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その9

 ……部屋に人が入ってくる気配がした。眠っていたのは、せいぜい一時間程度だろうか。起きたものの、眠くてまったく目が開かない。

 それでも、シャワーを浴びたばかりの上品で清らかな香りに、シルヴィアが寝室に入ってきたのだと分かる。このスズランの香りは、昔からシルヴィアのお気に入りだ。馴染んだ香りに包まれ、ゆっくり心が落ち着く。


 少し経ってから細く目を開いた。シルヴィアは、眠るアリアに気を使ってできるだけ物音を立てないようにしながら、ドレッサーの鏡に向かい合い、簡単なスキンケアを施していた。


「……シルヴァ」


 小さく声を掛けたが、さっきまでうたた寝していたせいで、思ったよりもかすれた声になった。丁寧にクリームを塗っていたシルヴィアは、それを聞いて驚いたように振り向いた。


「びっくりした。寝てたんじゃなかったの、アリア」

「寝てたけど……シルヴァが来たから」

「ごめんね、起こしちゃって。すぐ終わるわ」

「そうじゃなくて……少し、話したくて」


 横になったままそう言うと、シルヴィアは鏡に向き直って「うーん」と小さく唸った。


「明日にしない?あんた昨夜もあんまり寝てないでしょ」

「シルヴァ、ラトス様と付き合ってんの?」


 渋るシルヴィアには構わず、気になっていたことを切り出した。シルヴィアは「あら」と言うと、振り返ってチラリといたずらっぽい笑顔を見せた。


「何よ。恋バナ、する?」

「……うん。しよう、恋バナ」


 囁くような声で答えた。シルヴィアはそれを聞くと、ふふっとくすぐったそうに笑って、時計を見た後、もう一度鏡の方を向いた。


「そうねぇ、明日はアリアもお休みだし、久しぶりにゆっくりお寝坊しましょうか。これだけ済ませちゃうから、あんたもパジャマに着替えちゃいなさい。いつ寝落ちしても大丈夫なようにね」


 アリアがゆっくり寝巻に着替えている間に、シルヴィアは手早くスキンケアを済ませると、階下から何やらいろいろ抱えてきた。その中の、小さめの枕くらいの大きさの巾着を一つ、アリアへ手渡す。手に取ると、重くてじんわりと温かい。


「わ……湯たんぽだ」

「いいでしょー。これ、年末に物置を整理してたら出てきたのよ」


 シルヴィアも自分の分の湯たんぽを抱え込みながら、小脇に抱えたガラス瓶を取り出して見せた。茶褐色の液体が、瓶の中でとろりとした輝きを放つ。りんごが丸ごと入ったブランデー、カルヴァドスだ。


「これは、私の眠れぬ夜のお楽しみ」

「おー、完璧じゃん」


 二人でベッドに座り込んで笑いあった。どこからか出してきた二つの小さなグラスにブランデーを注ぎながら、ゆっくりとシルヴィアが話し始めた。


「あのね。あんたもセイアと大晦日の夜、デートだったでしょ。あの日、私もラトスに誘われたのよ。こっちだと人目につくからって、ラトスが中央国まで連れてってくれたの。二人乗りワープ、ってヤツ?」


 アリアは頷いた。確かにあの日は、シルヴィアもおめかしをして「私もデートよ」と言っていた。「誰と?」と聞いても答えてくれなかったのを覚えている。


「それにしても、あの、二人乗りワープって結構酔うのね!三十分くらい、気持ち悪くて動けなかったわ。何回かやって、ちょっとだけ慣れたけど」

「あー、あれは確かに。……じゃあ、やっぱりシルヴァの相手ってラトス様だったんだ」


 ラトス・ティスキンは、アリアが五歳から十歳くらいの間、面倒を見ていてくれた人のうちの一人だ。『セラディ・ソーサラーズ教会』という宗教団体の中では『青魔』と呼ばれる。組織の中では一番高い地位についている人だが、実際のラトスの人柄はがさつで大雑把で、どこからどう見ても神聖とは言い難い。


「それでね、その日はデートだけだったんだけど、何日かして、正式にラトスからお付き合いの申し込みがあって。……悩んだんだけどね。でも、最初のデートですごくいい人なのは分かったし、お試しでもいいからって言われて、思い切って受けることにしたの。……最終的に、アリアの気心が知れてる人だってことが、決め手になったかなぁ」

「えー、そんな、俺関係ないじゃん……」


 思わず言ったが、シルヴィアの気持ちも分かる気がした。アリアがセイアと知り合ったのも、シルヴィアがきっかけだ。この面倒見のいい同居人の知り合いだというだけで、数割信頼感が増す気がする。

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