第12話:社と希の会話
「……返事、してないんだけど」
「入るぞ」と言ってすぐに入ってきた社に、一応注意する。
した所で何の効果もない事は百も承知であるが。
「そう固い事言うなって」
困ったように笑って、机に向かっている俺の頭をくしゃりとする。
姫咲といい、社といい、友人2人といい……
俺の頭はそんなに撫でやすいですか?
確かに一番チビだけど……。
「常識だと思うけどね?」
「まぁまぁ、いーじゃん、兄弟なんだし。恥ずかしい事は何もない!ま、女といる時は別だけど」
そう言ってウィンクをすると、机の横に付けているベッドに腰掛けた。
我が家で俺の部屋だけが様式で、あとは全部和式だ。
なぜ、俺の部屋だけがそうなのかは知らない。
ただ……昔からそうなのだ。
社は嫡男と言う事もあってか、幼少の頃よりお茶の稽古に出ていた。
それに引き換え、次男だからなのか、それとも社と9つも離れて生まれたせいなのか、
あるいはそのどちらもなのか知らないが、俺はたしなむ程度を遊び半分で教わっただけ。
それは今も変わらず、俺の気が向いたらやろうか……程度でしかない。
俺にお茶のセンスがあるとは思わないが、ここまで両極端だと疑問もわく。
だから以前、この事について両親にも祖父母にも訊いてみた。
しかし、うまくはぐらかされて終わり。
何か隠す理由でもあるのだろうか……?
不信感は強まるばかりだ。
だからなのか、最近の俺は社にとって可愛くない弟だと思う。
また、両親らに対しても、可愛くない態度を取っている気がする。
……いわゆる反抗期?
自分でもよく分からない。
「……で、何の用?」
机に向かったまま訊く。
明日の補習の予習を続けようとするが、頭が勉強を拒否して手が進まない。
頭も、神経も、これから話そうとする社に向かっていて、何だかんだ言いつつ、兄弟だなと思う。
2人して、好きな娘を守ろうと必死になっている。
兄弟って、似るもんだ。
「ん〜、大した用じゃねぇけど……」
「大した用じゃない」?嘘ばっかり。
そう思っても、黙って続きを待つ。が、大体の予想は付いてる。
「今日、桂と会う事何で黙ってた?」
ほらやっぱり。姫咲と桂の事。
やっぱり……姫咲本位だよなぁ、兄ちゃん。
「何でもかんでも言わなきゃいけないの?」
質問に質問を返す。あんまりいい事じゃない。
可愛くない。
「別に、そういうわけじゃねぇけど、姫咲が……ヘコんでんだよ」
「姫咲か?」
思わず聞き返した。
だって、あの天真爛漫を絵に描いたような姫咲が、“ヘコむ”……?
うそだぁ。
「姫咲が。ホントに」
俺が「うそだぁ」と思ったのが分かったのか、社はまた困ったように笑う。
「希には分かんないかもしれないけど、俺には分かるんだよ」
そう言って、社は目を伏せた。
今日一日を……桂と会って別れてからの姫咲を、振り返っているに違いない。
「俺には、今日の姫咲はやたらと元気に見えたけど?」
正直な感想を述べた。
実際、今日TOYOSHIMAで会った時も、家に帰ってきた時も、姫咲のテンションは高かった。
……テンションが高いイコール、姫咲は元気っていう方程式は成り立たないって事?
「まぁ、パッと見は元気だよな。目なんてキラキラさせて話すし、よく動くし」
何か思い出したのか、社がクスッと笑う。
でもすぐに真顔になって、
「……でも、実際は違う。ま、どう違うかは内緒な。お前まで姫咲に惚れられちゃヤだし。
でもヒント!落ち込んでるから無理矢理テンション上げてるなんていう単純なもんじゃない」
にやり。と社が笑う。
意味不明だ。
「ヒントって……ヒントじゃないし、そんなの。てか、絶対に姫咲に惚れたりしないし」
断言してやる。当然だ。
俺が惚れてるのは……心を痛めてすらも想ってしまう人は、桂しかいないんだから。
「そんなつっぱねるなって。ま、とにかく、俺には……俺だけには分かるのよ、姫咲の気分が」
愛しい姫咲を思って優しく笑む。
兄ちゃんがモテるわけが、なんとなく分かった。
カッコイイわ。
「兄ちゃんにだけ、ねぇ……」
「うん」
社にだけ伝わる姫咲の心?俺にだけ伝わる桂の心?
