12、KSF(鶴城ケ丘スポーツフェスティバル)③
その少女の姿を捉えた瞬間、全身が凍ったような感覚に襲われた。
機械のような瞳。
機械のような表情。
いや、彼女はホンモノの『機械』だった―――
「那雲…?」
傍らにいた湖華が、硬直している那雲に不審そうに瞳を向ける。
行きかう雑踏のせいで、彼女には機械人間『早峰沙帆』の姿は見えない。
張りつめていた糸が切れた瞬間、脳裏に浮かんだ言葉はただ一つ。
危険、と―――
「……ッ来い!!」
考えるよりも身体が先に反応した。
ぐい、と湖華の華奢な腕をつかんで乱暴にひっぱる。
「どうしたん?那雲、何が――」
「いいから黙って来いッつってんだろ!!」
怒声を張り上げると、小さな肩がピクッと震えた。
そのまま脱兎のごとくの勢いで那雲は湖華の手を引いて走る。
生徒達を押しのけ、運動場の土を蹴り上げ。
あいつは危険だ。
本能がそう叫んでいた。
逃げなければいけない。
那雲が逃げている先は、人気のない中庭だった。
とにかく人の少ない所に行かなければならない。
KSFを楽しんでいる生徒達を巻き添えにするのだけは避けたかった。
(巻き込まれるのは、俺だけでいい!)
乱れてきた呼吸を押さえつけ、額の汗を拭う。
ここは、中庭に続く道の一つだ。通路の端には数本の木が植わっており、涼し気な木陰を無数に作り出している。
湖華もそうとう疲れたのか、息を整えていた。
「なあ…何なんや那雲…」
紅潮した頬を伝う汗を拭いながらこちらを見据える。
「見ちまったんだよ…ッ機械人間を…!」
「!?」
湖華に驚愕の色が現れる。
「ホンマか!?何処でや!?」
「校庭の端…紫組の応援席の所だ」
湖華はガリ、と自分の爪を噛んだ。気が付かなかったことに自己嫌悪を感じているらしい。
「……で、此処に逃げて来たいう訳やな」
「ああ」
盛大な溜息をつく湖華。
「アンタは本物のアホか!?」
「は…ッ?」
いきなり睨み上げられ、思わず口から漏れる疑問符。
「あそこにはまだ影也がいるんやよ!?何でアイツに知らせんと来た!?」
「はあ?別にあいつなら何とかなるだろ?」
「何でそないな事言いきれる!?」
那雲が発した言葉は本心からだった。
あいつは強い。機械人間一人に倒されるほどヤワではないだろう。
それに、影也の洞察力は人並みを超えている。異変にはすぐに気付いていち早く手を打つはずだ。
「相手は一人やないかもしれん、アイツ…蔭艶だっておる!!」
「でも、まだアイツは敵と決まった訳じゃ」
「黙って聞き!!」
一喝され、那雲の反論は遮られた。
「那雲は油断しすぎや!あいつらはウチ達…いやアンタを捕えにくるんやよ!?もっと気ィ引き締めんか!!」
「……ッ」
那雲は言い返せない。拳を堅く握りしめたまま唇を噛んだ。
それでも、俯きながら言葉を紡ぐ。
「……俺はどうなってもいいんだよ、どうせ最後は奴らの良い様に使われる運命だ」
込み上げる気持ちを押さえつけ、顔を上げて湖華の瞳を射抜く。
「でもよ、この鶴城ケ丘の生徒達は何の関係もない!だったら守らなきゃいけねぇだろおが!!俺が死んだとしても!!」
「………」
湖華の表情は硬いままだった。だが一瞬泣きそうな顔をして、それを振り払うように那雲を睨みつける。
「だからアンタはアホ言うてんや!何が俺が死んだとしてもや!何で死ぬことが前提なん!?何でいつも自分だけで抱え込む!!」
「…湖華」
「アンタは自分の価値観を全然理解しとらん大馬鹿者や……ッ」
「湖華、もういい」
「アンタが死んだら悲しいと思う奴もいるんや!それを忘れんな!!」
「もういい!!」
湖華に負けない大喝で言い返すと、彼女の表情がフッと緩んだ。
だがそれも一瞬のこと。
堪えきれなくなったように顔をゆがめると踵を返して走り出す。
那雲をその場に一人残して。
沈黙の訪れた空間。ザア、と木々が那雲を戒めるかのごとく揺らいだ。
血が上った頭が覚め、ようやく我に返ると自分がした言動に気付く。
「…ッ畜生…!俺は……また、アイツに…ッ!!」
思い浮かぶのは、皮肉にも湖華や影也に初めて会った時のこと。
『覚えていますか?那雲君は、初対面の僕にいきなり殴りかかって来たんですよ』
「馬鹿か…ッあの頃となんにも変ってねぇじゃねぇか…!!」
堅く握りしめた拳は皮膚を突き破り、朱の色を垂らす。
悔しかった。
また同じことを繰り返してしまう自分が。
「畜生……!!」
自分が次にすべきことは何なのか。
那雲は必死に湖華がいなくなった方向へ向けて走り出す。
答えはもう、決まっていた。
影也は、すぐにその異変に気が付いた。
二人の突然の失踪と疾走。
湖華の手を引いて慌てて逃げる那雲を遠目に目撃した。
おそらく、那雲達は奴らと出会ったに違いない。
ならば、すぐに二人と合流しなければ。
単体で行動することは、デメリットしか成さない。
それにあの那雲の慌てぶり―――今の彼は情緒不安定だ。なおさら共に行動をした方が賢明である。
