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ジャック・イン・アストラル〜ガラクタと魔術師〜  作者: 羊倉ふと
3章

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28 色のない部屋

 ルシェは、研究所内にある自分の部屋に戻って休んでいた。

 自分の部屋、といっても何か特別なものがあるわけではない。あるものは、ベッド、洗面台、トイレ、以上。白くて清潔なだけの部屋。『自分の部屋』という名前がついているだけの部屋だ。当然、出入りは自由にできない。

〈アストラル〉潜行実験の後、ゲロまみれになった服は回収。作業着を着た男女に身体を清掃され、そのままの格好でこの部屋に連れてこられた。少し経ったところで、職員が思い出したかのように、新しい服と食事を持ってきた。

 服を着たあと、ルシェは渡された食事を貪り食った。食べ物を吸い込むかのような勢いで胃に流し込んだ。空腹ではあったが、満たしたいのは食欲ではない。

 次に吐くものを貯めておかねば、今はもう、吐き出せるものは無い。

 今は思考が機能している。それではダメだ。また次の実験で吐き続けて、何も考えられなくなるように、体液の元になるものを蓄えておくんだ。

 ──今の僕の身体は、僕の思考を止めるために存在する。

 そう考えながら食事を済ませ、今度は水道の水をガブ飲みした。すぐに気分が悪くなり、吐きそうになった。今吐き出すのは何か違う気がしたので、我慢した。ダメだ。思考してしまっている。思考とゲロのバランスを取らなければならない。

 やがて考えが落ち着き、エルスのことを考えた。

 エルスは死んだ。

 研究所を逃げ出す前に死んでしまったという。人間の身体は霊石に満たされることを想定して作られていない。生まれる前に、生まれてすぐに、死んでしまうのが普通だ。自分のように、無事成長することができた個体はレアケースだったのだ。

 自分もエルスのように長くはないのかもしれない、そんなことを考える。

 どうでもいいな、ルシェはそう思った。

 どうせ自分には過去、現在、未来どの瞬間とってもこの『自分の部屋』しかないのだ。あのドアの窓からこの部屋を覗くと、いつも同じもの──ベッド、洗面台、トイレ、自分──が見えるわけだ。キュリオンは実験の成果がどうとかいつも言っているが、この部屋には何も関係がないことだ。であれば、存在しないのと同じだ。

 どの瞬間を切り取っても、すべてが横並びにされて、等しく価値が無いもの、それが自分だ。

 退屈すぎる。前は〈アストラル〉を通じて、情報器を盗み見したり、エルスと話すことができたが、今はできない。逃げだした後で、研究所内の防壁系ルーンが大量に増築されてしまった。〈アストラル〉に潜らなくても、基底現実との接点である霊石をなぞってルーンの探知ができるが、ここではそれもできない。部屋の外で何が起きているかすらわからない。あのドアは防音だ。なんで防音なんだろうか。あのドアの向こうには廊下しかない。他に部屋はここしかない。この部屋は静かだ。わざわざ防音ドアを取り付ける意味があるのだろうか。この建物を造った人間は何も考えていなかったのか? であれば是非とも会ってみたいところだ。どうやればそんな完璧に思考停止して生きていけるのか、教えてほしいものだ。ダメだ。考えすぎている。思考停止するんだ。また実験をやって、さっきみたいに吐き続ければ思考停止ができる。休んでいろと言われたが、キュリオンに頼み込んで実験を早めてもらおうか。いや、忘れていた。あのドアは防音だ。いいぞ、思考停止できている気がする。思考しているが、思考停止でもある。新しい技術だ。キュリオンにも教えてあげよう。しまった。あのドアは防音だ。なんで防音なんだろうか。あのドアの向こうには廊下しか──

 そうして防音ドアと別のテーマとの間を無限にループする技術を体得したルシェは一日中思考し続けた。一方のテーマは多種多様で、部屋の間取りや、水道の水圧、ベッドの羽毛の充填量など、様々なものがあったが、どれも防音ドアにつなげることができた。

 出入口が一つしかない、というのはシンプルで良いな、と思った。

 次の日、研究所の職員がやってきて、


『トートリープ氏は〈パレス〉で仕事があるから数日間は実験なしだ』


 と言った。また暇な時間が続くらしい。

 身体の清掃のために別の部屋に連れていかれた。服を脱がされ、水をかけられたり、雑に拭かれたりする。職員が「こんなもんか」と言ったら終わりだ。その後は、そのままの格好で部屋に戻される。しばらくして食事が来た。いつもは食事と一緒に新しい服が渡されるのだが、この時は食事だけだった。妙だな、と思いながら食事を貪り食っていると、新しい服が勢いよく部屋に投入された。やはり忘れていたらしい。

 ベッドに寝転ぶ。防音ドアには飽きたので別のことを考えることにした。防音ドアに代わるループ先が見つからなかったので、〈ハイブ〉へ行った時のことを思い出すことにした。