その反対はないのだろうか。
でも、確かに「愛しい君の心」を感じ取る力が俺達兄弟にはあるようだ。
俺も、桂の気持ちを考えるし、社も姫咲の気持ちを考える。
互いに、カワイイ彼女を中心にして物を見ている。
やっぱり、兄弟だ。
「で、元気印の姫咲がヘコんでるって、どうして?」
本題に戻す。
「ああ……」
社はいっとき、何と言うべきか言葉を探して黙り、素直に俺は待った。
数十秒後。
「姫咲と桂、それこそ頻繁にってわけじゃねぇんだけど、メールでやり取りしてるの、知ってるか?」
と、どこか本題から逸れたような質問をしてきた。
メール……そう言えば、そんな事を聞いた気がしないでもない。
「うん。直接そういうふうに聞いたわけじゃないけど……ああ、もしかしてそのメールってほとんど姫咲からのだったり?」
「そ」
俺の質問に簡潔に答える。
答えを聞いて、なんとなく分かった気がする。
社が言わんとしている事が。
「もしかして、姫咲の事だから自分の一方的な話をメールで送ってたり……?」
最後まで言わず、目で訊ねる。すると案の定、
「そう」
と、なんとも困っているような表情で頷いた。
そうだ。姫咲の事だ。
どうせ、いやきっと、絶対に、メールの内容のほとんどが社絡みに決まってる。
「やぁちゃんと」「やぁちゃんが」「やぁちゃんに」「やぁちゃんは」……そんな言葉で始まるメールがすぐに浮かび上がる。
「しかも桂は桂で、姫咲の話に相槌打つとか質問に答えるばっかみたいで……つまり今日の事も、聞いていないんだよ。希からはもちろん、桂からも」
なるほど。合点がいった。
つまり社が言いたい事は、今日俺と桂が一緒だったという事を事前に桂が姫咲に報せておらず、
しかも俺も言ってなくて、さらには偶然会う事がなかったらもちろんその事を知らなかったかもしれない姫咲が、だからヘコんでる、
とそういう事だ。
桂、メールしなさそうだもんなぁ……
「つまり俺って、とばっちりだよね」
ちょっとゲンナリして言うと、
「ま、そうとも言うな」
と事も無げに社は応えた。
……兄ちゃんは俺の事がカワイくないと見える。
「でもお前が一言でも言ってれば……」
「言うわけない」
社が最後まで言い切るのを途中で打ち切る形でズバッと言った。
言ってしまって後悔。
ほら、彼は驚いたように目を丸くして俺を見てる。
俺だってビックリだ。
「……何で?」
訊かれる。
当然だろう。
「気分」
だから、「言うわけない」と言った同じ調子でそう言い切る。
できればなぁなぁで終わらせたい。
だから深い理由が必要ないと思われる言葉を選んだ。
「“気分”って……お前……」
案の定、社は呆気にとられて何も言えない。
「いいじゃん、別に。俺はね、いい加減うんざりしてるんだよ、姫咲にね。ある意味桂にもだけど……でも特に姫咲は、兄ちゃんがいるんだし、そろそろ桂離れすべきだと思う。兄ちゃんは、そう思わない?」
少しだけ、俺の本音をさらけ出す。
この事だけは、言ってていいだろうと思うから。
いや、言っておくべきだ。だって社は姫咲の夫で、たぶん彼も、少しは考えている事だろうから。
「希……お前って、もしかして随分と大人なのか?」
「は?」
社の言葉が俺の期待していた言葉でなかった事、且つ意味不明な為思わず間抜けな声を出してしまう。
いやいや兄ちゃん、つっこみ所違くねぇ?