そう思い、意識を集中させて瞬間移動を実行させようとした時。
『逃がさない』
割り込んだ声は、氷のように冷たい。
頬にあたる冷たい感覚。銃口を押し付けられた、と適当に予想した。
「これはまた…結構なご挨拶ですねえ、早峰沙帆さん?」
『三苑影也…貴男は邪魔な存在です。よって、私がここで排除します』
「へえ、僕と殺る気ですか?その勇気は誉めてあげてもいいですよ」
気楽な調子で言い、艶麗に微笑む。
「でも、場所は選びませんか?ここは青組の応援席です」
辺りには青組のハチマキをまいた生徒達で混雑している。こんな中ではフルに暴れることはできない。
多分今影也が銃口をあてられているのに誰も気付かないのは、彼女が体操服のそでに上手く隠しているからであろう。
そもそも、機械人間などという代物はこんな所で目立ってはいけない。
機械人間――沙帆は少しだけ眉を寄せた。
――その瞬間を、彼が見逃す訳がない。
『!?』
即座にテレポートを実行。彼女の視界から消え去る。
『目標、確認――』
「チッ、さすがにやりづらいですね!」
人ごみの中では瞬間移動しても気付かれにくいものの、身動きがとりずらい。
一旦応援席を離れ、完璧に無人であろう運動場端の体育倉庫に逃げ込んだ。
だがそこは体育倉庫といっても八畳ほどの広さしかない。太陽の光が僅かに漏れる薄暗い場所で、足元にはボールやバッドなどが散らばっている、
ハッキリ言って戦うにはかなりキツイ場所だった。
でも。
(ここで僕が食い止めなければ、機械人間は確実に那雲君の元へ行く)
―――戦うしかない。
『目標を完全に補足。即時に戦闘準備を開始』
薄暗い闇の中、無機質な少女の声が響く。自分を見据えるのは、感情のない二つの瞳。
(倉庫の構造からして瞬間移動の範囲は限られる。でも、これだけ物があれば自分を守る盾として使用することも可能)
勝算は、五分五分といった所だろうか。
とにかく、やるしかなかった。
『第一次攻撃開始』
ジャコッ!という音がしたかと思うと、連続して爆音が響いた。
外に漏れない程度の音だったが、衝撃を緩和しきれない壁に亀裂が走った。
影也は瞬間移動で攻撃から逃れると、彼女の背後に回り込む。
手元に先ほど触れた野球バッドを出現させると、思いっきり振りかぶる。
だが、ガッキイイイン!!と甲高い金属音と共に影也の攻撃は防がれる。二本の太いアームが、器用にバッドを受け止めていた。
「く…ッ!」
沙帆は身体をひねって影也の方を向くと、腕から新たな武器を生やした。
それは人間の顔ほどの太さがある棍棒だ。彼女が動くたびに鳴る機械音が耳につく。
(マズ…ッ)
喉の奥で嫌な息が鳴った。横殴りに棍棒を振り回され、影也の華奢な体に激突する。
「グア…ッ!!」
口の端から一筋の朱が漏れた。殴打された腹部の感覚が一瞬消え、すさまじい激痛を呼び起こす。
だが倒れている暇などあるはずがない。すぐさま第二の攻撃が来る。
(この倉庫内の戦闘は分が悪すぎる!)
瞬間移動など、言ってしまえばただの移動能力だ。
離れているところへ一瞬で移動する能力。
だがそれも近距離戦ではなんの意味もなさない。なんせ行動範囲に限りがありすぎるからだ。
(ここは一旦引くしかない!那雲君達と合流しなければ悔しいが勝ち目はない)
動くのも酷な影也はなんとか震える二本足で立ち上がる。
棍棒が、再び迫ってきた。
彼は目を閉じ、集中する。
そして、その場から『逃げ』という名の瞬間移動を実行した。
閑散とした廊下は、不気味なほど静かだった。
今だ探している湖華の姿はない。
ここは三階の廊下、つまり三年生の階だ。
運動場から聞こえる応援や歓声など、那雲の耳には入らない。
「確か…ッこっちに逃げたはずだ…」
広い廊下を走り、教室の一つ一つを念入りに確認していく。
早く見つけ出さなくては。
ただでさえ奴らが跋扈しているかもしてないというのに―――
と、そこで那雲の思考は一旦途切れた。いや、途絶えた。
三番目の教室の扉を勢いよく開いた瞬間。
『ソレ』は、視界に飛び込んでいた。
探していた彼女の姿。
だが、その瞳には溢れんばかりの涙が溜まっている。
理由は明白だった。
彼女は後ろから抱かれた状態で、無理矢理キスされていた。
紀崎蔭艶。
苦しそうに身をよじる彼女を押さえつけ、蔭艶は湖華に口付けを繰り返す。
舌を絡め取るように。
彼女の身体を貪るように。
その光景を見て、心の中の何かが音を立てて切れる。
見えないチカラが、体内を蹂躙する。
静かに、でも重々しく、彼を中心に風がゆっくり起きた。
やがて、それは漆黒の竜巻ともいえる突風に姿を変えていく。
漏れる言葉は自分でも驚くほど、低くて黒かった。
「………その女を………放せ……」
スミマセン!更新遅れました!
何か出だしがデジャヴなのは気にしないで下さい。
頑張れ自分、頑張れ受験生。
更新ペースはどうすれば上がるのでしょう。