第13話:お盆休み突入
8月13日、補習はお盆休みに突入した。
と言っても、たかだか3連休、そこまで嬉しくない。
TOYOSHIMAの件以来、俺は桂と会っていない。
もともと普通科と商業科に別れた校舎の接点は少なく、
通常でも商業科の人とすれ違うのは、下足室や体育館、グラウンドなどといった共同で使用される場所だけだ。
まして合宿中の織女の生徒はほとんど校舎の外に出る事はない。
補習初日に会えたのは奇跡に近い偶然だったんだ。
しかも、俺は桂の携帯番号もアドレスも知らない。
連絡なんて取りようがないから、当然会えないというわけ。
ちなみに、松永と清田はTOYOSHIMAでちゃんと番号とアドレスを交換したらしく、マメに連絡を取り合っていたようだ。
その様子はニヤケていて、だらしがなかったことは言わずとも分かる事だろう。
さて、織女もお盆休みに入っただろうから、桂も今日から、3日間、こちらへ帰ってきてもおかしくないのだけど……
帰ってきたとは聞いてない。
まさか15日まで帰ってこないなんて思わないけど……まさか、ね。
もしこのまま帰ってこのまま帰ってこなかったりしたら……
「桂が帰ってこない。メールもない」
ぶすっと不機嫌な姫咲。
これがエスカレートして、しまいにゃ八つ当たりされかねないのが我が家での俺の立場。
絶対、俺は損してる。
「いろいろ、忙しいんじゃないの?織女だし、もしかしたら今日まで合宿してるとかさ」
とりあえず、当たり障りのないだろう言葉で宥める。
現在、社は仕事でおらず、両親は稽古を見てて、祖父母はお墓参りに行ってて2人っきり。
男と女が一つ屋根の下に2人きり。
確実に、絶対に、“間違い”が起こらないのが妙なトコ。
いや、姫咲とどうこうなりたくはないけどさ。
「何でそんなに勉強するのよ」
ぶすっとしたまま不機嫌な声で言い、俺を睨む。
いや、俺を睨んでも仕方ないから。
てか、そんなん俺が知るわけないから、やめて、お願い。
「頭の良いトコだからじゃない?」
当たり障りのないよう答える。
“触らぬ神に祟りなし”。
今、ものっ凄くそんな気分。
どうか神様、いるのならこの人の不機嫌なおして!
高校生にまでなって俺、この人のサンドバッグにはなりたくないんだって!
なんて、ちょっと泣きたい気分。
……泣いていい?
「何で!」
「何で」って言われても知るかよぉ!
そんなん学校に聞けバカァ!
思っても言葉にしない、顔に出さない。
俺の平和を守る為、頑張るんだ希!!
「何でって俺に訊いても仕方ないじゃん。
優秀な人ができるだけたくさん社会に排出できるように頑張ってるんじゃない?
桂もその一人なんだよ。頭良いし、社会に貢献すべく、頑張ってるんじゃん。
応援してあげなよ」
とにかく、姫咲の感情を逆撫でしたりしないように優しく諭す。
頼む、これで納得してくれ!!
そう祈った時、玄関の呼び鈴が鳴った。
ビーッ
という、何か引き裂いたような音に反応し、姫咲はパッと立ち上がり、来訪者を迎えに行く。
姫咲からの追及を逃れる事ができて少しホッとしながら、俺も姫咲の後に続いて玄関へと向かった。
「桂!!」
姫咲の驚きと喜びが入り混ざった声を聞き、
慌てて玄関を見るとそこに立っていたのは真夏だというのに日に焼けた形跡を見せない真っ白な肌をした美少女、桂だった。
玄関に立っているためか、後ろから光が射し込んでいて、まるで桂自身が輝いているように見える。
「桂……」
思わず、溜め息混じりに名前を呼ぶ。
桂が淡く、微笑んだ。
……モナ・リザみたいだ。
そんなバカな事を思うのは恋してるからか。
「姫咲、ただいま。それから希も……ただいま」
にこりと微笑む。
後ろから射し込む光のせいか、あるいは彼女の微笑が眩しいのか、俺は知らず目を細め、
「おかえり」
と一言だけ呟くように言った。
もちろん、姫咲は桂に飛びついて
「おかえり!!」
と元気いっぱいに彼女を出迎えた。
家の中に招き入れ、居間へ通す。
その時、桂が持っていた荷物を俺は預かって運んだのだが、その行動に桂が苦笑したのを俺は見た。
「やっぱり教育されてる」
とでも思ったのだろう。
その通り、この行動は姫咲による教育の賜物。
でも……相手が桂だからっていうのも理由に挙がるけど。
「おじさんやおばさんは?」
座るなり、ここの家主がいない事に気付いた桂は訊ねた。
「お稽古見てる。おじいさまとおばあさまはお墓参り兼デート♪やぁちゃんはお仕事で、私と希2人っきりだからもう暇で暇で」
身振り手振りで姫咲が大袈裟に説明し、溜め息まで吐いてくれた。
それに、桂がおかしそうに笑う。
小さく、小さく、笑う。
てか一緒にいるのが俺だとそんなに暇ですか?姫咲さん……。
いいけどさ、別に。
「でも桂、何で帰ってくるって連絡くれなかったの?」
今度は拗ねた顔で桂に訊ねる姫咲。
やっぱり、表情豊かな奴だ。
訊かれた桂は、少し微笑んだ顔のままゆっくりと答えた。
「携帯の調子が悪いみたいで、電池がすぐ切れちゃうの。だから学校にいる間に切れちゃって連絡取れなくて……。ごめんね?心配させたかしら……?」
「う〜ん……心配したのもあるけど、嫌われちゃったのかとすごく不安になった」
しゅん…とおとなしくなって桂を見る姫咲。
恋人同士じゃあるまいし、何を不安がるのだろう?
