聖女エリーゼの場合 - 12
――深い緑に囲まれた森の中。
木々は陽の光を透かし、流れる小川に葉の影を落とす。せせらぎに混じって聞こえる小鳥や獣の声が、この森の豊かさを主張している。
俺は小川の前でしゃがみ、鉄鍋に水を汲む。立ちあがり、川に背を向け少し進むと、やがて見えてくるのは煙突が伸びる石造りの小屋だ。
俺は煙突から上がる煙をちらと見ながら、木にかけられた物干し用のロープの前を通り過ぎ、そして小屋の扉を開く。
その瞬間、ふわりと漂う香ばしい匂い。じゅうじゅう、ぱちぱちと、脂が弾ける音も聞こえる。
「――ただいま。今日も、追手は大丈夫そうだった。あとついでに水汲んできた」
俺の声に振り返ったのは、めったにしない料理に悪戦苦闘する金髪の佳人――エリーゼ。
彼女は俺を見て、どこか困ったようにゆるく笑みを浮かべ、そして言った。
「お、おかえり~。……あの、なんかスープ、しょっぱいだけでぜんぜん美味しくならないんだけど……どうしよっか?」
鍋の中で煮えたぎるスープと、フライパンで焼きすぎた猪肉を前に、エリーゼがもう一度へらっと笑った。
大聖堂を脱出し、さらに王都をも飛び越えて、近郊の森に潜み始めて早五日。
――俺たちは何ら不自由なく、実に平和な時間を過ごしていた。
小屋の中、そこらの木で作ったテーブルに並ぶ料理が、温かい湯気を立ち昇らせている。
かなりよく焼けた猪の肉は、塩をかけただけの簡素なものだが、それでも滋味に富んでおり、噛むごとに旨みが滲んでくる。
先ほど俺が手を加えたスープは、後から追加した猪の骨から旨みが溶け出し、森で採取したキノコや山菜との相乗効果で、単純な味付けながら非常に美味である。
木から作った匙でスープを啜るエリーゼが、そのいつも眠たげな目を驚きでわずかに開く。
「お、おいしい……。わたしが作ってもただのしょっぱ苦い汁だったんだけどな~……」
「スープとか煮込み料理は出汁が大事なんだよ、出汁が」
「ふ~ん……。よし、覚えたから、つぎはわたしでもできるからね。リオにあっと言わせてやろう~」
ほんとうに大丈夫かと思うが、苦笑して「じゃあ次も頼んだ」と言っておく。エリーゼは上機嫌で胸を張り、眠たげな目で「任せて」と言わんばかりに俺を見た。
孤立無援で追い込まれた状況の俺たちだが、エリーゼはここへ来てからよく笑うようになった。悲壮感に包まれる食卓より、こちらの方がずっといい。
俺はエリーゼに先ほど見てまわった付近の様子や、明日の予定なんかを話しながら、野性味あふれる食事を進める。
俺たちには、考えなくてはならないことがたくさんある。
明日の食料をどうするか。追手に居場所を気づかれてはいないか。大聖堂内の情勢はどうなったのか。――そして、どうやってエリーゼの居場所を取り戻し、安全に教会へ返すか。
王都を出てからまだ五日しか経っていないから、正直情報を集めきれていない。
俺たちは顔が広く知れているので、王都内のどこに隠れようとリスクがあると。だから、王都を囲う城壁の外へやってきた選択は間違っていないはず。だが、ここではどうしても街の中の情報を得るのが遅れてしまう。
だからこそ、定期的に王都内へ忍び込み、情勢を確認しに行くことが重要なのだが――しかしエリーゼは、どうも俺が情報収集に動くことをよく思っていないようだった。ひとりで動くことを伝えるたび、ひどく不安そうな顔で引き止められる……。
それでも、いまはそうするしかない。俺たちがこれからどうすべきか、その選択肢は多くないのだから。
――なんらかの方法で再び王都に戻り、元の立場を取り戻すか。あるいは、教皇派の勢力が強い別の都市、国へと渡ってしまうか。
……俺たちが生まれ育ったのは、ここ王都シリウスだ。それに俺は、汚名をかぶったまま去ることで青狼騎士団へ迷惑をかけることにもなってしまう。
エリーゼはどちらでもいいと言ってはいるが、できるなら元通りを目指した方がいいに決まっている。
それに……ここ数日、エリーゼはすこし不安定だ。基本的には機嫌良く、ピクニックでもしているような様子だが、ときおり――今後の進退や、どうやって街に戻るかなんて話をしたときは、どうも上の空というか、とにかく様子がおかしくなることがある。
俺の単独行動時のこともあるし、一度彼女とはきちんと腹を割って話した方がいいのかもしれない。
美味しそうに猪肉を頬張るエリーゼを見て、俺は止まっていた手を再び動かし始める。
……今後どう動くにしても、栄養はきちんと取って体力を落とさないようにしておかねば。
そんな、真面目にこれからのことを考える俺に対して――
「ね~。明日の食べ物だけどさ。あそこの川、お魚いないかな? わたし、お肉飽きちゃったかも~」
こいつ、まじで行楽気分か……。ここ最近で初めて見たぞ、こんなにこにこしてるとこ。
俺はまたため息を吐いて、「あのなー」とエリーゼへ苦言を呈す。
魔法まで使って、住環境整え過ぎたのが悪かったか……。
不満そうにぶーぶー言うエリーゼをあしらいながら反省する。
それでも。ここしばらくで一番楽しそうに笑うエリーゼを見ていると……どうも、かつて一緒に過ごした日々を思い出すようで――
「しょうがないな……じゃあ、明日はエリーゼも早く起きろよな」
――どうにも、なんだかんだと、苦笑しながら受け入れてしまうのだった。




