第20話:歌番組
『ねぇ、ノゾミ』
番組本番、集中できていない俺に、クリスティーが声を掛けてきた。
この番組は日本人なら誰もが知っているだろう生放送の歌番組。
例に漏れず、俺達洋楽バンドはそのトリを担う為、アーティスト陣が並ぶ後方に座している。
マイクも入らないのでよくアーティスト同士が司会者の後ろで会話をしていたりするが、まさにそんな感じでクリスティーが話し掛けてきたのだ。
『何?』
『昨日からあなた、少し変じゃない?』
『そう?』
“変”と言われて自覚があったから、とぼけてみせる。
“昨日から”とはつまり空港での姫咲と社との一件の事。
『あー。あのシュラバな』
クリスティーとの会話に反応したガイが、おもしろそうに笑った。
あの雰囲気が彼には修羅場に見えたらしい。
彼の中では、俺が姫咲を置いて行って、そのスキに社が彼女をかっさらって子供を見せつけた。
という解釈がなされているのかもしれない。
全くの勘違いだ。
『シュラバじゃないよ』
『え!?あれシュラバじゃなかったの!?』
ガイの言葉を訂正すると、今度はマサヤが驚きの声を上げた。
『違うって』
呆れ声で訂正する。
そんなにあれは、修羅場に見えたのだろうか?
『え〜。じゃあ何であんな雰囲気だったの?それでどうしてノゾミは落ち込んでるの?』
ミューズが訊ねる。
どうやら全員、俺が修羅場って、だから落ち込んでいると見ていたらしい。
全然違う。
『あれは修羅場じゃないよ。強いて言うならケンカ。ちなみに俺は落ち込んでない』
そう、俺は落ち込んでいない。
ただ考え事をする時間が増えただけだ。
……それを、落ち込んでいると言うならその通りなのだろうけど。
『ふ〜ん。そう』
俺の回答はどうやらつまらなかったらしい。
4人は興味が失せたのか、別の話題に切り替えた。
彼らは子供のように好奇心旺盛で、且つ冷めやすい。
だからこそ、人気が出たのかもしれない。
あっけらかんとした性格の彼らと共にいる事はとても心地良い。
……これも、“逃げ”なのだろうか?
日本人アーティストの曲が終わり、番組独自の軽快な音楽が流れた。
どうやらCMに入ったらしい。
「アーティストのルナさん、到着しましたぁ〜!」
CMに入ってすぐに、番組ディレクターがそう叫んだ。
そう言えば打ち合わせの時、渋滞に巻き込まれて1人の女性アーティストが遅れてくる事を聞いた気がする。
そのアーティストが番組の終盤で、なんとか間に合ったらしい。
曲順で言えば、そのアーティストは俺達の前に歌う事になっている。
調度、次が彼女の出番だ。
「すみません!遅くなりました!!」
とにかくギリギリだったから、メイクもそこそこにといった感じで、慌ててその彼女がスタジオに入ってくる。
スタッフに、司会者にペコペコ頭を下げ、深呼吸をして用意された席に着こうとした時。
俺と目が合った。
『あら、この子』
『シュラバの子』
修羅場じゃないと言ったのに、まだそんな事を言う。
でも仕方ない。
確かに姫咲と同じ顔。
『髪切ったの?もったいない』
昨日の姫咲と違って短い、顎までのサラサラヘアー。
俺の身体が凍った気がした。
だけど口だけは滑らかで……
「桂」
彼女の名を呼んだ。
もう何年も口にしなかった名前。
久しぶりに口にして、その愛おしさに胸が苦しくなる。
それと同時に、
ズキッ…
と心が痛んだ。
「希……」
彼女が俺を呼ぶ。
幻じゃない。本当に、桂だ。
桂が、アーティスト?
思いもしなかった現実。
だけどそれに気を取られる余裕はなく、ただただ、昔の傷が痛む。
桂の顔が歪んだ。
怒っているようにも、哀しんでいるようにも見えるその顔で、俺に近付き、
パァンッ!
