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ジャック・イン・アストラル〜ガラクタと魔術師〜  作者: 羊倉ふと
4章

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38 自動的な男

 キュリオン・トートリープは白くて清潔な部屋の中にいた。そこにあるものは、ベッド、洗面台、トイレ、以上。

 ルシェはいなくなってしまった。〈ナイトギルド〉──アッシュとラストによるルシェ奪還作戦が失敗し、三週間が経過。ルシェも傭兵女も完全に行方をくらました。そして、研究に使える個体はもう存在しない。

 色が存在する世界で生まれ育った人間。生まれた時から〈アストラル〉と繋がり、その存在を前提として基底現実を認識できる〈アストラル・ゲイザー〉が何をもたらすか、それを検証することはもうできなくなってしまった。

 この研究は楽しかった。誰もこの研究に興味を持たなかったからだ。『色のない部屋』の例え話では皆、部屋の中にいる人間について考える。外にいる人間について考える者はいない。それが気に食わなかった。だからそちらに着目した。自分だけが持てた着眼点だ。

 そして〈アストラル・ゲイザー〉を生み出すというアイデア。この発想も自分だけの、自分だけにしかできなかった研究方法だ。

 それが楽しかった。誰にも触れられることのない、自分だけが持つ大切なもの。誰も見向きもしないという状況が、この研究を支えていたのだ。

 ルシェを管理していたこの部屋も傑作品であると自負していた。ここには白と黒しか存在しない。色がないのだ! 『色が存在する世界で生まれ育つ』という設定の人間を『色のない部屋』で育てるというこの逆説! なんという諧謔! 思い付いた時には我ながら痺れたものだ。生きていて本当に良かったと思った。もちろん、研究に対してはまったく意味の無い条件であることは事実だ。だが、人間が生きていく上で、こうしたユーモアを持つことは非常に大切だ。

 キュリオンは大きくため息をついた。そしてトイレで用を足してみた。何も心境に変化はなかった。

 ふむ、これでいい。確かに『色のない部屋』だ。何の感慨もない。

 どうしてこうなってしまったのか、過去を振り返る。

 きっかけは兄だった。二十年ほど前だろうか。『色のない部屋』の話を教えてくれた。いかつい顔で身体が大きいだけの愚鈍な男と思っていたが、妙に示唆に富んだことを話すなと不思議に思った記憶がある。『礎』がどうとかとも言っていたが、そちらはあまりよく覚えていない。

 研究を始めたのはその数年後だった。初めの頃は屋敷でひっそりと素体を集めて実験をしていた。やがて父に見つかり、今の研究所を与えられた。あれは追い出されたということなのだろうか? まあいい、好都合だった。

 その後は莫大な損失が出た。母体、個体、費用、職員。そして、やっと成功したというのに、今では空っぽの研究所しか残っていない。

 諦めろということなのだろうか。

 そうに違いない。無駄だったのだ、結局。所詮は思考実験に過ぎなかったのだ。そういうことにしよう。はーあ。

 キュリオンは水道の水を飲んでみた。

 うむ、無味無臭。『色のない部屋』だ。自分に何も影響しない。

 次に、ベッドに横たわりその寝心地を確かめてみた。

 ほう! 硬すぎず柔らかすぎず、ちょうどいい感触だ。内部のバネが良いのか? これが『色のない部屋』なのかは……微妙だが、まあいいだろう。どうせ無駄な研究だったのだ。

 キュリオンはそのまま一時間ほど仮眠を取った。

 そして起きると、水を飲み、用を足し、開けっ放しの防音ドアの前に立って再び部屋の中を見渡した。

 いや、やっぱり無駄にするわけにはいかない。

 これまで払った多大な犠牲を無駄にしてなるものか。研究を続けるんだ。一度は成功したんだ。続ければもっと優れた個体が生まれるはずだ。何より、これほど完璧な『色のない部屋』を作り出したのだから! これを使い続けない手はない! 諦めるわけにはいかない! まだまだこれからだ! 頑張ろう!

 ……。

 まずはデータを確認し直そう。

 キュリオンは眼球の刻印装を起動し、データを閲覧し始めた。様々な数値や表が視界に現れては消えていった。

 ──視界が暗転し、数秒すると元に戻った。

 何だ? 今のは? 刻印装の不調か? この部屋には防壁系ルーンが敷き詰められているが、その影響か? いや、今は機能していないはずだし、そもそもそんな話は聞いたことが──

 やがてキュリオンの顔色がみるみるうちに青くなっていった。元から顔色は悪いが、今は完全に青色になっている。暗い海のような青だ。

 あれ? データが全て消えている? 消去? そんな操作は……バックアップを……

 キュリオンはきびすを返して防音ドアの方を向いた。

 すると、廊下に一人の少年が立っていた。

 黒い瞳と髪を持つ整った顔立ちの、見覚えのある少年だ。キュリオンは目を輝かせた。


「ルシェ? 君か? 戻ってきてくれたのか? 私のために! 素晴らしい! これからやってみたいことがあるんだ! まずは──」


 ──視界が暗転し、また元に戻った。

 ルシェがいなくなっていた。

 代わりに女が目の前にいる。ガラクタみたいな刻印装を左腕に装着した、小汚い格好の女だ。

 どこかで見た気はする女だが、思い出せなかった。

 女が刻印装をこちらに向けた。手のひらに穴がある。穴は腕の内部に続いているようだ。

 何だ? それは?


「お前は誰──」


 音もなく、刻印装から何かが発射された。それはキュリオンの首に刺さった。

 キュリオンはゆっくりと後ずさり、壁までたどり着いたところで、首に刺さった何かを引き抜いた。

 それは釘だった。

 そして釘の連射が始まった。キュリオンは身体中に釘を撃たれ、その一部が貫通し、壁に磔にされた。

 女はいなくなっていた。

 口の中に鉄臭い泡が溢れかえった。それと同時に身体中から血が漏れ出し、服を染めていく。足元を伝い、部屋全体に赤い染みが広がっていった。

 ──ダメだ。

 ここは『色のない部屋』なんだ。完璧に色彩を制御された部屋なんだ。何だこの液体は。どこからこれは出ている? 汚らしい液体が、私の部屋を塗りつぶしていく。やめろ、やめてくれ。

 誰か、これを止めてくれ。


 一ヶ月後、研究所の閉鎖が決定し、キュリオン・トートリープの変死体が発見された。

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