒に風呂入るかんな!」

「その禿げ頭カチ割ってお粗末な脳味噌引き摺り出すぞ糞兄貴」

「やめてくださいしんでしまいます」

 ドスの利いた声で静かにキレた難しい年頃の妹に、光の速さで土下座する大悟。彼の家庭内でのヒエラルキーは、少なくとも広華よりは下であった。嗚呼悲しい哉妹尊兄卑と、字に起こすと何が何やら分からないことを考えながら、畳の匂いを鼻腔いっぱいに嗅ぐ大悟であった。

「あはは、二人とも本当に仲が良いね」

 そんな二人のやり取りを見て、駆が口を開く。この残酷兄妹劇場が、彼には仲睦まじい家族のやり取りに見えるらしい。中々に狂ったフィルターを持っている駆は、ふと時計に目を向ける。そこで初めて、彼は既に大山家を訪れて二時間が経っていることに気付いた。正座を解き、少し痺れる脚に鞭打ちながら、言葉を紡いだ。

「いつの間にか良い時間になってたから、俺はそろそろお暇するよ。じゃあね、大悟。広華ちゃんも」

 ちゃぶ台の上に広げられた教科書類をきちんと鞄に入れて、駆は立ち上がった。その背中に当たってくる大悟と広華の別れる声に後ろ手を振りながら、玄関に辿り着く。名残惜しさを胸に秘めながら手を掛けた扉は、しかし駆が力を入れる前に開いた。

「ただいまー。ってあれ? 駆君じゃないの」

「あ、高志(たかし)さん。今日はお早いんですね」

 開いた扉から入ってきた人物は大悟の父、大山高志(おおやまたかし)であった。その身長は187㎝程で、ダイゴよりも高い。名前に恥じない背丈を持つ高志は、駆の言葉に対して、頭を掻きながら二カッと笑った。

「いやー、今日は残業無くてさー。あ、そうだ。駆君今から帰るとこ?」

「はい、そうですけど。……何か用事でも?」

「実は今日すき焼きでもやろうかと思って牛肉買って帰ったんだけど、良かったら一緒にどう?」

 右手に持った牛肉の入ったマイバックを視線で示す高志。駆は少々目を丸くした。

「い、良いんですか? いやでも、大悟や広華ちゃんに聞いてみないと・・・」

「俺たちゃ別に構わねぇぞ! 一緒に鍋を突こうぜ駆ぅ!」

 無駄に大きな声と共に、いつの間に茶の間から出てきたのか、大悟が駆の背後から顔を出す。ジャパニーズニンジャのような行動をする友人に、駆は更に目を丸くしながらも、破顔した。

「・・・・・・じゃあ、一緒に鍋を突かせて頂いても宜しいですか?」

「「おう!」」

 親子揃って声をハモらせながら、良く似た笑顔で返答する大悟と高志の様子が可笑しくて、駆は再び笑った。

 

 すき焼きの準備が終わり、大悟、駆、巨代、広華、高志の五人で鍋を突き始めた時、遠くから女の声が聞こえてきた。

「ちょっと誰か扉開けてくんなーい!? 今とある事情で両手がふさがっててさー!」

「お、母ちゃん達帰ってきたな!」

 そう言って大悟は自分の肉を取り皿に取ってから立ち上がり、玄関に向かい扉を開ける。すると、扉の向こうから両手にパンパンのレジ袋を持った長髪の女性と、ショートカットの幼い少女が現れた。

「ありがとう大悟! いやー、やっぱり持つべきものは母思いの息子だね!」

 そう言って笑う母、大山深子(おおやましんこ)をスルーして、大悟は気持ち悪いほどの満面の笑みで少女に喋りかける。

「お帰り多美(たみ)ちゃん! 保育園はどうだった? 」

「えっとねえっとね! 楽しかった!」

 そう言って小さな大山家の末っ子、大山多美(おおやまたみ)は花が咲いたような笑顔を見せる。それを見て、ダイゴの笑顔も更に気持ち悪くデレリと崩れる。このハゲ、少々シスコンの気があるようだ。

