束の間の邂逅
「なあ。隣、いい?」
がやがやとした居酒屋。週に一度、ここの喧騒の中で一人で酒を飲むのが密かな楽しみなのだ。カウンター席の端に座っていた私は、そう声をかけられて、ふっと横を向いた。
そこにいたのは、二十代半ばくらいの男性。私はとっさに断る理由は見つからなくて、つい、頷いてしまう。
「ありがと」
にこっと笑って、彼は私の隣の席に着いた。彼は、店長に「機械麦酒一つ!」と注文した。そこで、私は気付く。特殊な加工の認証首輪をつけている。彼、機械人間だ――。
見たところ、その機械人間は、一人のようだった。珍しい。
それだけではない。彼は、他の機械人間とはどこかが違っていた。どこ――とはいえない。
なんというか、そう、『人間っぽい』のだ。
「おねーさん、一人?」
彼は、私にしゃべりかけてきた。私は再び頷く。
「奇遇。オレも一人なんだー」
そういいながら、ちょうど店員が持ってきてくれた機械麦酒を受け取った。なんだか、ナンパされている気分だ。パッと見、人間と大して変わらない言動。
その機械人間は、何となしに私としゃべり始めた。機械人間特有の認証首輪がなかったら――いや、それがあっても、変わらなかった。私はたまたま出会った人と話し込んでいるくらいの気持ちでそれに答えた。彼の話は面白くて、一人で飲むのが好きなはずの私は、それを邪魔されたことも忘れて彼の話に聞き入ってしまう。
彼は、どうやら所有者不在の機械人間らしい。持ち主が死んだが、廃棄処分はされずに一人で世界をぶらぶらしているという。
「ねぇ、何で私に声をかけたの?」
「うーん。知り合いの若いころにそっくりだったから」
「へぇ。どんな人?」
「嘘。――信じた?」
私は、驚いて彼の顔をまじまじと眺めた。機械人間が嘘をつくなんて。
「ま、怒らないでよ」
邪気のない笑顔でそういわれると、私は何も言えなくなってしまう。それどころか、思わず彼と一緒に笑ってしまった。
「あちこちを旅してるのは遺言なんだ、ユリの。――あ、ユリって言うのは、オレが世話してたばーちゃんのことね」
「ユリって人が、あなたの元の所有者?」
彼は少しだけ顔をしかめた。
所有者という言葉が嫌なんだという。そのユリという人も、彼自身も。「彼女は、オレを生きている人間と同じように扱ってくれたし」ということらしい。
「我思う、故に我あり――ってね。オレは、オレ自身が“生きている”って思ってる」
つくづく変な機械人間だ。自分が“生きている”なんていう機械人間なんて、始めて会った。
私が正直にそういうと、彼は笑った。
「多分バグってるんだ、オレ。――ほら、でもさ。こうして考えている“オレ”って言うのは、たとえそれがプログラム故の思考だとしても、ここにいるわけだろ? 逆を言えば、人間だって考える生物だけど、もしかしたら考えるように脳にプログラムされているだけかもしれないじゃないか」
要は入れ物の違い、と彼が言う。私は少し考えた末に答えた。
「哲学的だね」
「おう。現代のソクラテスって呼んでくれていいぜ」
「やだ」
ケチ、と彼は笑う。それがおかしくて私も笑った。
頭が少しぼおっとする。
いつの間にか、私はいつもの倍くらいのアルコールを飲んでいる事に気がついた。
時計を見ると、もうすでに夜中を過ぎている。居酒屋はまだ賑わっているが、いつもよりもかなり遅い。
「そろそろ帰る」と告げると、彼は「じゃ、オレも」と立ち上がった。
「大通りでタクシー拾うんだろ? そこまで送ってってやるよ」
カードで互いに勘定を済ませて、外に出た。暗めの道を歩きながら、「今日、話に付き合ってくれたお礼」と言って、歌を歌いだした。それがあんまりに陽気なので、私は笑いながら、機械人間でも酔えるのかなぁと考えてしまった。
「それ、誰がつくった歌?」
あとでダウンロードしよう、と思った私が尋ねると、彼はにっと笑った。
「オレが作った歌」
私は、すごいすごい、とはしゃいでしまった。お酒がずいぶんまわっていたらしい。だが、それがなくても凄いことだった。人間が好む特定の音を組み合わせて簡単なメロディーを作ることは可能だが、あんなふうに歌を作ってしまう機械人間なんて聞いた事がない。
大通りまでたどり着いた。そして、タクシーを呼び止める。
それじゃあ、といって、彼は私に背を向ける。
「ねぇ……」
と気がつけば、私は思わず彼を呼び止めていた。
「また、会えるかな?」
彼は、振り返ってちょっと寂しそうに笑った。
「さあ、どうかな? ほら、オレってば所有者不在のバグった機械人間だしさ」
「さっきは、“生きてる”って言った」
「……君はさ、どう思う? オレって、“生きてる”かな?」
私は、一瞬考えた。お酒の所為で、頭がよく回らない。ただし、その分正直な言葉が口から滑り出ていた。
「わかんないけど、私はあなたに会えて楽しかったよ。機械とか、人間とか、そういうのは考えなかった」
彼は、少し驚いたように目を見開いて、それから嬉しそうに顔をほころばせた。
「ありがと」
そう言って彼は手を振る。私も手を振って、タクシーに乗りこんだ。
しばらくみるともなしに夜景を眺めながら、彼との会話を反芻する。
彼の名前を聞き忘れた。そういえば、私も名乗っていない。戻って、名前を聞こうかな。そう思ったけれど、途中でやめた。
これでいいのかもしれない。
きっと、彼とはもう一度会える。私は、根拠もなくそう確信した。
二人が会話したのは、互いに“生きている”間のほんのひとコマ。けれど、とても印象的な時間。
それは、束の間の――出逢い。
続 か な い 。
気が向いたらいつか続きが書けたら……いいな(遠い目)