第3章:声にならない夢、届く言葉
【序章:雨の朝】
連休を目前にしたある朝。
校門の前には傘の群れが広がっていた。
相原夢翔は、濡れた校舎の窓を見上げながら、心のどこかがざわついていた。
雨の日は、なぜか花音の表情が陰る。
それに気づいてから、夢翔は彼女の“沈黙”をよく見るようになった。
【教室:沈黙のすれ違い】
朝のHRが終わったあと、夢翔は花音のもとへ歩み寄る。
「おはよう、花音」
「……おはよう」
たったそれだけの言葉なのに、彼女の声には力がなかった。
以前のような張りのある笑顔も、そこにはない。
「体調、悪い?」
「ううん、ちょっと……眠れなかっただけ」
それ以上は話さず、花音は再びノートに視線を落とす。
夢翔は席に戻りながら、涼真に小声で問いかけた。
「七瀬さん、最近ずっとこんな感じだよな」
「噂のせいかもな。なんか、例の朗読会の動画、勝手に拡散されたらしいぞ」
「えっ……それって」
「一部では“本気すぎて引く”みたいなコメントもあったらしい。SNSってやつは、マジで容赦ないな」
夢翔は拳を握った。
夢を語っただけで、何かを届けようとしただけで、なぜこうも簡単に踏みにじられるのか。
【放課後:声の練習室】
放課後、夢翔は偶然、空き教室から聞こえてくる小さな声を耳にした。
覗いてみると、花音が一人で朗読の練習をしていた。
「……ジョバンニは……あの、星……いや、もう一度……」
声が震えている。
いつもの伸びやかな声とは違う、消え入りそうな音。
「花音」
呼びかけると、彼女は驚いたように振り返る。
目元は赤く、練習というよりも、涙を隠すための時間のようだった。
「ごめん、見ないで」
「なんで謝るんだよ。君の夢を、誰より応援したいって思ってる俺に」
その言葉に、花音の表情が少し緩んだ。
「……本当は怖いの。声が届くのは嬉しいけど、その分、傷つくことも増える。わたし、強くないから……」
「じゃあ、俺がそばにいる。届かなくても、聞こえなくても、俺が聴く。ずっと、聴いてるから」
その言葉が、花音の心の壁を溶かしていくのが、夢翔には分かった。
【回想:花音の原点】
それから数日後。
夢翔は花音の誘いで、彼女の家に行くことになった。
「ちょっとだけ、見せたいものがあって……」
七瀬家は静かな住宅街にある、ごく普通の一軒家だった。
部屋の隅に、小さな録音機材と古びたマイク。
そして、一冊のノート。
「これ、わたしの“夢ノート”」
ページには、声優オーディションの感想、読んだ本のセリフ、好きな声の研究……びっしりと手書きの文字が並んでいた。
「小学生のころ、初めて聞いたアニメのセリフに泣いたの。自分の心が揺れたのが、すごく不思議で……それから、声ってすごいなって思ったの」
夢翔は、彼女の夢がどれだけ積み重ねられてきたかを思い知った。
そして、自分の「応援したい」という気持ちが、決して軽くないことにも。
【文化祭の知らせ】
ある日、三谷先生がHRで発表をする。
「さて、来月の文化祭、そろそろクラス企画を決めようか」
生徒たちの間にざわめきが広がる。
その中で、結城涼真がひときわ大きな声で言った。
「俺たちのクラス、朗読劇やろうぜ」
教室が一瞬、静まり返る。
「七瀬さんの声、もっと多くの人に届けようよ。どうせやるなら、本気のやつ」
驚いた花音が、涼真を見つめる。
その目には、わずかな戸惑いと、希望が入り混じっていた。
「……わたし、いいの?」
その問いに、夢翔は真っ先に頷いた。
「やろう。みんなで“声の物語”を作ろう」
【章のクライマックス:夢の共鳴】
準備が始まると、クラスの空気が徐々に変わっていく。
花音の真剣な姿勢に引き込まれるように、生徒たちは演出、脚本、美術、音響と役割を分担していく。
夢翔は裏方として、花音のサポートに回った。
彼女の声がマイクに乗って響くたび、心が震えた。
ある日、花音がふとつぶやいた。
「夢翔くんのおかげで、わたし、また“好き”になれた。声を出すのが、楽しくなったの」
「それなら俺の夢も叶ってる。君の夢を応援すること。それが、今の俺の夢だから」
花音の瞳が潤んだ。
「ありがとう。あなたがいてくれて、本当によかった」
【章末シーン:雨上がりの空】
文化祭の準備が佳境に入り、放課後の校舎には活気が満ちていた。
その日も、ふたりは夕方まで練習を重ねていた。
帰り道。
雨が止んだ空に、淡い夕焼けが広がっていた。
夢翔は、ポケットから夢ノートを取り出し、こう記した。
《夢は、ひとりじゃ育たない》
《声にならない想いが、誰かに届いたとき、夢は形になる》
《この気持ちは、もう――恋なのかもしれない》