と平手を食らわせた。
突然のこの出来事に、スタジオが静まり返る。
痛い。
でもこの痛みはきっと、あの時彼女が受けた何十分の一。
ゆっくりと、桂を見る。
「CMあけますっ!」
スタッフの声。
桂は昨日の姫咲とは比べ物にならないほど強く俺を睨み、無言で席に着いた。
CMあけの、軽快な音楽。
シン…ッ
と静まり返ったままのスタジオの雰囲気を、どうにかこうにか司会者が取り繕う。
桂は何事もなかったように晴れやかな笑顔で受け答えをしている。
「今回の新曲は、実はデビュー前にできあがっていたそうですね」
「はい。高校生の頃に書いたものです」
「高校生!それにしてはやけに大人びた歌詞だよねぇ」
「そうですね。当時の私、マセてましたから」
なんて会話を一通り終えるとスタンバイ。
誰もさっきの一幕を口にしない。
そりゃそうだ。
テレビで放映されたわけじゃないのだから、今ここでそんな話をするのはおかしい。
でも俺は、平手の余韻があって、桂と司会者の会話は全く頭に入っていなかった。
だから、桂が歌い出してもその声は俺には届きはしなかった。
桂の曲が終わり、再びCM。
こちらに戻ってきた桂は俺を見て、今度は平手を出さず、ただ一言
「バカ」
と言って座った。
CMの間に席を入れ替え、前列に座る。
更にその間に、桂の事を考えていた。
桂の平手の意味、「バカ」の意味。
そしてあの強い瞳。
俺が日本にいない間に桂は強くなった。
いや、もともと持っていた強さが増した……?
分からない。
でも確かに、強くなった。
アーティストをやるぐらいだ。
表現豊かになっている気もする。
平手打ちは、俺への抗議だろう。
どの、俺に対して?
君を傷つけた俺にか、
傷付けるだけ傷付けて去った俺にか、
逃げた俺にか弱い俺にか。
……すべて、だろうか。
全てかもしれない。
“かもしれない”?
いや、絶対にそうだ。
俺の行動その全てが君を傷付けたはずだから。
あの頃の痛々しい君しか知らない俺。
君の傷は、癒えただろうか。
誰か、俺でもない社でもない誰かに、癒されたのだろうか。
できることなら、君のその傷を癒したかった。
もう、手遅れかな、桂。
CMがあける軽快な音楽が流れる。
「さぁ、続いてはアメリカよりお越し頂きました“The Throb”の皆さんです!」
司会者の紹介に、わっとスタジオが盛り上がる。
「今夜歌っていただく曲は、月をテーマにした曲なんですよね」
曲の内容について訊かれる。
俺は通訳代わりもしてるから、他のメンバーに英語で伝える。
そして英語を日本語へ……というのを幾度か繰り返し、スタンバイとなった。
今日演奏する曲のテーマは“月”。
俺が作詞した。
月。
つまり、桂を想って。
女々しいと自分でも思う。
クリスティーにも言われた。
でも、ガイとマサヤとミューズは気に入ってくれた。
この愚かさは、誰にでもあるものらしい。
ガイの作る曲に乗せ、俺の想いはミューズの声で飛んでいく。
♪過ぎた日々は戻らない
君をたくさん傷付けた
その背中
ボクはそこにキスをする
闇に輝く君は
妖しくて危うくて…
手をのばす
決して届きはしないのに 手をのばす
過ぎた日々は戻らない
捕らえる事のできない君
小さな笑顔
ボクは月に恋をする
白く輝く君は
儚くて美しくて…
守りたい
一人占めしたくなるほど に
傍にいたい
過ぎた日々は戻らない
守るどころか傷付けた
その背中
ボクはそこにキスをする
過ぎた日々は戻らない
どうかボクを嫌いになっ て
それでもボクは
輝く月に恋をする ♪
俺の想いは、ミューズの声で飛んでいく。
女々しく、愚かな俺の想い。
今更だけど、君に届いただろうか。
いや、届くはずがない。
これは全て英語で、歌ったのはミューズ。
演奏が終わる。
ロックバンドのくせにこの曲はバラード。
だから、拍手はあってもどこかしんみりとした空気が漂った。
妙に恥ずかしくなって、照れ隠しにメンバー皆で無理矢理はしゃいだ。
はしゃいで、やっと俺は前向きになれた。
ミューズに歌ってもらっても、それは俺の言葉じゃない。
俺が、この口で伝えなければ伝わらない。
桂、ごめんね。
俺は女々しくて愚かで……
そして諦めが悪いらしいよ。
そう、この曲でも言った。
“それでも俺は、君に恋する”
桂。
俺は、桂が好きだ。