 研究所から逃げた日、どういうわけか防音ドアが勝手に開いた──ダメだ、また防音ドアだ。……ドアが勝手に開いた。どうやらエルスがルーンを操作して開けたようで、


『〈ハイブ〉の地下通路を通ればシティの外側に逃げることができる』


 と言うのだ。

 研究所での生活にはその時点ですでに飽きていたし、長生きはできなそうな環境だ。エルスはすでに出ているということだったので、指示を受けて研究所を脱出した。そして、その辺に捨ててあった布を纏い、旧王都の住人のふりをして〈ハイブ〉へ向かったのだった。ここから先はもう防音ドアは出てこない。

〈ハイブ〉の中まではエルスと会話ができていたが、それもできなくなった。結局、あの時のエルスは何だったのだろうか。彼女は死んでいたはずだが、わからない。考えても埒が明かないので今は止めよう。〈ハイブ〉の複雑さは想像以上だった。地下通路というのだから、地表付近を探すつもりだったのだが、道に迷い続けてどういうわけか上の階層へ上ってしまっていた。道中、人さらいのようなやつら──グールズに追われたのも迷子に拍車をかけた。

 そうしている内に、釘を放つ刻印装の傭兵──キティに出会った。

 グールズに追い詰められたとき、刻印装を持つ人間が近づいていることを探知した。しかもルーンをかなり複雑に配置した刻印装だ。高性能なものであることは間違いない。自分を保護するためにシティから派遣された傭兵だろう。これは使えると思った。だが彼女を見た時には落胆した。その刻印装はゴミの塊にしか見えなかったし、実際そうだった。それを使う女も子供みたいで、身なりもなんだか清潔感に欠けて苦手な雰囲気だと思った。

 ともかくキティの刻印装を操作してグールズを撃退することには成功した。だがその後、気を失ってしまったのは想定外だった。走り回ったことなど今までなかったし、あの時は緊張のせいもあって、かなり消耗していたのだろう。

〈教会〉で目を覚ました時にはもう終わりだと思った。気を失って拉致された子供が無事でいられるほど、〈ハイブ〉は甘い場所ではないはずだ。半ば反射的にキティの刻印装に侵入した記憶がある。

 だが、違った。


『まずは話を聞かせて』


 キティはそう言った。話を聞かせて、なんて今までエルス以外に言われたことはなかった。エルスとの会話が特殊なもので、話は聞かされるものだと、そのときは本気で思っていた。

 〈教会〉で風呂に入ったのもよく覚えている。研究所と違って、自分で身体を洗うことが新鮮だった。研究所での清掃は身体のメンテナンス、元の状態に戻すための作業だ。対して〈教会〉での風呂は、自分の身体を最高の状態に引き上げる行為だった。生まれ変わっていくみたいで、すごく気持ちよかった。

 レインとかいう大女は異常に威圧的で正直今も苦手だ。彼女自身の欲求を満たすために、似合わない服を強要してきて、無理やりにでも着せてくる。しゃべり方と相まってあまりにも暴力的な存在だった。

 でも、彼女は髪を梳いてくれた。研究所の職員は清掃のときにそんなことしない。タオルで拭いて終わりだ。拭く、と言うよりも擦って引っ張るという感じで、痛くて苦手だった。一方、レインの手つきはそれまでの振る舞いとは対照的に繊細で、その撫でるような梳きかたは少しも痛くなかった。あの瞬間だけは彼女の傍でも落ち着くことができた。編んでくれた髪型も、実は気に入っていた。『可愛くなれ可愛くなれ』とブツブツ呟いていたのは怖かったけど。それでもまた髪を編んでほしいと思う。もしまた会えたら、今度はどんな髪型にしてもらえるだろうか。

 その次はフュリアスとイコライザーだ。直接名前を聞いたわけじゃないけど、多分そうだろう。キティはゴリラみたい腕をした方がフュリアスだと決めつけていた。まあ『激昂フュリアス』って感じだったし、多分正解だろう。イコライザーはどの辺がイコライザーなのかよくわからなかった。追いかけられていただけだから、あの二人に対して特に感慨は無い。とにかく、キティと協力して倒すことができた。

 妙な感じだ。そこから先を思い浮かべることができない。思考が停止してしまう。その後の出来事自体は全部記憶している。それなのに、ガラクタの竜巻を作り出す直前のところで、記憶の再現映像が止まってしまう。何かが引っ掛かっているような。どうしてだろう。

 キティとの会話を思い出す。僕は諦めるようなそぶりをしていたと思う。そして、キティが『舐めるな』とかなんとか言っていた。こんな状況で自分のプライドのことしか考えていないのだろうか? と少し呆れた気がする。

 でも、その後キティが言った言葉で何かが変わった。


『私を舐めるな、ルシェ。そして、アンタ自身も』


 ここだ。ここで思考が止まってしまう。いや逆だ、止まっているわけではない。考えが止まらなくなってしまうんだ。考えすぎて止まっているのと同じ状態になっているんだ。高速回転のせいで停止しているように見えるコマ、そんな感じだ。

