その2
ゼビアはしばらく黙っていたが、やがてのろのろと口を開いた。
「……なるほど、そういうわけね。じゃあ、アレか。今噂になってるヤツが本命ってことか」
「は?何か噂になってんの?知らんけど」
アリアはそう嘯いて横を向いたが、嫌な音を立てて心臓がざわめいた。さすがにこの『噂』について何も心当たりがない訳ではない。
「すっとぼけんなよ。年越し花火の時、見慣れないヤツとデートしてたって聞いたぞ。えらい女っぽいかわいいカッコしてたらしいじゃん、おまえ。しかも花火見ながら、キスしてハグしてたって」
思わず天を仰いだ。噂になるだろう、とある程度覚悟はしていたものの、まさかこんな形で聞かされるとは思わなかった。
だがまぁ、今ゼビアが口にしたことはすべて事実だ。下手に尾ひれが付いていないだけ、ありがたいと思うべきかもしれない。
「ひょっとしておまえ、それを確認するために俺のこと追っかけてきたの?ていうか、そこまで聞いてるなら、いちいち確認するまでもないだろ。だいたい、おまえだってちゃんと彼女いるじゃん」
ゼビアの彼女については、町の若者たちの情報網で耳に入っていた。薄茶色の巻き毛をした、ティファという名前の可愛い少女だ。ただしアリアの見立てだと、性格は良くはない。
これで話は終わり、というつもりでゼビアの方を見たアリアは、彼が思ったよりも傷ついた顔をしていることに少なからずうろたえた。
「……ティファとは別れたよ。だって俺、アリアと付き合えるって思ってたし」
下を向いて、ぼそぼそと呟くようにそう話すのを聞いて、軽く息を呑んだ。後悔に似た苦い思いが胸を覆ったが、だからと言って今のアリアにできることは何もない。
「知ったことか。まぁティファもかなり性悪っぽいし、別れて正解じゃねぇの?」
そっけなくそう言って身を引こうとすると、不意にゼビアがキッと顔を上げ、乱暴に腕を伸ばしてアリアの肩を掴んだ。
「ふざっけんなよ、このビッチが!」
さすがにここまでが限界だ。これ以上会話を続けてもこじれるだけだろう。アリアは思い切り強く体を捻ってゼビアの手を振り払うと、瞬時にワープを使った。
この国―――――オズの国には、昔から一定数の魔術師が存在する。アリアもその一人だ。見た目はほぼ普通の人と変わらないが、唯一耳が尖っていることだけが外見で判断する際の特徴と言えるだろう。そして、瞬間移動すなわちワープについては、基本魔法としてほぼすべての魔術師が使うことができる。
アリアの姿をふわっとした緑色の光が包み込むのと同時に、ゼビアの前から彼女の存在が消えた。代わりに、少し離れたとある居酒屋の扉の前に同じような緑色の光が現れ、その光の中から軽く着地するようにしてアリアが姿を見せた。完璧なワープだ。これが使える限り、よほどのことがない限り危ない目には合わない。
だが、うまく逃げられたという爽快感はなかった。ビッチ呼ばわりされたことにも腹が立ったが、それ以上にゼビアの傷ついた顔が目の前にチラついた。
(ばかだなー、彼女と別れたのか、あいつ……)
小さくため息をつき、複雑な気持ちで、居酒屋『アルテミス』の裏口に回り、扉の鍵を開けて中に入った。アリアは現在、この居酒屋店主のシルヴィアという女性の元で居候させてもらっている。だが、今日は休業日で、店内にシルヴィアの姿は見えない。夕食は外で食べてくる、帰りはかなり遅くなる、と仕事に出る前に言われていた。
ぼんやりと、誰もいない暗い店内のカウンター席に腰を下ろした。シルヴィアもいないし、夕食をどうするか考えないといけない。だが、何だかとても疲れていた。
外套のポケットからタバコの箱を取り出し、一本咥えた。左手の親指と人差し指を軽くこすり合わせると、緑色の小さな火が灯る。その火をタバコの先に移し、ゆっくりと煙を吸い込んだ。
一人でいるのは嫌いじゃない。それに、一人でいれば誰かに迷惑をかけることもない。でもずっと一人でいることに、弱い自分の心が耐えきれないことも分かっていた。現に今も、会いたい人の面影が浮かぶのを抑えることができない。
(強くなりたい。誰にも頼らずに生きていきたいのに、なんで俺は)
メンソールの香りの煙を深く吸い込みながら、心に蓋をするかのようにきつく、きつく目を閉じた。
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