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文月  作者: 水国くにみず
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70兆分の1の不幸者達へ

1億円の宝くじが100回連続で当たる確率、そんな奇跡的で運命めいたハズレクジを引いたのがお前である。


卵巣を目指して共に泳いだ仲間達はこの先のことを知っていたのだろう、お前に勝ちを譲ったのだ。

だが、お前はそんなことも知らずに己が優秀だと勘違いし、愚かにも生への切符を掴み取ったのだ。


なんともマヌケである。


別に私は反出生主義者ではないが、彼らの意見に大いに共感する。

あまりにこの世は不幸で面倒なのだ。

それなのに、人は生まれて死ぬだけなのだから本当に救いようのないものである。

神が生命を生み出したというならばあまりにも欠陥だ、ぜひ私に代わってほしいところではある。


とこれまで不平不満をつらつらと並べてきたのだがそれでも、私は今日も歯を磨き、電車に揺られ、誰かの作ったパンを食べる。

不思議なことに、人は「生まれてしまった」以上、何かしら生きようとするのだ。

まるで、壊れたゼンマイ仕掛けの玩具が、止まることを知らずにカタカタと進むように。

誰もが心のどこかで「もう少しマシな明日」を期待している。

それは、救いなのか、それともさらなる罰なのか。

「幸せになりたい」という願望そのものが、苦しみの始まりであると仏教は説いたが、その理屈を完全に理解したとしても、人は欲を手放せない。

滑稽だ。

だが、その滑稽さこそが人間の証でもある。

不幸を数え上げるのは簡単だ。

ニュースを開けば、誰かが泣いている。

スマートフォンを眺めれば、自分より幸福そうな人間が山ほどいる。

だが、画面を閉じてしまえば、少なくとも自分の呼吸の音だけは確かにそこにある。

それは、誰のものでもない「生」の証拠であり、ささやかな抵抗でもある。

結局のところ、私たちは「生きる理由」を探しているのではなく、「生きる納得」を探しているのだと思う。

どんなに惨めでも、どんなに小さくても、自分なりに「まあ、これでいいか」と思える瞬間を見つけるために。

神が欠陥設計者だとしても、我々はそのバグの中で踊る。


70兆分の1の不幸者達へ、愚かにも生を掴み取ってしまった者達へ、せいぜいこの茶番を最後まで楽しんでくれ。

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