第6章:春風に揺れるふたり 最終章:終わり、そしてはじまり
【プロローグ:あれから、そして今】
雪解けの音が遠ざかり、街はやわらかな春の光に包まれていた。
文化祭から数か月が経ち、3月――卒業式が目前に迫っていた。
高校最後の制服を着て、夢翔は駅前のカフェに向かっていた。
スマートフォンには「今日、少し話せる?」という花音からのメッセージ。
それだけで、少しだけ心臓が騒がしくなる。
あの朗読劇のあと、ふたりはゆっくりと、でも確かに“恋人”になっていた。
手を繋ぐことも、将来のことを語ることも、まだ不慣れでぎこちないけれど――
夢の続きを、一緒に見ようと決めたのだ。
【春の手紙】
「ごめん、待たせちゃった?」
カフェのドアが開き、花音が春らしい淡いベージュのコートを着て現れる。
夢翔は笑って首を振った。
「こっちも今来たとこ。……なんか、少し大人っぽくなった?」
「そう? たぶん、髪型変えたからかも」
ふと目が合うと、ふたりは小さく笑い合う。
それだけで、あの日の文化祭の気持ちがよみがえる。
ドリンクを注文し終えたあと、花音がそっと鞄から何かを取り出す。
「これ……夢翔くんに、渡しておきたかったの」
それは、一通の手紙だった。
ほんの少し厚みのある封筒に、「ありがとう」の文字が筆記体で綴られている。
「これって……?」
「わたしが、声優の養成所に進むって決めてから、夢翔くんと話す時間、ちょっと減っちゃったでしょ。ちゃんと、言葉にしておきたくて」
夢翔はゆっくりとうなずき、封筒を両手で受け取った。
【分かれ道ではなく、並走】
3年生の春は、どうしても“別れ”の印象が強い。
進路も違う。生活のリズムも変わる。会う頻度も減るかもしれない。
「……実はさ、ちょっと不安だったんだ」
「なにが?」
「夢翔くんと、離れちゃうこと。遠くなったら、好きって気持ち、だんだん薄れちゃうんじゃないかって」
花音の瞳はまっすぐで、だけどわずかに揺れていた。
「そんなこと、ないよ」
夢翔は即答した。
言葉に迷いはなかった。
「俺も、東京の大学に通うって決めた。学部は違うけど……近くにいられる距離、選びたかった」
「えっ……ほんとに?」
「うん。君の声を、もっと近くで聞いていたいから」
その言葉に、花音はふわりと笑った。
心から安堵したように、花のつぼみがほころぶように。
「じゃあ……次は、夢翔くんの夢も、聞かせて?」
【夢を詰めるポケット】
春の風が、カフェの窓をやさしく揺らす。
夢翔は、ポケットから“あのノート”を取り出した。
文化祭のときに花音へ手渡したものと同じ、自分の夢を詰め込むノート。
その最後のページに、新しい一文が記されていた。
《一緒に夢を叶える人がいるって、こんなに心強いんだって初めて知った》
「……まだ具体的に何がしたいかって言われたら、正直、迷ってるけどさ。君の声をきっかけに、文章を書いたり、演出を考えたりするのが楽しいって思えるようになったんだ」
花音はノートをのぞき込みながら、口元を押さえて笑う。
「夢翔くん、やっぱり、物語作るの向いてるよ。声にする側の人間として断言する!」
「……じゃあ、将来は君がヒロインで、俺が脚本家?」
「いいね、それ」
ふたりの間に、ふわりと笑い声が広がる。
それは、どんな未来よりも確かで、あたたかい約束のようだった。
【卒業式:別れと始まり】
3月某日、卒業式当日。
夢翔は、式の終わった体育館の外で花音を待っていた。
彼女は制服のまま、手に花束を抱えて現れる。
「……卒業、おめでとう」
「うん、花音も。ここからだな、ほんとのスタートは」
その言葉に、花音は少しだけ寂しそうな、それでも決意を込めた顔でうなずく。
「きっとさ、私たち、これから何度も不安になると思う。でも――」
そう言って、花音は夢翔のポケットをそっと叩いた。
「その中に、夢がちゃんと詰まってるなら。大丈夫だよね?」
「うん。君の声も一緒に、詰め込んだから」
ふたりは、まだ幼い夢のかけらを手にしながら、
未来という名の駅に向かって歩き出す。
春風が吹き抜けた。
制服のリボンが揺れて、笑顔がこぼれた。
最終章:終わり、そしてはじまり
【エピローグ:いつか、また物語の中で】
数年後――。
テレビのエンドロールに、ある名前が並んでいた。
朗読劇『ポケットに夢を詰め込んで』
脚本:相原夢翔
出演:七瀬花音
観客席の中、老いた銀次郎がひとりで拍手を送っている。
傍らには、色あせた夢ノートが静かに置かれていた。