 だがしかし、そんな傍から見れば事案の兄妹の会話を断ち切るように、横から深子がしゃしゃり出てきた。

「ちょっと大悟!? 実母に対する反応が不毛過ぎない!? 何なのスルーって!? 反抗期なの!? 盗んだバイクで走り出すの!?」

 レジ袋を持っていなければ、今頃息子に掴み掛っていそうな勢いで吠える母に、大悟はうっとおしそうに怒鳴る。

「うっせーな! 俺ぁもう十六だから、そんな真似しねぇよ! てか母ちゃん多美ちゃん迎えに行った後はスーパーに寄らずに真っ先に帰って来い! 多美ちゃんも疲れるでしょうが! あと、そろそろ父ちゃんを見習ってマイバック買えよ! 気を遣え! 娘と地球に!!」

「う、うぎぎ……で、でもぉ……」

「でももストもあるか!!」

「大悟兄ちゃん母ちゃんいじめちゃダメー!!」

 白熱する親子の口論に、多美がそう言ってレフリーの様に割って入った。

 深子はそんな多美に対し、デレデレしながら笑いかける。

「多美ちゃんは良い子だねー。それに比べて大悟は冷たいね! どうしてこんな子に育っちゃったのかしら・・・」

 オヨヨと泣き真似をする深子を当然のように放置し、大悟は多美の手を引いて家に入っていく。血も涙も無駄もない。

「多美ちゃーん、今日はすき焼きだぞー」

「マジでか! それならそうとメールしてよ大悟!」

 『すき焼き』という単語を耳にした瞬間、深子が疾風の様な速さで家に飛び込んだ。ドタタタ!という騒がしい足音が、外にまで聞こえてきた。

 そんな母の後ろ姿を遠い目で見ながら、大悟は多美に言った。

「多美ちゃーん、あんな大人には間違ってもなっちゃ駄目だぞー。兄ちゃんとの約束だ」

「? 分かったぁ!」

 そう言って無邪気に笑う妹を眩しそうに見ながら、大悟はその小さな手を優しく引いて家に入っていった。


 茶の間に帰ると、大悟が自分用に皿に取っていた肉を、美味しそうに食べている深子の姿があった。

「うおぉぉぉぉぉぉぉい!!!!? 糞かかあテメエ何してんだコラァァァァァァァァァァ!!!!!!!」

「何よモグモグ! 取られたくなかったらモグモグ最初から肉に名前でも書いときなさいよモグモグ!」

「今時そんな屁理屈ガキでも言わねぇよ!! てか咀嚼を止めろ直ちにぃぃぃぃぃぃぃ!!!」

 ギャイギャイ騒ぐ母子を尻目に高志達は鍋を突く。客である筈の駆も、ああこれ美味しいですね、と春菊を頬張る。

 広華は多美を自分の隣に座らせて、ほっこりした顔で肉を勧めていた。

「ほら多美ちゃんお肉だよお肉! しかも今日は大山家では滅多に出ない牛肉だよ!」

「おー! 多美ぎゅーにく大好き!」

 そう言って手を叩き喜びを表現する多美の姿に目尻を下げながら、広華は続けた。

「そっかそっか! じゃあたんとお食べ! そんでもって大きくなるんだよ多美ちゃん!!」

「うん!! あ、でも広華姉ちゃんもいっぱい食べなきゃダメだよ! そうしなきゃおっきくなれないからね!」

「えぇ? でも姉ちゃんはクラスの女子の中では背は高いほうだよ? これ以上伸びて兄貴みたいなウドの大木みたいになるのは嫌だし、姉ちゃんはこれ以上大きくならなくて良いかな」

 兄に対する言葉が酷すぎる広華であったが、しかしその言葉の標的である大悟は現在母と絶賛交戦中のため、特にカウンターが帰ってくることはない。

 だが、姉のそんな罵詈を含む弁明に対し、多美は首をプルプルと横に振って言った。

「えー、でも姉ちゃんぜんぜんおっぱい大きくないよ? だからいっぱい食べなきゃだよ!