「嫌われる」なんて、ありえないこと。
「そんな、嫌ったりしないわ。姫咲の事、大好きよ」
にこりと桂が笑う。
すると姫咲はパッと輝くような笑顔になった。
「ほんと!?私も大好きよ、桂☆」
ぎゅうっと桂を抱き締める。
バカップルめ……
なんて、ただのヤキモチ。
桂が笑っていられるなら、これでもいいじゃないか。
「あ!そうだ!今日の花火大会、みんなで行こうね!」
思い出したように姫咲が言った。
8月13日、毎年この日は俺達が住む町で花火が打ち上げられる。
と言っても、もの凄く小規模なのだけど。
それでも小さい子供からお年寄りまで楽しめるお祭りだ。
俺達も幼い頃、社に連れられて何度か見に行った。
そう言えば、ここ3、4年は行った覚えがない。
久しぶりに花火大会に行くのも悪くないかもしれない。
そんな事を考えていると、桂が姫咲の言葉の中に何か引っかかりを見付けたのか、姫咲に訊ねた。
「“みんな”って?」
“みんな”という言葉が気になったらしい。
しかし、聞かずともその“みんな”が誰を指すのか、彼女には分かっているようだった。
表情が少しだけ、ほんの少しだけ固くなっている。
姫咲はそれに気付かず、上機嫌に答えた。
「私と桂、それから希とやぁちゃんの4人♪」
案の定、“やぁちゃん”……社の名前が挙がった。
一瞬にして、桂の顔が曇る。
「4人……?」
ポツリと、独り言のように訊ねる。
微かに、声が掠れていると思ったのは俺の気のせいだろうか?
「そう!久しぶりに4人で行こうよ!もうお義母さまにも浴衣、出してもらってるんだよ。もちろん、みんなの分ね♪」
何も気付かない姫咲は一人キャッキャッとはしゃいでいる。
そこで今度は俺が引っかかった。
「えっ?みんなって……俺も浴衣着んの?」
「当然!」
「えぇっ!?」
ヤダッ!ハズい!!せめてジンベエだろ!?この歳で浴衣なんて……しかも男で……絶対に浮くってぇ〜。
「それは俺、ちょっと……」
「却下!」
「……」
「ヤダ」と言いきる前にズバッと切られ、何も言えない。
姫咲様の権力は絶大だ。
「みんな……希も、来るのよね?」
俺と姫咲の会話が聞こえていなかったのか、桂が強張った表情のまま俺を見る。
その瞳は心細げに震えている。
桂……。
弱い桂を目にする度に、俺の心は痛くなる。
いっそ、腹を切って死にたくなるほどに。
でもきっと、桂は俺よりもっともっと痛いに違いない。
だから俺は我慢する。我慢して、微笑むんだ。
「うん、そうだよ。しかも浴衣着てね。だから、桂も行こう?姫咲達の中に一人だけ入るなんて、そんな勇気は俺にはないんだ」
桂を苦しめないように、少しおどけるようにして彼女を誘う。
桂、一緒に行こう?行っても、行動を共にしなければきっと、平気だよ。
だから、行こう?
心の中で強く、念じるように語りかける。
伝わるなんて思っていない。
伝わらなくていい。ただ、感じてほしい。
「希……。うん、じゃあ、行こうかな」
俺の気持ちを感じ取ったのかどうかは定かじゃない。
だけど桂はそう言って笑ってみせた。
心細いような、でもほっとしているような、そんな笑顔。
……少しは、俺の存在が彼女の安らぎになっているといい。
「やった!じゃあ決まりね♪そうだ、浴衣、今日の為に買ったんだよ、私と桂の分。ね、向こうに掛けてあるから見に行こう?」
桂の返事を聞くやいなや、マシンガントークの勢いで桂を奥の座敷に連れて行こうとする。
桂はそれに合わせて立とうとする姿勢を見せながら、
「ええ。じゃあ、先に行ってて?」
そう答えると、姫咲はウキウキとリビングを後にした。
「桂、どうかしたの?」
一緒に行ってもよかっただろうに、ここにしばらく留まる事にした彼女を不思議に思い、訊ねた。
「え?ううん、どうもしないわ。ただ……姫咲のいる前では言えないから……」
「え?」
言っている意味が分からず、聞き返す。
すると桂は、少し照れるかのように笑って、
「ありがとう、希」
と言った。
最初、「ありがとう」の意味が分からず、キョトンとなった。
でもすぐに、さっきのやり取りの事を言っているのだと思った。
「気を遣ってくれて、ありがとう」
ということだろう。
別に、気を遣ったわけではない。
正直に言えば、桂の浴衣姿が見たいという下心もあった。
桂、もし今日、君がとてつもなく傷ついたりしたら……それは全て俺のせいだよ。
だからその時は容赦なく、俺を罵ってくれていい。
だから先に謝っとくよ。
傷付けるようなことして、ゴメン。
「かつらー!」
奥から姫咲の桂を呼ぶ声が聞こえる。
辛抱の足りない奴だ。
呼ばれて、桂は俺に少し笑う事で姫咲の元へ行く事を告げ、
勝ち気で我が侭な、だけど誰からも愛される愛しい妹の所へと向かって行った。