5話 精鋭騎士ルナの場合 - 5
そうなるようにと、無理を言って団長を連れては来たものの。
――ルナを、こうも圧倒するとは。さすがは『王道の聖騎士』……。
俺は団長に付けられた二つ名を思い出し、まさに彼を体現していると感心する。
シリウス王国にふたつある騎士団のうち、その片方の長であるゼルドリック団長は、まさに基礎力を突き詰めた理想の騎士というべき人物だ。極まった身体強化魔法による並外れた膂力・速さ、そして世界で最高峰であるシリウス王国騎士剣術の腕前。
歳をとり、さすがに全盛期は過ぎたと自称してはいるものの、依然この騎士団で頂点に立つ者として、その実力に陰りは見えない。
模造剣を鞘に納め、防具を外しはずめた団長から視線を外す。そして、すでに首筋から剣が離れたにも関わらず、いまだその場に立ち尽くすルナを見た。
「……」
うつむき加減の彼女は、冷たい表情で床を見つめている。その顔からは、一見して感情を読み取ることはできない。
これは新主認定、行けたのか……? どうなんだ……。
注意深く様子をうかがっていると、やがて身を整えた団長がルナのもとへ寄っていき、今の一戦の講評を始めた。
国内最高峰の騎士が言うことだけあって、ルナも礼儀正しく顔を上げ、熱心に話を聞いているように見える。
これ、行けたのでは?
目論見通りいったかと、内心で勝どきを上げるか考えていた、ちょうどその時。
話を終えたらしいルナと団長がこちらに向かってくる。団長は俺に「これでよかったか?」と、微妙に納得のいっていなさそうな顔を向けてくる。
「すみません、お忙しいところ時間を取ってもらってありがとうございました。……結果はまた、後日共有ということで」
俺は礼を伝え、ルナも頭を下げる。
団長は結局最後まで良く分からなそうな表情を浮かべたまま、手をあげて返事をすると、訓練室を去っていった。まだ事務仕事が残っているらしいことを考えると、何だか哀愁を感じる背中である。
……さて。それで、肝心のルナはどうかと言うと……。
俺は頭を上げたルナに、さっそくと声を掛けた。
「ルナ。どうだった、団長は?」
「はい。それはもう、想像していた以上に強かったです。正直、今のままでは勝てるイメージがわきません」
「うんうん、そうだろうそうだろう。我らが団長だからね」
俺はルナの返事にほくほく顔で頷く。ルナもかなりの強者だけあって、相手との実力差はようく理解できたようだ。
であれば、だ。
俺は大いに期待しながら問いかける。
「じゃあ――アレは更新されたかな?」
「アレ、とは?」
「ほら、模擬戦行脚する前に話してたことだよ」
「ああ、はい、アレですね。うん、そう、アレ……」
こいつ、やけにぼうっとして……俺の話聞いてるか?
ほんとうに俺を主だと思っているのかと疑わしくなるが、しかし先ほどその主が更新されたのだとしたら頷ける話。なにか上の空なのも、今別れた新たな主のことで頭がいっぱいだからなら……いいな……。
俺は自分を無理やり納得させると、なんとなく言い出しにくくぼかしていたのをやめ、はっきりと口にした。
「――だから、主だよ。いまの模擬戦で、ルナの主は団長に変わったのかって、そう聞いている」
そうして、少しの間を置き。
どこか茫洋とした視線を宙に向け、何事か考えていた様子のルナが現実に戻ってくる。その怜悧な美貌を俺に向け、微かに口を開けると――
「――は?」
……なんで?
いま俺は、なんでこんな可哀想な子を見るような目を、ルナに向けられてるんだろう。
「何を、意味の分からないことを」
ルナは相も変わらず表情を動かすことなく、しかしどことなく呆れたような雰囲気で言った。
「私の主が変わることはありません。私の主は、未来永劫リオ副団長です。――たとえ貴方が、私の前からいなくなろうとしても」
なんだそれは。話が違うではないか。
「……でもルナは今日、言っていただろう? 犬獣人は、強いものを主とすると。団長は強かっただろう? さっき何かを考えていたのは、団長を新たな主とするかとかじゃなかったのかな?」
「まったく違います。先ほど考えていたのは……」
考えていたのは……?
「団長には負けてしまいましたが。なんとか副団長からご褒美をもらう方法がないかと……ただ、そう思慮していたんです」
な、なんだそれは……。脳内で、俺と団長の主バトルをやってるわけじゃなかったのか?
期待が空振りに終わったことで、俺はおもわずうなだれる。真面目な顔で子どものようなことを言うルナに、思わず力が抜けたのもある。
ううむ。単にルナを圧倒する相手を見つけるだけでは、主は変わらないのか? 俺より団長の方が明確に強いと、そう思ってもらう必要があるのか?
俺はどうしたものかと悩む。
実際俺と団長どちらが強いのか、正直ずいぶん長い間団長とは剣を交わしていないので、判断がつかないが。ルナの前で八百長の試合でもやってやればいいか?
もはや正攻法ではなく、搦手を考えた方がいいかと、俺はそんな方法を考える。しかしどんな手を取るにせよ、今日中にルナを納得させることはできそうにない。俺の引退が長引いていく……。
……しかし、まあ。とりあえず今日は。
「ご褒美、か。今日は一日俺に付き合ってもらったことだしね……。まあ、なんでもとは言わないけど──少しくらいなら、ルナのお願いを聞いてあげようか」
俺はまるで子どものように頭を悩ませていたらしいルナに、ふっと微笑みを溢しながら言った。
そして、その言葉を聞いた瞬間、ルナはぴこんと耳を震わせる。ずいっと表情のない顔を俺に近づけてくる。
「それはほんとうですか? 今日は一日、たくさん面倒を見てもらって、その上ご褒美までもらえるんですか?」
「あ、ああ、本当だとも。あ、ただあんまり無茶なお願いは聞けないからね……」
俺の補足を聞いているのかいないのか、もうルナの頭は俺に何を頼むかでいっぱいらしい。切れ長の目を閉じ、顎に手を当て深く考え込む。
なんかここまで喜ばれると怖いんだけど。何頼むつもりなんだ……。
俺が戦々恐々としていると、やがてルナはその目をぱちりと開く。そして、すっと俺に視線を合わせる。
「……。願い事は、決まったかな?」
「はい」
そうして、ルナは言った。
「――今日、これから。私と、食事をともにしてくれないですか?」