「あははこりゃ一本取られたな~! あ、お兄ちゃーん、ちょっとサンドバックになってくんなーい?」

 妹の無邪気な言葉に、貧相な胸の奥にある心をへし折られた広華は、兄を殴ることで精神の平穏を保とうとするのであった。

 そんな姉妹の一見平和でその実一方的な精神的ジェノサイドが行われている会話を見ながら、高志は微笑む。

「ああ、我が娘ながら可愛いなぁ。そうは思わないかお袋。・・・あれ?」

 高志は自分の隣に居る筈の巨代の姿がいつの間にか見えなくなっていることに気が付いた。しかし、高志が辺りを見回して母の所在を確認するよりも早く、茶の間に怒号が響いた。

「大山家家訓一条ぅぅぅ!!! 飯食ってる最中に騒ぐべからずぅぅぅぅぅ!!!!」

 そんな咆哮と共に巨代は深子にブレーンバスターをかけた後、間髪入れずに目にも留まらぬ速さで大悟をジャーマンスープレックスで仕留めた。深子と大悟は、

「「ぐえっ!」」

 というガマガエルの断末魔のような声を漏らした。しかし、このような家庭内暴力が行われても、駆のような客人を含め誰も驚かない。何故ならいつものことだからである。恐ろしい日常風景だ。この空間だけ世紀末のようだ。

 グレートグランドマザーのプロ顔負けのプロレス技を用いた制裁を喰らい床に伸びる馬鹿二人。その姿を見下ろして巨代が言った。

「ほら! 馬鹿やってないでとっとと喰いな! さもなきゃあんた等が箸つける前に皆が全部喰っちまうよ!! 特に高志なんてよく食うんだから稼ぎが少ない癖に!」

「「そりゃ困る!!」」

 そう言って二人は猫のようにしなやか且つ素早い動作で起き上がり、鍋を食べるために座った。

「ちょ、お袋さん。今何と仰いまし」

「大山家家訓緊急一条、晩飯時は高志のみ私語禁止」 

「お袋さあああん!!?」

 がつがつと肉を中心に鍋を貪る馬鹿母子とは別のところで、一家の大黒柱である高志は心に傷を負った。子ども達の背が伸びるにつれて、その傷は白髪と共に増えていくのだろう。


「ふ……ごぉっ……!!」

 明るい部屋の中で、呻き声が響く。その声の主は大悟だ。現在彼はバーベルを担いで、スクワットに励んでいた。その全身には既に隙間なく汗が浮かんでおり、畳に滴り落ちていた。

「んぐぅ……!!」

 また一回、立ち上がるように脚に力を籠める。その瞬間、彼の脚の筋肉は盛り上がり、血管が浮き出た。しかし、膨張している部位はそこだけではない。胸筋と背筋も平素と比べて膨らんでおり、腹筋ですら細い青筋が浮かんでいる。

「ごっぐぅ……!! ぬぅ……!! はぁ、キッツ」

 全身を少しばかりパンプアップさせた状態で、大悟はへたり込んだ。その近くには敷布団が畳んで置いてある。ここが彼の部屋らしい。室内には漫画で埋め尽くされた本棚と、ブラウン管テレビ。少し季節を先取りしすぎている扇風機。皺と折り目だらけの教科書や参考書、加えて黒く汚れたノートが数冊置いてある机。等々が存在していた。その中で、大悟は何となく己の掌を嗅いだ。血液とは違った鉄臭さがする。

「兄貴ー。少しゲーム手伝ってくんない?」

 隣の部屋から、妹の声が聞こえてきた。ゲームのヘルプのようだ。

「あのなぁ広華。お前ももう受験生なんだから、しっかり勉強しなさいよしっかり。兄ちゃんがお前ぐらいの頃はな、夜遅くまで筋トレと勉強してたぞ。まあ、それでもギリギリだったけどさ」

