第2章:夢のかけら、音になる
【冒頭】
春が少しずつ本気を出しはじめた四月の終わり。
新学期の騒がしさが一段落し、学校に「日常」という名の安定が戻ってきた頃。
相原夢翔は、珍しく放課後に人が集まる視聴覚室に足を運んでいた。
「今日、七瀬さんが朗読するって聞いてさ。お前も行くかと思ってた」
涼真が、後ろから小声で話しかけてきた。
「なんで俺が?」
「……そりゃお前、最近よく話してるし。あと、わかりやすいよ、相原」
「何がだよ」
「興味あるの、顔に出てる」
夢翔は返す言葉が見つからず、無言のまま視聴覚室の扉を押し開けた。
【朗読会】
室内は静かで、放課後とは思えないほど落ち着いた空気が漂っていた。
スクリーンにはタイトルだけが映されている。
《朗読:宮沢賢治『銀河鉄道の夜』抜粋》
ステージの中央に、七瀬花音が立っていた。
彼女の声は、はじめは細く、小さな音だった。
しかし言葉を重ねるごとに、少しずつ空気を震わせるような力を持ち始める。
「……ジョバンニは、夢のように思いました……」
夢翔は、その声に引き込まれていた。
音に想いが乗る、とはこういうことか。
言葉が、風景になり、感情になって、胸の中でじんわりと染み渡る。
花音の声は、確かに聴く者の心に“届いていた”。
【終了後】
朗読が終わると、控えめながらも温かい拍手が視聴覚室に満ちた。
終わったあと、夢翔は一人残っていた花音に声をかけた。
「すごかった」
「……ありがと」
「本当に、プロみたいだった。いや、プロ以上かも」
花音は少し照れたように笑った。
「ねえ、夢翔くん。わたし、ずっと声を届けたかったの。誰かの心に、言葉じゃなく“音”で伝えたくて」
「届いてたよ。間違いなく」
花音は、まっすぐに夢翔を見た。
「あなたは? 夢に、近づけてる?」
「……少しだけ。まだ輪郭もぼやけてるけど、何かを見つけ始めてる」
「そっか。よかった」
そう言って彼女は微笑んだ。
その笑顔が、夢翔の胸の奥をあたためた。
【夢のノート】
家に帰ると、夢翔は机に向かい、夢ノートを開いた。
ページの隅に、今日の朗読会の感想を綴る。
《声ってすごい。言葉じゃ届かないものが、音なら伝わる。》
《七瀬花音の夢には、人を動かす力がある》
《俺は――そんな夢を、応援したい。》
書いていて、ふと気づく。
“応援したい”――その気持ちは、夢翔自身の心から自然と湧いたものだった。
誰かの夢を支えること。それが、自分の夢なのかもしれない。
【銀次郎との会話】
夕食後、祖父の銀次郎が夢翔に尋ねた。
「お前さん、最近なにか変わったな」
「……そう?」
「顔が変わった。目の奥に灯がついてきた」
夢翔は苦笑いしながらも、少しだけうれしく思った。
「誰かの夢を応援したいんだ。……その人の声を、もっと遠くに届けたいって、思った」
「それは立派な夢だな。人の夢の土台になれる人間は、強いぞ」
「俺、そんな強くないよ」
「強くなくていい。ただ“忘れない”ことが大事だ」
銀次郎は、ふと真剣な表情になった。
「夢を持つってことは、同時に傷つく可能性を抱えるってことだ。だから、人の夢を応援するってのは、優しさと覚悟がいる」
「……うん」
「けど、その覚悟が、世界を少しずつ変える」
夢翔は祖父の言葉を、ノートではなく心に書き留めた。
【波紋】
翌日、学校に少しざわついた空気が流れていた。
生徒の間で「七瀬花音、すごかったよな」「声優ってマジ?」といった声が飛び交う。
一部の生徒は純粋に感動し、一部は妬みや冷やかしの目を向けていた。
教室で、ある女子が冷たく言った。
「夢は自由だけど、あんまり目立つと面倒だよね」
その言葉に、花音は一瞬だけ視線を落とした。
夢翔はすぐに言い返そうとしたが、花音は小さく首を振った。
「いいの。分かってるから」
その笑顔は、悲しみを隠す仮面のようだった。
【結城涼真の助言】
その日の帰り道、夢翔は涼真に相談した。
「俺、何ができるんだろう。花音の夢のために」
涼真はいつになく真面目な顔で答えた。
「相原、お前はさ、もう“何かをしてる”んじゃないか?」
「え?」
「七瀬さん、少なくともお前には心を開いてる。応援してるって気持ち、ちゃんと伝えてるだろ?」
「……つもりでは、あるけど」
「それでいいんだよ。夢ってのは、口にするより、誰かが信じてくれることで強くなる。お前がそばにいて、味方でいること。それが一番の応援だろ?」
夢翔は思わず、胸の中に暖かいものを感じた。
【章末シーン】
数日後、夢翔と花音はまた屋上で並んでいた。
風が春の匂いを連れてくる。
「夢翔くん」
「うん?」
「もし、声が届かなくなっても……わたしの夢、信じていてくれる?」
その問いに、夢翔は即座に答えた。
「届かなくなっても、俺は聴くよ。君の声を。君の夢を」
花音は、何かを堪えるように、小さく頷いた。
「ありがとう。……それだけで、十分だよ」
彼女の声が、どこまでも澄んでいた。
夢翔の胸に、確かに響いていた。
それは、はじまりの音――