第14話:浴衣
太陽がオレンジ色に燃える頃、一般会社員の社が帰ってきた。
桂がいる事に少し驚き、しかしすぐに柔らかく笑って、「おかえり」と言った。
むしろ「おかえり」と言われるべきなのは彼の方だというのに。
俺の両親の手前、無視できないと思ったのか、桂は無表情に、だがはっきりと「ただいま」と応え、
「……おかえりなさい」と社に返した。
もちろん社はそれに優しく応じた。
社は前々から姫咲に祭の事を聞いていたようで、姫咲がウキウキした様子を見て、
「皆、揃って行ける事になった?」
と、どちらかと言うと恋人というより子供に対するような甘く優しい声で訊ねた。
本人は“子供に対するような”気持ちではないのだろうが、ハタから見ればそう見える。
それだけ社は姫咲に心を許しているという事なのだろう。
「うん。桂も希も、浴衣着るって♪」
姫咲の言い方はまるで俺達が進んで浴衣を着るみたいな言い方だ。
違うだろ。無理矢理じゃん。「却下」とかってにべもなく切り捨てたのはどこのどいつ様ですか?ねぇ?
つっこみたい思いはいっぱい。
だけど、睨まれるだけに終わるのは分かり切ってる事なので、俺は諦める。
人生、諦めが肝心だ。うん。
「そっかぁ。楽しみだな」
「うん♪」
新婚夫婦はほのぼのとしたオーラに包まれている。
バカップルだなぁ、ホント。
我が兄ながら、とことん情けない。
なぜそこまで姫咲に惚れているのか。
……なんて、俺も人の事言えた義理じゃないけれど。
祭の露店でりんご飴だ何だと買い食いをする為に、いつもよりも少なめの晩御飯を済ませると、おのおの浴衣に着替え、出掛ける準備を整えた。
姫咲も社も俺も、浴衣は自分で着れる。
唯一それができない桂は、俺の母に着付けしてもらった。
「おぉ〜。やっぱ夏の女は浴衣だな。似合う似合う、カワイー♪」
心から思っているのか、それとも単にオヤジなだけか。
社が浴衣を着た姫咲をべた褒めする。
もちろん、桂に向けてのセリフでもあるが。
「やぁちゃんもカッコイーよ♪」
バカップル。
互いの浴衣姿を褒め合って恥ずかしくはないのか!
と、思うものの……
「桂、似合ってるね」
「希も、なんか色っぽいわ」
互いに一言ずつ交わす俺も、同類か……。
「色っぽい」と言った桂は、それこそ色っぽく、艶やかに小さく笑った。
ただ浴衣を着ただけというのに、なぜこうも雰囲気が変わるのか。
“変わる”?いや違う。この場合は“増す”んだ。
普段の桂は大人っぽく、所々色っぽくて艶っぽい。たまに見せる「色気」に俺は必ずドキリとする。
浴衣というアイテムは、この“たまに”を“常に”あるいは“強烈に”してくれるものらしい。
……俺の心臓、やられてしまいやしないだろうか……。
不安に思いつつ、しかしそれと同時に興奮もする。
男ってーのはバカにできてるもんだ。
呆れつつ、感心する。バカじゃないと恋もできない、楽しくもない、きっと。
桂が着ている浴衣は、藍色の布地に紫の……朝顔だろうか?
大きな花が所々に散らばった柄で、その色が彼女をより艶っぽく見せているように思われる。
藍色という、優しくも落ち着いているその色は、桂にとてもよく似合い、彼女の内側の闇を少しだけ覗かせているかのようだ。
だからこそ、色気が漂う。帯は黄色で、夜空に浮かぶ月を思わせた。
そんな桂の浴衣と対照的な浴衣を姫咲は着ていた。
明るい黄色地にピンクの朝顔が散らばった浴衣は姫咲によく似合っている。
イメージは太陽か。赤色の帯も、彼女の明るさを際立てている。
太陽と月。まさに彼女達の本質を見抜いたかのような浴衣。
小さい頃、やはり今のように対照的な浴衣を着ていた幼い2人を思い出す。
確か、色違いのお揃いだったと思う。たくさんの金魚が泳ぐ、白地の浴衣と藤色の浴衣。
昼間と夜のイメージの二つの浴衣を2人は着ていた。白地を姫咲が、藤色のを桂が着て、仲良く手を繋いで歩いていた。
その頃から、太陽と月、昼間と夜というように雰囲気の対照的な2人だった。
もしかすると、その頃から桂と姫咲は互いの違いを知っていたのかもしれない。
だって……2人は自ら、どっちの浴衣を着るのか選んでいたのだから。
「男なのに、色っぽいってヤだなぁ」
桂のセリフに苦笑いする。
この歳で、しかも男で、色っぽいと言われる俺ってどうなんだろ。
「そう?それだけ、希が魅力的って事なのに……」
にこりと笑って桂は言う。
着ている浴衣の効果なのか、彼女に一層の魅力と余裕を感じられてドギマギしてしまう。
ガキだなぁ……
情けない事を思いながら言葉を返す。
「桂の方がよっぽど、色っぽいよ?」
「……ありがと」
ストレートな言葉に驚いたのか、桂の頬がうっすらと紅色に染まった。
自分だって、ストレートに言ったくせに。
時々見せる……と言っても最近知ったばかりの、可愛い桂に身体の中を熱くする。
その熱は耳まで伝わり、俺も赤くなった。
言い慣れない事は、光の下で言うもんじゃない。
お互いにカッカと火照る頬を手で押さえながら、姫咲と社に促されて家を出る。
真っ赤な顔の俺達に気付いているのかいないのか。
2人は何もつっこんでこず、俺と桂の前を手を繋いで歩き出す。
その様子を見る限り、俺達が顔を赤くしているのに気付いてもつっこんでこなさそうだ。
なぜなら、2人は既にラブラブカップルモードに切り替わっていたから。
しばらくして火照りが収まった頃、そんな2人に気付いた俺は、隣を歩く桂を見た。
桂も火照りは収まっているらしく、いつものように白い肌がそこにはあった。
その瞳は真っ直ぐに前を見ていて……その先にいるのは当然、手を繋いで歩く姫咲と社の姿。
しかし彼女は、意識してかはたまた無意識にか、2人が歩く更に先の方を見ているようだった。
意識して2人の手を見ないのか。
それとも無意識に見ていないのか。
先程まで朱に染まっていた頬は、陶器のように滑らかな白に。
夕日がじりじりと照りつける中でその白さは際立ち、それは俺の心を締めつけた。
痛い。痛い。
桂、痛いよ。
必死で感情を殺す、君が痛い。
夏の夕日に照らされて、暑くない人間がいるわけない。
それだけ、桂の芯は痛めつけられて、熱すら出ないほどに冷たくならざるを得ないのだ。
痛い……。
俺の中に、後悔が生まれる。
「浴衣姿を見たい」
俺のエゴ。
そのエゴの為に桂を誘い、安心させておいて結局は目の前の2人を見せつけるような事をして、傷付けてしまった。
自分のエゴなんて、無視すべきだったんだ。
夕暮れの中、祭の会場に向かって、ただ黙々と俺達は歩いた。