11話 旅立ちの前に
姉とリカルドが帰った後、私は師匠と晩ご飯を食べていた。
お互い、一言も話すことなく……少し気まずい。
「……ウィザーアカデミー、行くんだって?」
沈黙を破り、師匠が切り出す。
「そ、そう……だね、そうしないと2級になれるチャンスは半年後だし。」
師匠の目を見ずに答えると、彼は「そう。」と小さく呟いた。
「あ……でも、お姉ちゃんはこの世界にいるし、別に帰る必要もないかな!?ずっと師匠と一緒に……」
「だめだよ。」
私の声を遮るように師匠が言う。
「真希はまだ若いんだし、ずっと僕の傍になんていたら出会いも無いだろう。
友達を作って、恋をして、そうやって人と出会って経験していかないと。」
珍しく年寄りくさいことを言う師匠を盗み見ながら、私はご飯を口に運ぶ。
「……それに、元の世界には友達がいたんだろう?別にどちらかの世界を選べって言ってる訳じゃなくて……
戻る手段くらいは確保しておいた方がいい。」
「……も、勿論冗談。元の世界に帰る気しか、ないし。」
そう言いつつ、私の心は揺れていた。
もし……師匠に「行くな、ずっとここにいろ」と言われれば私の心は傾いたかもしれない。
しかし、師匠はきっと私の心に甘えが出てきているのを感じ取ってる筈。
だからこうやって突き放すのだろう。
「……師匠、あのね。私実は……アンが師匠の想い人なんじゃないかなって思ってたの。」
「えっ、何でそうなる。」
「だってその……『22人のアルカナ』に、そう書いてあったんだもん。
『空から降ってきた女の子』の話……」
「だとしたら、多分それは君のことだ。」
師匠は特に関心の無い様子でそう言い捨てる。
「へっ!?」
「僕は君が木から落ちてきた時、『空から降ってきた』……ように見えた。
実際はどんくさいままに転げ落ちていただけだけど。」
「失礼な!」
師匠は、「22人のアルカナ」の内容を知らない。
だからそんな適当なことが言えるのだ。
師匠の理想の女性なんて、きっと凄く美人で、上品で、優しい私の真逆をいく人間に決まっている。
きっとまだ運命の少女は現れていないのだろう。
「……師匠、あの……!た、たまに手紙書くから、元気でね……?」
私が言うと、師匠はそっとカトラリーを置いて。
「ありがとう、数年に1度は思い出してくれ。
……それから……アンが君を狙っていたことに気付かなくて申し訳なかった。
……君を殺したのは、僕だ。」
目を伏せながら呟く師匠に、私は戸惑ってしまう。
(もしかして、それに罪の意識を感じて元気が無かったのかな。)
「気にしないで!あんなの気付くわけないよ!」とフォローしたが、師匠は目を伏せたまま黙るのみだった。
★ ★ ★ ★
自室に戻り、ふと『22人のアルカナ』が気になりページをめくる。
しかし、変わった様子もなく……特にヒントは得られなかった。
ミモザが言っていた、「物語を集める」ってどういう意味なんだろう。
私は頭を悩ませながらゴロゴロとベッドに寝転がっている内に、そのまま寝落ちてしまった。
――――
――
あれ……私がトロールに追われている……?
わかった、これは夢なんだ。
この世界に来てから3年経つものの、あまりに怖かった為か定期的に夢に見るのだ。
木の上に逃げ込むと、トロールがいやらしい顔をしながら木を揺すってくる。
木に必死にしがみ付いて何とか落ちないようにしていたが、突如強風が吹いて、私は木から落ちてしまう。
……目を固く瞑って地面と衝突するのを覚悟したその時、ふわりと誰かが私を抱きかかえる。
トロールに捕まってしまったんだと思い、絶望していると、
「大丈夫かい?」
という優しい声で私は恐る恐る目を開ける。
するとそこには、まるで映画の中で見たような神秘的な出で立ちをした男の姿があった。
(……奇麗………)
思わず見とれていると、男は浮かせた石をトロールに投げていとも簡単に追い払ってしまった。
「君、こんな所で何をしていたの?家は?」
「えっと……よく、わからなくて。」
私は本を大事に抱えながら答える。
「よくわからないってどういうこと?迷子かな……一緒に警察に行くかい?」
「いえその、多分なんですけど……私、ここの世界の人間じゃないんです。」
こんなことを言ったら、笑われてしまうだろうか。
そう思いながらも、私の口は正直に動いてしまう。
すると師匠は私の手を引くと「何か食べようか」と言ってくれた。
……それからもずっと、師匠は優しかった。
食べるものに着るものを用意してくれて、兄弟子もよく私と遊んでくれる親切な人で。
異世界に来た不安を、師匠やあに様、アンが取り払ってくれたから……私はここまで頑張ってくれたのだ。
――――
――
そこで、はっと目が覚める。
窓に目をやると、まだ夜更けだった。
(……でも、あに様はここを巣立ったし、アンは吸血鬼で私を殺そうとしていたし……師匠の元からはいつか離れないといけない。)
考えていると少しだけ心細くなって、私は部屋を出た。
……
「師匠……まだ起きてる?」
師匠は意外にも夜型で、たまに朝方近くまで起きていることがある。
私が師匠の部屋をノックすると、彼はゆっくりと部屋から出てきた。
「……何だ、明日リンドバーグと話すんじゃなかったの?早く寝ろ。」
「寝れなくて……」
「目を閉じて横になってればその内眠くなるよ。」
「……」
黙り込む私を見て、師匠はため息を吐くと「少しだけ話してやろうか。」と言う。
私は笑顔でそれに応じた。
師匠は部屋で、まだ私を看病している間に溜まった仕事を進めていたようだ。
「ごめんね、私のせいで。」
「言ったろ、元はと言えば僕のせいだ。」
机に向かいながら、師匠がそう答える。
私はベッドに座ると、「そんなことないよ」と答える。
「……ねえ師匠、私ね……この世界に来て最初に会ったのが師匠で本当に良かった。」
「変に素直で気持ち悪いな、何か狙いがあるの?」
「無いってば、本当にそう思ったの。」
私は師匠の後ろ姿を眺めながらそう口にした。
「……僕も、君に会えて良かったよ。」
急に素直になる師匠の言葉がくすぐったくなり、私は少しだけ笑みを零す。
「ねえ師匠、私のこと忘れないでね。あと、私が出ていった後も手当り次第女の人口説いちゃだめだよ。」
「言ったろ、それはもうする気がない。」
「なあに、もしかしてリンドバーグ様に屋敷壊されすぎて懲りたのか?
まあいいかもね、その方が平和だし。」
「……マキ。」
不意に名前を呼ばれ、私は「ん?」と返事をする。
師匠は机から何かを取り出すと、小さな箱を差し出す。
開けてみると、ピンク色の宝石に銀の装飾が施された、とても綺麗な指輪が入っていた。
「わ……!何これ!すっごい綺麗……くれるの?」
「餞別にね。所詮は安物だが……」
(安物……こんなに綺麗なのに?)
私はそれをすぐに取り出し、右手の人差し指に嵌める。
宝石がキラキラと煌めくのが綺麗なだけでなく、指輪がじわりと温かくなるような感じがして、心の底から安心感が湧いてくる。
(この感じ……知ってる。お姉ちゃんに本を読んでもらった時のあの感じだ。)
私はまるでぬいぐるみを抱えて眠る子供のように小さな箱を大事に傍らに置きながら、全ての不安を忘れて眠りについてしまった。




