37 終幕
アッシュは部屋の中で目を覚ました。身体中に激痛の残滓が残っているが、それが状況の理解を加速させた。
俺が負けただと? 装備された全刻印装が死んでいる。
目を覚ます直前に一瞬だけ刻印装に反応があった形跡があるが、〈ウィズ〉の能力を引き出すルーンは完全に機能停止していた。四肢にあるものも同様だった。
何が起きた? あのガキはどこだ?
首だけを動かしルシェを見つけた。腕をだらんと下した状態で椅子にもたれているようだ。全く動く気配がない。
〈アストラル〉に潜っているのか? キティと二人でラストを──
「そんなことはさせない」
胴体だけを蠢かし、ルシェの方へ這いずる。機能停止した四肢の刻印装が枷となり、その動きを押し留めようとした。それでも歯を食いしばり、憤怒の眼差しをルシェに向けたまま這い続けた。
糸。それは切れた。だが関係ない。俺は糸が無くても踊れる。踊らなくてはならない。俺とラストは舞台から降りることは許されない。あの時、俺たちは糸に繋がれた。踊ることこそが俺たちの存在意義だ。
俺は〈ナイトギルド〉。いや、〈騎士〉。哀れな身体改造主義者とは違う。あの時と同じ。ここは戦場だ。残っている部位は、頭部、胴体、膝から上。問題無い。俺は〈騎士〉だ。俺たちはそれでも戦い続けた。問題ない。ガキ一人始末するなど、この状態で造作もない。
ルシェの元へたどり着いた。アッシュが這った後には、大量の汗と血が、まるでナメクジが通った跡のようにべっとりとまき散らされていた。
「俺はお前を殺すことができるぞ。ルシェ・トートリープ」
アッシュは首を起こし、椅子からぶら下がるルシェの袖に噛みついた。
獣のような怒号を上げて、驚異的な力で身をひねり、ルシェの身体を椅子から引きずり下ろした。
歯がぐらついているのを感じる。何本かは折れていた。口の中に鉄の味が広がっていく。仰向けに倒れたルシェの上に、アッシュは覆いかぶさるように身体を重ねた。目の前にルシェの顔。白く端正な、人形のような顔。どういうわけか意識が無い。しかし、関係ない。
「今度こそ終わりだ」
身体を反り、動かなくなった腕の刻印装をルシェの首に押さえつけた。
「死体でも、キュリオンなら満足するだろう」
そのままゆっくりと押しつぶすように体重をかける。
「噛み殺してもいい。だが、お前が死ぬその瞬間。それがこの舞台のクライマックスだ。見届けてやる」
体重をかけ続ける。柔らかい喉を潰していく感触が刻印装越しに伝わる。
「死ね」
キュリオンからの依頼など、アッシュにとって最早どうでもいいことだった。結果なんて後から正当化できるのだ。相手が子供であろうと、敵となる存在は抹殺し、ラストと共に生き残る。それだけを考えていた。
ルシェの目がうっすらと開き、絞り出すかのように声を出した。
「──アース」
その瞬間、アッシュの目を大きく見開き、飛び上がるようにしてルシェの身体から離れた。
アッシュは驚愕の表情を浮かべていた。ルシェが言ったことと、その声を何度の心の内で反芻し、何が起きたかを理解しようとした。
バカな。どうしてその名前を。〈アストラル〉から情報を? しかし、今のは──
ルシェがゆっくりと身を起こし、アッシュの方を真直ぐ見つめて、再び言った。
「アース」
リンレイの声だ。
あり得ないことが起きた。ルシェが自分の名を呼んだことではない。ルシェが、リンレイの声で語りかけている。
「やっと会えた」
胸の奥を鋭く抉るような感覚が走った。理解が追いつかない。あり得るはずがない。
「何をした……何を……」
「〈アストラル〉にいたの、ずっと」
〈アストラル〉? リンレイが? そんなことが、あるはずがない。これまでも一緒にいたじゃないか。二人で人形になって、〈ナイトギルド〉に入って、敵を叩き潰してきたじゃないか。
もし、リンレイが〈アストラル〉にいたのなら――
今まで一緒にいたのは、彼女だと思っていた、ラストは──
「アース。やっと会えた」
――どうして気づけなかったんだ。
「この子……ルシェが、ラストの〈アストラル〉に閉じ込められていたわたしを見つけ出して、ここまで連れて来てくれた」
優しく、懐かしい声。ずっと求め続けたあの声が聞こえる。
「いつから……?」
言葉が震える。
「あの身体は、本物。でもラストは、わたしたちの選択が生み出してしまった。あの日のわたし──化け物になったわたしを基底現実で再現し続ける人造人格なの」
リンレイが俺を守るために戦場でとった、あの選択。そして俺が契約をした、あの日。
確かにラストの言動は、それまでのリンレイと比べると違和感があるものだった。だが、仕方のないことだと思っていた。生まれ変わったのだと、そう受け入れていた。
「どうすれば良かったって言うんだ……」
「わからない。あの時どうすれば、なんて。でも――」
目の前にいるリンレイは、あの頃と同じだった。
微笑みながら、すべてを受け止めるような、優しいまなざし。
間違いなく、あの頃のリンレイがいる。
「どちらかが傷つかなければならない選択なんて、するべきじゃなかった」
「君を、死なせればよかったって言うのか!」
「わたしだってあなたを死なせたくなかった……。きっと、その前。あんなことになるずっと前に、戦いに行く前に、二人で乗り越えるべきだった」
騎士として生きることを選んでしまった、あの時。それを思い出して、胸が締めつけられた。
「……もう、引き返せない」
「そんなことないよ、アース。あなたに傷ついてほしくない。だから、傷つきに行くのはやめて。たとえ、わたしのためだとしても」
喪ったものが、少しずつ蘇っていく感覚があった。
それなのに、今は指先ひとつ触れられない。
「……もう、行くね」
「待って――」
「話せてよかったよ、アース」
静寂が訪れた。そして、アースの嗚咽が部屋に響き渡った。
獣の咆哮でも、人形の機械音でもない。
――紛れもなくそれは、人間の声だった。
◆
──広場。
キティは仰向けになって倒れていた。もう身体が動かない。痛みはすでに感じなくなっていた。朦朧とする意識の中で、周りに浮かんでいる瓦礫を眺めていた。
その瓦礫から、殺意が消えた。そして、ゆっくりと瓦礫は下に落ちていった。元々あったその場所に戻るように、瓦礫がキティの視界から消えていった。
《終わった……今度こそ、本当に》
「……ラストは?」
《彼女は、〈アストラル〉に還った》
その声は震えているように聞こえた。
「……ルシェがやったのか?」
《僕は──ドアを開けただけだ》
「え? 何だそれ」
意味は少しもわからなかったが、少し考えた後、研究所で自分が言ったことを真似しているのだと気づき、なぜだか頬が緩んだ。
そして、キティは目を閉じ、眠りについた。