と心の中でつっこんだ所で本に分かるはずがない。
「いや。そりゃ俺も2人についてそういう事考えるけど……でもそれって結構最近のことだぜ?2人が高校入って離れてしまってからやっと、姫咲の桂依存度が明確になったから、そういうふうに考えるようになったけど……」
「俺だって同じ頃に考え始めたよ」
「お前、希、今いくつだ?」
「15」
「……精神年齢高過ぎなんじゃね?」
俺の心はおっさんだと言いたいんだろうか。
「そういうあんたはいくつ?」
ちょっとムッとしたので反対に訊ね返す。
「今年で25」
「精神年齢低過ぎなんじゃね?」
「……言うねぇ、お前も」
「兄ちゃんの弟だしね」
「俺って、イヤミ?」
「自覚なし?」
「うん」
「タチ悪」
「すまん」
「……」
「……」
何だか変なやり取りをしてしまって、2人して押し黙る。
いや、だからそういう事話したいんじゃなくて……てか本題から逸れまくりだから!
「いや、てか、そうじゃなくてさ、結局兄ちゃん何を言いに来たわけ?」
とりあえず本題に戻す。
社は「ああ」と思い出したように小さく声をあげ、改めて俺の方を見た。
「ま、つまり俺が言いたかったのは……俺は姫咲を傷付けたくない、ってことだな」
「は?」
いや、話が飛んでないか?いっきに。
俺の疑問が顔に書かれてあったのか、社は小さく笑って続けた。
「さっき希が言った事、俺言うつもりだったんだよ」
「え……」
驚く俺に、また社は小さく笑う。
笑い方がどことなく、桂に似ている気がする。控え目に笑う所が、なぜだか似てる……?
ふと思い出した。
小さい頃、それこそ幼稚園ぐらいの頃、その頃まで桂は、社に素直に好意を抱いていた事を。
なぜ、今のようになってしまったのか。
新たな疑問が浮上した。
そんな俺に気付かない社は、さらに話を続ける。
「うん。そう、だからさ、俺も桂と引き離してあげたいわけよ、姫咲を。
だから……できるだけ今は、会わない方がいいだろうな。
卒業するまでに、どうにかこうにか諭そうと模索中☆」
言って、ウィンクする。
俺にしてどうする。
ドキリ!
なんてしないぞ!
てかむしろ寒気が……いや、ウソ、冗談です。
「それでできるだけお前にも協力してもらいたいなって思ってさ。
言うまでもなかったみたいだけど。
ただ、今日みたいに希とか、姫咲も知ってるような人といるとバッタリ……というのは避けたい。
姫咲が傷付く。ああ見えて意外に、弱いんだ」
姫咲の傷を思ってか、社が辛そうに眉根を寄せる。
本当に惚れているのだと実感する。
「うん……分かった。俺だって、気持ちは同じ」
「え?」
今度は社がワケが分からない、という顔をする。
「ま、いいじゃん?利害一致って事で。てか俺、明日の予習しなきゃなんだけど」
「え?あ、そうか。そうだよな。悪い、邪魔した。じゃ、明日な」
「おやすみ」
「おう。おやすみ」
社が納得して切り上げたかどうかはさて置き。
俺の言葉、あまり深くとらないでくれればいいけど……。
それにしても姫咲のやつ、随分と愛されてるじゃないか。
何が足りなくて、何を求めて桂を繋ぎ止めようとしてるのだろう?
それとも無意識?
じゃあ、その意識下で、何を思っているんだろうか。
桂と離れる事が、ワケもなく不安なのだろうか?
……そうかもしれない。
人と繋がっておく為に、理由はないのかもしれない。
それはもう本能みたいなもので、
恋愛みたいなもので……
なぜ好きになったの?
と訊かれて答えきれないのと同じことなのかもしれない。
だとすると、厄介だ。