「兄貴の高校が家から一番近いから、そこ受けるつもりだけどさ。多分今から一切自主学習しなくても、私なら合格すると思うな。 だって、兄貴の高校の偏差値って普通だし」

「おバカモンこの野郎! そういう慢心が悲劇を生むんだよ! うさぎとカメの話、お前がガキの頃に聞かせてやったろうが! つまるところ、結局は真面目に血の滲む努力した奴が勝つんだよ!」

「カメは血が滲むほど己を追い込んではいなかったと思うんだけど……、まあ良いや。じゃあ、二時間後に付き合ってよ。それまで私、勉強してるからさ」

 広華の言葉に、大悟は布団の近くに置いてあるベル付きの時計に目を向けた。夜の九時だ。二時間後となると、夜の十一時だろうか。大悟は壁一枚隔てている妹に言った。

「分かった。じゃあ、それまで俺も勉強しとく。あと筋トレ」

「筋トレって、……まあ今更驚かないけどさぁ。でも、何で運動部でもないのに兄貴って体鍛えてんの?」

 広華の問いに、大悟は間髪入れずに答えた。

「そうしねぇと、婆ちゃんのプロレス技でワンキルされっからだよ。それに、父ちゃんもよく言ってるだろ。男は強く、そして優しくなきゃならねえって」

「そんな頻繁には言ってないでしょうよ……。てか、何でここでお父さんの言葉が出てくるわけ?」

「そりゃあ、俺が父ちゃんを心の底から尊敬してっからだ! おんなじ男としてよ! 父ちゃんの教えを信じてりゃ、地獄でだって生きていけるぜ!!」

「ふーん。そんなうまくいくとは思えないけどー」

 妹の気の無い返事に、大悟は苦笑いする。しかし、その最中にも大悟は高志の教えを非常に信頼していた。普段は頼りない父親だが、偶に男としての生き方を彼は教えてくれるのだ。その教えはどれもが大悟にとっては彼の魂を守ってくれる頼れる鎧で、尚且つ全ての悩みを貫いてくれる鍵であった。

「ま、お前にはまだ分かんねえよ。何故なら幼いからね」

「壁越しにどや顔が瞼の裏へ浮かんできたよ。そこで神妙に待ってろ」

「まじすんませんした」

 顔の見えない妹に対し、土下座する大悟。今度は汗で湿った畳の匂いが鼻をつつく。拭かなきゃ腐る、と頭の片隅で考える大悟であった。


 翌日、通学路にて。

「うーい……お早う駆ぅ……」

「お早う大悟、ってどうしたの?元気が無いようだけど」

 昨日すき焼きを食べた後、しばらく大山家で寛いだ後に自分の家へ帰った駆は、昨日己が最後に見た姿と比べてかなり疲労しているように見える大悟に問う。

その問いに対し、大悟は怠そうに目を擦りながら言った。

「いやぁ……広華とゲームしてたら気づかねぇ内に1時過ぎちまっててさぁ……。その直後にやってない課題の事を運良く思い出して、そんで焦って手ぇつけたらこれが存外に難しくってよぉ。四苦八苦七転八倒してたら、いつの間にか鶏が鳴くような時間になってて……。クソ眠いんだよ……」

「そ、そりゃあ災難だったね」

「全くだぜ。あーあ、三千世界の烏全部で焼き鳥とかしてーなー……」

 そう言って大悟はうっすらクマの出来た目で空を見上げた。本日は五月の下旬の何でもない平日。天気は昨日と同じ晴天なり。

「鶏でフライドチキンなんかも、良いかもしれないね」

 大悟の視線の先にちらりと目をやった後、駆はそう言った。

 そんな駆の相槌を聞いた後、大悟は己の青々とした坊主頭を掻きながら、欠伸交じりに口を開いた。

「しっかし、母ちゃんのあのノリには本当に困ったもんだぜ。いっつもあのノリに巻き込まれて親子揃って婆ちゃんにのされるんだからよぉ。大山家で一番ガキっぽいのは母ちゃんだと思うね俺ぁ」

