05 始まり
「それで? 依頼は引き受けたのかい?」
マダムがぶっきらぼうに訊いた。
アッシュとの話を済ませ、カウンターに戻ってきたキティは不貞腐れた顔で頬杖をつき、もう一方の手で情報器を弄んでいた。
「どうせ聞いてたでしょ、マム。やるよ。やるやる。やりますよー」
マダムは先のやり取りをすべて聞いていた。
ブース席はカウンターから離れているため、会話は聞こえないはずなのだが、マダムには関係無い。〈フロントライン〉内での会話はなぜかすべてマダムに筒抜けで、隠し事はできないのだ。前に一度、どうやっているのか訊いたことがあったが、『情報屋ならこんな芸当できて当り前だね』と誤魔化され教えてもらえなかった。
今回の依頼報酬は破格だ。しかし、内容がきな臭すぎる。高額報酬に見合う秘密を孕んでいるということだろうか。一時的にとはいえ、かつて住んでいた〈ハイブ〉に戻ることにも抵抗があった。〈ハイブ〉から離れたくてここまでやってきたというのに、またあそこに戻れとは。
そして、マダムにはそれをすべて見透かされていた。
「話が気に食わないのなら、蹴っちまえばいいさ」
「もう引き受けちゃったの。やりたくないのでやっぱり止めときまーす、は通らないでしょ、マム」
「これからどうするか、決めるのはアンタだよ」
あらら、始まってしまったな、とキティは苦笑した。〈フロントライン〉名物、『マダム問答』である。
説明しよう! 『マダム問答』とは、マダムとの哲学的対話によって、迷える傭兵たちを時に厳しく時に優しく導き、その鋭い洞察で心の奥底まで抉り出す、ありがたーいサービスのことである。キティにしてみれば、くどい質問攻めと、答えになっているようないないようなボンヤリしたアドバイスにしか聞こえないのだが、金を払ってまでマダム問答を受けに来る傭兵までいるというから不思議だ。マダム問答を受けると生存率が二十パーセント増えるという噂もある。いったい誰が統計をとっているのだろうか。
「いや、だからさ、もうやるって言ったんだってば」
「それはさっきの話だろう。今どうするかは、今考えればいいさ」
「今どうするかを、さっき決めたの」
「さっき決めた通りにするかどうかを決めるのは、今のアンタだ」
こんな調子で不毛なマダム問答が続いたが、途中からキティは適当に受け流して話を聞いていた。そして、自分の義手──刻印装を見ながらここまでの道のりを思い返していた。
戦争で両親を失い、身寄りも住む場所も無かったキティは〈ハイブ〉での生活を始めた。数年暮らした後、シティでの暮らしにあこがれて〈ハイブ〉を出たが、スラム出身の人間に居場所はなく、マダムに拾われて〈フロントライン〉の給仕をすることになった。
傭兵となるきっかけは十五歳のころに起きた。客の男へ酒を運んだ時に『おせえぞ、ガキが』と言われた。喧嘩腰にではなく、軽くボヤくような感じだった。その日は客が多く、確かに少し遅かったのかもしれない。実際に自分はガキだ。客に悪態をつかれることなんて日常茶飯事だったし、いつもならスルーして仕事に戻るところだったが、なぜかその日は違った。
男の顔面を一発ぶん殴った。
男は面食らったようだったが、すぐにブチギレて殴り返してきた。そして、その後に起こったことは記憶から抜けている。
気が付いたらキティの目の前に、その男がぶっ倒れていた。キティも男も顔を腫らして血まみれだった。
あとから聞いた話によると、男に殴られてもキティはその場に踏ん張り、さらにまた殴り返したという。大の男と給仕の少女の拳闘が始まり、店は大盛り上がりになった。
キティは不屈の闘志で殴り合い、男は力尽きてダウン。キティは血反吐と一緒に折れた歯を倒れた男に吹きかけ、片手を掲げて勝利の雄叫びをあげたそうな。マダムは『本当の最前線がここにある』と意味不明なことを言っていたらしい。一緒に働いていた給仕の女の子は、その日を最後に仕事を辞めた。
喧嘩があった次の日、キティは給仕をクビになり、代わりにマダムから傭兵の仕事を振られるようになった。
ついでに左拳の骨が折れており、放っておいても治るような怪我ではあったのだが、せっかくだからいい機会だといって、有り金をはたいて左腕ごと刻印装化した。
最初はパシリみたいな仕事ばかりだったが、だんだんと荒事も任されるようになった。そして今に至る。
「聞いてくれマダム! 今度の仕事はマジで死ぬかもしれねえんだ!」
傭兵の男がキティを押しのけて、カウンターに割り込んできた。生存率を上げるためのマダム問答をご所望らしい。
なんで私あの時、客をブン殴ったんだっけ? キティは思い出そうとしていた。
男がマダムに話しかけ続けている。キティとの会話を中断されたマダムは、退屈そうに黙ってグラスを磨き始めた。まったく問答になっていない。それでも男は気にせず、腕をブンブン振って脈絡の無い話を喚き続けている。肘がキティに当たる。男は気にするそぶりもない。
なんなんだ、この男は。自分の都合だけで一方的にしゃべっていやがる。というか、身体を私にぶつけておいて、詫びの一言も無いとは何様だ。何様、いや、この男はきっと、自分の方が偉いとか、そんなことを思っているわけではないな。私をガン無視しているこの態度は、私に対して向けられているものだ。こいつもアッシュみたいに、私の方が下だと思っているんだ。
──ああ、この感じだ。
キティはうつむき、口角を上げた。
給仕の仕事をしていた時のことを思い出す。あの時と同じだ。クソ客に悪態をつかれた、あの時と。
そして、左腕を振りかぶり、隣にいる男をブン殴った。
男が吹っ飛び、テーブルに激突した。グラスや皿がぶちまけられる音が響く。男は気絶した。
舐められるのが気に食わないんだ、私は。だからブン殴った。あの日も。今日も。
だったら決まりだ。
「じゃあ、行ってくるね」
キティはマダムにそう告げると席を立ち、店を出た。
外は夜になっていた。周りを見渡すと、メリディア・シティは昼間よりも明るく照らされ、反対側の旧王都には洞穴のような暗闇が広がっていた。
金に物を言わせて何でも解決できると思っている貴族も、事情はどうあれ〈ハイブ〉なんてところに入りやがったガキも、〈ナイトギルド〉の傭兵──アッシュの舐め腐った態度のすべても、全部気に入らない。
依頼は達成する。報酬も貰う。
そのうえで、私を舐めたやつ全員をブン殴ってやる。
煌々と輝くシティの光を背負って、キティは旧王都の中心部へ向かった。
その姿と表情は影に覆われ、獲物を狙う猫のような眼だけが、鋭く光っていた。