 どうして考えがまとまらないのか。キティの言葉を聞いて、どう思ったのか、整理できない。

 ──海。

 ふとエルスと交わした、海についての会話を思い出す。


『知らないことが多すぎるんだよ』


 そういうことか。キティとレインに初めて会った時の出来事は全部、研究所での経験と比較できたから、その時の思考を整理できているんだ。過去に蓄積された情報が、新たな情報を説明しているんだ。

 そうであれば、あの時の気持ちを理解できていないのも当然だ。あの状況が何を意味していたか、それを説明する情報が僕には足りていないんだ。また何か新しいことを知ることができたら、あの時の思考を理解できるんだろうか。

 それだけでいいのだろうか。ただ理解するだけで、いいのだろうか。この部屋の中と同じではないのか。あのドアから見えるこの部屋が、いつも変わらない様子で実質的には無価値であるのと同じように、ただ思考しているだけなんて、それ以外に何も変化が無い行為なんて、意味があるのだろうか。

 伝えたい。そうだ、思考を伝えるんだ。そうすることによって、誰かに影響を与えることができれば、この部屋にも価値は生まれるはずだ。自分自身にも、影響はあるのかもしれない。でも、研究所の職員が相手ではダメだろう。キュリオンは論外だ。あいつらは固く固く固まっている。影響なんて与えることはできないだろう。

 廊下から何やら声のような音が聞こえる。防音ドアのはずなのに珍しいな。意外とあのドアは薄いのかもしれない。まあ、どうせこの部屋には関係のないことだ。思考を続けよう。

 次は地下通路──

 ドアを叩く音がした。

 誰だろう? 職員かな? でも、今日は清掃も食事も済ませたはずだ。キュリオンの仕事が終わって、実験が早まったのだろうか。

 ドアを叩く音がした。

 さっきよりも強い。何かを叩きつけたような音だ。何だ? 

身を起こして、ドアを見つめる。

 ドアを叩く音──違う。釘を撃ち込むような、鋭い金属音が連続で鳴り響いた。

 その時、ドアが勢いよく部屋の中に向かって吹っ飛ばされ、反対側の壁に突き刺さった。廊下側から煙がもくもくと立ち上がってくる。

 その煙の中から、左腕にガラクタみたいな刻印装を着けた女が現れた。

 鬼のような形相で、なんだか凄く怒っているようだった。

 ベッドから降り、声を震わせてその女に訊いた。


「キティ? どうして?」

「助けにきた」


 理解できない。キティは依頼を終わらせ、報酬を受け取ったと聞いた。そもそもキティと僕は関係がない人間だ。なぜだ? また誰かから依頼を受けたのだろうか? 今度は研究所から連れてこい、とかそんな──


「舐めるなよ」

「え?」

「舐めるな、って言ったんだ」

「いや、そうじゃなくて……」

「諦めてたよな、アッシュに捕まった時。フュリアスの時にも諦めてた。舐めてるじゃないか、私のこと。私が、何もできないと思ってたのか?」

「実際あの時は──」

「アンタが自分のことをどう思っているかは問題じゃない。私だ。私が舐められるのが一番気に食わない。金に物を言わせて何でも解決できると思っている貴族も、アッシュの舐め腐った態度のすべても、事情はどうあれすぐになんでも諦めちまうアンタみたいなガキも、全部気に入らない。全員ブン殴ってやる」

「それだけの理由で……助けに」

「……助けにきた、って言うのは少し違うかもね」


 キティが、考え込むように目を伏せた。

 彼女が何を言っているのか、理解できなかった。あの時と同じだ。思考が止まらない。今の思考を説明できない。自分の中にある情報が足りない。


「私は、ドアを開けてやっただけだ。うん。ここから出ていくかどうかはルシェ、アンタが決めろ。出ていった後、どうするかも、アンタが決めろ」


 そうだ。この部屋にいるだけじゃ。この想いを表現できないんだ。伝えることができない。

 ここを出て、伝えることができるようになるんだ。変わるために。


「アンタのことはアンタ自身で考えて決めろ。アンタがやりたいと思うことは、同じように自分の力でやれ。私ができるのは、それを手伝うことだ。私は──ただの傭兵だからな」


 キティの目をじっと見つめた。あの時と同じ、変わらない瞳を。

 拳をぎゅっと、握りしめる。


「行こう、キティ。部屋から出れば敵を探知できると思う」


 強張っていたキティの表情が少しだけ和らぎ、小さくうなずく。


「……行くぞ」


 キティは踵を返して部屋から出た。しかし、一歩だけ廊下に出たところで、ぴたりと足を止めた。


「敵?」


 ルシェはそう訊きながら、頭だけ廊下の方に出して左右を確認した。誰もいないようだった。不思議そうな表情をしてキティの方を見上げる。彼女の背後にいるので、その顔は見えない。なぜか、じっとしているようだ。

 キティは背を向けたまま、呟くように言った。


「頼ってくれて、ありがとう」

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