 深子はいつも昨晩のようなテンションで大悟達家族を巻き込んで暴走し、よく巨代をはじめとした大山家の家族に叱られている。一応その度に反省しているのだが、因果なのか性なのか、再び同じような過ちを繰り返すのである。ちなみに先日とうとう末娘の多美にまで叱られていた。その時は何故かホクホク顔で多美の説教を聞いており、反省の色が見られなかったので、直後に巨代が四の地固めをかけて懲らしめていた。

 しかし、私生活ではこんなまるで駄目なおばさんだが、深子の仕事は売れっ子漫画家であり、色んな週刊誌や月刊誌で何本も漫画を掲載し、且つ締め切り前に余裕で原稿を仕上げ悠々としているのが常であった。昨日だって締め切りの五日前で原稿を仕上げ、最近行きつけのカフェに行き、そこで珈琲を飲んだ帰りに多美を迎えに保育園に行ったのだ。まあつまり、深子は天才肌なのだ。その遺伝子は大悟ではなく広華に受け継がれたが。

 駆は大悟のドメスティックな愚痴を聞き、笑う。

「でも何だかんだ言って大悟と深子さんって仲良いよね。今時あんなに関係が良好な高校生男子とその母親は、あまり居ないんじゃないかな」

「そ、そうか?」

 そう言いながら大悟はその眠気で腫れぼったくなっている目を、空から眼前の建物に移した。その建物は工事中らしく、何やら鉄骨をクレーン車が吊り上げていた。しかし、その鉄骨はやけにぶらぶら揺れていて、かなり不安定であった。しかし、元々曖昧な脳味噌が眠気によってさらにぼやけている大悟の思考回路では、その鉄骨に対し注意を払うような反応は生まれなかった。

 視線を建物から前に動かして、大悟は言う。

「だがよぉ、そんなこと言ったって俺の母ちゃんがオッペケペーな事実は変わらんぜ?今朝だって、干してあった俺の学生ズボンのポケットを、なんかゴソゴソやってたしよぉ」

「ふぅん、それは気になるね。じゃあ少し調べてみたら?」

「あ、そっかぁ……」

 大悟は如何にもそんな当たり前のことにすら気づいていなかったとでも言うように自分の手のひらをポンと叩くと、早速自分のズボンのポケットに手を伸ばした。

 その時だった。

「落ちるぞぉぉぉぉぉ!!!」

 という絶叫が、大悟達の頭上から聞こえてきたのである。

「おぅっ!?」

 刹那、大悟は空を見た。すると、自分の立ち位置から少し離れたところ目掛けて落下を始めている鉄骨がその瞳に映った。

 ああ、これなら俺達は安全だな、という思考が一瞬にして大悟の頭を覆い尽くす。安堵の中で、彼はふとその鉄骨の落下点に目を向けた。



 そこには、咄嗟のことで身動き一つ取れなくなっている、小学生ぐらいの少年の立ち姿があった。



「うおおああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!?」


 須臾の時間も置かぬ間に、大悟は地面を蹴り飛ばし、少年の方に飛び掛かっていた。突然のことで思考は凍てついたであったが、絶叫することによって背骨をはじめとした全身の細胞という細胞を叩き起こした為に、その身は目の前の少年を助けようと動けていた。

 

 ドン、という音と共に少年の体は大悟の長く太い腕に突き飛ばされる。これにより、少年が鉄骨の下敷きになりその尊い命を散らすという未来は消えた。

 しかし、それはあくまで少年の命が消えるという未来が消えただけで、誰かの命が消えるという未来が消えた訳ではなかった。

 ガゴチシャアッ!

 鉄骨の落下音、筋肉の断裂音、骨の破砕音、血液の噴出音、それらの非日常が混ざり合った音が、辺りに響く。

 血の味を味覚で、友人の呆然とした顔を視覚で、鉄骨の残響と人々の沈黙を聴覚で、己の肉や骨の匂いを嗅覚で、冷たくなっていく自らの体を触覚で感じながら。


 大山大悟は、その短い人生の幕を閉じた。 

お目汚し失礼しました。どうか精神を害された方も仏のような心を以て、この糞袋めを許して下さい。いやホントに。

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