第5話:帰宅
桂達を学校まで送って帰ると、白いエプロンに三角頭巾といった調理実習スタイルで仁王立ちした姫咲が玄関で出迎えてくれた。
「……た……ただいま……」
その迫力に逃げ出すことも思いつかず、日々の習慣で「ただいま」の挨拶をしてしまった。
「逃げろ!」と思っても時すでに遅し。
姫咲は目を鈍く光らせた。
「“ただいま”……?おかしいわね。補習は午前中までだから、私の予定ではもう希は家にいて、私の手料理をおいしく食べてるはずだけど……おかしいわね」
だったら何で、君は玄関で仁王立ちしているの……!?
てかお前の予定って何だよそれ!?
「えっと……食べて、お出かけして、戻ってきたんじゃないかなぁ?」
とぼけてみせる。
いくらツッコミどころ満載のセリフでも、ツッコム余裕はない。
つっこんだら最後、……クビが飛ぶ……!!
「ああ、なるほど!でも制服のまま出かけるなんて、よっぽど急いでたのね?」
うふ☆ と笑う。
コワイッ!!目が笑ってないっ!!怖いっ!!
「……って、んなワケねぇだろっ!!学校終わってどこほっつき歩いていやがった!?このスットコドッコイ!!私のメシはまずくて食えないとでも言うのか!?この愚弟!!」
ぷっつん。
とキレた姫咲を誰が止められよう。誰が……怖がらない?
怖いよ、怖いよ。俺は怖い!泣きそうだよっ!!お母さん!兄ちゃん!桂ぁっ!助けてぇっ!!
なんて、泣きそうでビビりまくってる俺に構うことなく、姫咲は怒鳴り続ける。
これじゃあ“仁王”じゃなくて“般若”だ。
ていうか、“愚弟”って、俺まだ正式にお前の弟じゃないから!
「わぁ〜っ!ごめん!ごめんって!桂に会ったからちょっと話したりしてたんだよっ!!」
姫咲の罵声から身を守るために、頭を両腕でガードしながら言い訳をする。
嘘じゃない。
確かに、姫咲が考えているように、彼女の気紛れな料理を昼間っから口にする勇気がなくて、松永、清田らと共に吉○に寄って帰ってくるつもりだった。
でも途中でそれが変わったんだ。
それさえ内緒にしとけば、俺が姫咲に怒鳴られる理由はしないはずだ。
いや、吉○で食べてきたとしても、姫咲が俺を怒鳴る権限はないと思うけど……。
「……桂?」
俺の口から桂の名前が出てきたのに反応したのか、それまで般若のようだった姫咲の顔が普段の綺麗なものに戻り、動きがピタッと止まった。
「桂に会ったの?」
確認するように聞き返してくる。
「うん」
だから頷いてみせる。
すると今度は姫咲の頬がプゥッと膨らんでいく。
「……ずるいっ」
そしてスネてしまったことがよく分かるこの一言。
頬をフグのように膨らまし、恨めしそうにじとっと俺を睨む。
本当に、桂と違って感情表現豊かな奴だとつくづく思う。
「ずるいって言われても偶然だったんだから仕方ないだろ。なんだったら明日からお前も補習来れば?」
「いや」
即答かよ。
「じゃ、会えないね」
話が桂の話になったので俺は靴を脱いで家に上がる。
姫咲の怒りはどこかへ飛んで行ったようだ。
「何で会えないのよ」
姫咲がスネてる横をすり抜け、自室に向かう。
だが俺の言葉に反論するために後ろから姫咲はついてくる。
「何でって、桂は補習合宿でしばらくは学校に半缶詰状態だからだよ。それに、もともと寮に入ってるんだからなかなかこっちに帰ってこないし」
それに何より、桂は姫咲と社が一緒にいる所は見たくないだろうしね。
「何で」
説明してやっても納得いかないのか、まだつっかかってくる。
お前はだだっ子か。俺よりも1コ上だろ、歳!!
「何でって何が?」
姫咲が言いたいこと、本当は分かってるけど分からないフリして訊く。
だっていろいろ、めんどくさい。
「何で桂、寮に入っちゃったの?学校違うの?」
高校入って二年目だよね?桂とお前。未だにそれかよ。
正直、呆れる。
姫咲は……勝手に桂にコンプレックス抱きながら、桂は自分のこと大好きだって信じ切ってるんだから。
ホント、呆れる。
もちろん、姫咲が思っている通り、桂は姫咲のこと大好きだ。
でも……いつまでお前は桂をそうやって一人占めしておくつもり?
お前は桂のものになりはしないのに、なぜお前は桂を手放さないんだよ?
だから桂は、苦しいんじゃないか?
苦しいから、少しでも離れようと、学校お前と違うとこにして、寮に入ったんじゃないの?
……真相は知らないけどさ。
「俺が知るかよ。とりあえず、お前と頭のレベルが違ったっていうのは一つの理由なんじゃない?」
何で俺、イライラしてんだろ。
俺がイライラしているのに姫咲は気付いたらしく、後をついてくるのをやめて、立ち止まって言った。
「希、今日、何かあった?」
ゆっくりと区切って訊いてくる。
振り返ると、真剣な顔をしていた。
……何かあったと言うか、原因はたぶんお前だし。
……て言うか、その変わりっぷり、正直参っちゃうからやめてよ。
イライラも、おもしろさも、どんな感情もお前の態度が変わると維持しにくくて、何が何だか分かんなくなるんだって。
「……別に、何もないよ。……桂は、相変わらずお前のこと大好きだだったよ」
嫌になるくらい。
「だから、生活空間離れてたっていいじゃん。お前達は双子。ちゃんと繋がってるよ。ずぅっと見ている俺が言うんだ。信じてよ」
真っ直ぐに、羨望や嫉妬といった感情を押し殺して、姫咲の目を見る。
数秒の沈黙。
だけどすぐに笑顔をつくって茶化してやった。
「ま、精神年齢お子ちゃまの姫咲にはちょっと難しいかなぁ〜?」
「なっ!そんなことないし!てかあんたに言われなくたって、桂と仲良いもん!バーカ!」
顔を真っ赤にして言い捨てると、姫咲は居間の方へと走り去って行った。
……だから、それがお子ちゃまなんだって。
そうは思っても口にはしない。
姫咲の、ああいう所は可愛いと思う。
強がって、でも誰かに頼ろうとすることはしょっちゅうで、それでも最後は自分の意志で決める。
それだけ聞くとなんだかカッコイイけど、姫咲の場合、全て感情が丸分かりになる。
そういう所、自分でそれに気付いてない辺りはおバカで可愛い。
だけどその可愛さにひかれたことは……一度も、ないな。
そんな姫咲の傍で儚く微笑んでいた桂の方が、昔から気になっていたんだ。
自分の部屋に入ってカバンを置き、制服のままベッドに横になる。
「はぁ」
思わずため息。
「この双子は、どっちとも俺の寿命を縮めてる気がする」
机の上に飾っている、俺と姫咲と桂と社の四人が写っている写真を見て呟く。
姫咲は、俺が桂のことを好きでいるがために「嫉妬」という心の負担を掛けてくれるし、桂は「恋」という名の心臓えぐるような切なさをくれる。
……寿命、縮みそうだろ?
それでも俺は桂を好きだし、姫咲のことも放っとけないんだけどね。
こればかりは、運命と思って割り切るしかない。うん。