校正者のざれごと――ジョハリの窓と私の知らない私
私は、フリーランスの校正者をしている。
先日、前職の同期たち数人と飲む機会があった。彼らと仕事をしていたのはまだ20代の頃。創業間もない会社だったせいか、若い社員が多く活気があり、仕事というよりまるで大学のサークルのような雰囲気があった。昔懐かしい話に花が咲き、お酒も進む。
気分のよくなったひとりが、若い女性店員に絡むように話しかけた。すかさず私は、強めにたしなめる。「ちょっと、やめなさいって。そういうの、良くないでしょ」
すると、別のひとりが笑いながらひと言。
「らいか、そういうところ、変わらないね」
まわりもうなずいている。昔からそうだったよね。いつも言いたいことをはっきり言う。
あれ? 私、そんなふうに見られていたっけ。つられて笑いながら、ふと考える。
「ジョハリの窓」という心理学モデルがある。社会福祉士の本にあったものだ。自己分析によって「自分から見た自分」と「他人から見た自分」の違いを知ることで、円滑な人間関係を築こうとするフレームワークだ。そこでは、こんな分類が用いられている。
開放の窓: 自分も他人も知っている自分。
秘密の窓: 自分は知っているが、他人には知られていない自分。
盲点の窓: 他人は知っているが、自分は気づいていない自分。
未知の窓: 自分も他人もまだ知らない自分。
他人に自己開示をすることで、「秘密の窓」を小さくし「開放の窓」を広げることがコミュニケーションには大切だという。さらに、他人から自分に対するフィードバックを受けることで、気づきが生まれ、「盲点の窓」が「開放の窓」へと変化していく。
同期たちが知る「言いたいことをはっきり言う」私は、私自身が忘れていた私の姿だった。退職後に校正プロダクションに所属し、在宅勤務で人と接することのあまりないいまの私は、たぶんそんな昔の姿とはかけ離れている。いうなればそれは「盲点の窓」。
自分のことは自分がいちばんよくわかっている。そんな思い込みが覆される瞬間だ。
懐かしい話で気分がよくなったので、ここでちょっと脱線して、校正者ネタを。
私は文章を書くとき、意図的にヒラク(ひらがなにする)言葉がある。たとえば「なか」や「いま」。「いちばん」は副詞的に(「副詞的に」は「最も」と言い換えるとわかりやすい)使うときはひらく。「たぶん」「おもしろい」もしかり。ひらがなが多くなる。
ただ、ひらがなを多用した文章は、校正者にとってはちょっと鬼門で、やっかいなのだ。いくつか実例を挙げてみる。
「このように、かたかなを用いた表記のしかたがよりわかりやすいとされおり……」
「整理整頓には、つねに身のまわりをきれいにすることともに不要なものを買わない……」
「これらの図は、季節とともに変化するようすをあわらしたのものであり……」
どれも、最近校正した文章にあったものだ(文章は加工済み。後出も)。漢字の誤植ばかりに気を取られていると、こういったひらがなを見落としてしまいがちだ(同業者のみなさん、「は? ふつう気づくよね」なんて言わないでくださいね)。
ちなみに正しくは、されおり→されており、ことともに→こととともに、あわらした→あらわした、のものであり→ものであり、となる。
3月の終わり。桜は満開を迎え、校正プロダクションでも久しぶりにお花見ならぬ宴会が催されることになった。10人ほどでテーブルを囲み、飲み物を注文する。
一見お酒なんてあまり飲めなそうなメンバーが多いが、みんなふつうにアルコールを注文している。そんななか、ひとりウーロン茶を注文する男性がいた。校正者には珍しくがっしりした体格。スポーツか何かの経験者なのかもしれない。いままであまり話したことはなかったが、思い切って聞いてみた。「お酒、飲まないんですか?」
「……じつは、アルコールを受け付けない体質なんです」
意外な答えだった。見た目に反してお酒が飲めないことで、苦労も多かったという。
となりに座った女性は、「最初は、やっぱり生ビールですよね」と美味しそうに口にしている。彼女は以前「校正者のざれごと――活字中毒とPV依存症」に登場した「私、活字中毒なんです」と答えた人。読書量に比例して、話題も豊富だ。ベテラン校正者である彼女に思い切って聞いてみた。「ひらがなが多い文章って、こわくないですか?」
すると、彼女は「そうなんですよね。すごくわかります」と同意してくれた。よかった、私だけじゃなかったんだ。お酒の力もあってか、いままで知らなかった校正者たちの一面をいろいろと知ることができた。「秘密の窓」がいくつか開いた感じ。
翌日、彼女が「小山さん、これ知ってます?」と携帯の画面を見せてくれた。そこには、新聞の切り抜きのような記事の一部が表示されている。哲学についての文章だ。
「……は全ての学問において共通する……もろちん哲学においても……」も、もろちん?
気づいた瞬間、大笑い。「これはまずいですよね」やはり、ひらがなは危険なのだ。
今日も校正プロダクションの事務所はしんと静まり返っている。みんな自分のゲラ(校正紙)に集中している。昨日の宴はどこへやら。でも、またあんなふうに話せる機会があれば、もう少し「窓」は開くかもしれない。あわよくば自分の知らない「未知の窓」も。




