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聖女エリーゼの場合 - 9


 ――それからのことは、考えうる限りで最悪の流れだった。頭を抱えることしかできない。


 殺到した何人もの神殿騎士たちに取り押さえられ、誤解を解こうにも話を聞いてもらえない状況。


 無理やりに脱することも出来なくはなかったが、弁明の機会なくそんなことをすれば、いよいよお尋ね者だ。俺だけでなく、騎士団にまで迷惑がかかる。


 結果俺はされるがままになるしかなく、大人しくしていたら枷を嵌められ、こうして――暗い懲罰房に叩き込まれたのだった。


 俺は誰もいない薄暗い部屋の中で、徒労感を抱えたまま座り込み、大きくため息をついた。


 ――もうここに入れられて、半日以上は経っている。


 人が来たのは一度。飲み水と食事が差し入れられた時のみで、一言も話さずすぐに去っていった。檻によって閉ざされた牢が幾つも並ぶ懲罰房だが、今ここにいるのは俺ひとりだけのため、誰かと話して情報収集することもできない。


 中には一応トイレもベッドもあるが、それ以外には何もない。牢自体に魔力封じも為されているようで、現状時間が過ぎるのをただぼうっと待つしかなかった。


 ただ、いま俺が心配なのは、俺自身のことより――ルナがどうしているのかだ。


 俺が捕まってしまったことは、おそらくあの騒動から多くの人が知るところのはず。であれば、ルナの耳に入るのもそう遠くはないだろう。


 ここにルナが来ていない以上、まだ捕まっているわけではないだろうが、今回のことを聞いたルナが大人しくしている姿を想像できない。


 頼むから大暴れはしないでくれよと祈るも、はたしてどれだけ冷静でいてくれるか。可能であれば一度騎士団本部に帰って俺のことを共有してきてほしいが、その頼みを伝えることもできないのが歯痒い。


 俺は先行き不透明な状況に、もう一度大きくため息を吐いた。


 だが、しかし。


 ――事態の好転に繋がりうる転機は、この窮地と同じく唐突に訪れる。




 時は、さらに数時間が経過したころ。


 ――懲罰房の入り口がガチャガチャと音を立て始めたのに気づき、俺はばっと顔を上げた。


 ……なんだ? 食事にしては、もうだいぶ時間が遅い気がするが……。


 そう訝しむ俺は、視線の先でガチャリと鍵が開く音を聞いた。


 ゆっくりと扉が開き、部屋の中に光の筋が差し込む。暗さに慣れた目が焼かれ、一瞬視界が真っ白になる。


 そして、カツカツと床を叩く音とともに、誰かが俺の前に立った。


 ――俺がその誰かに問いかける前に、聞き慣れた声が耳に届く。


「――副団長、私です。こんなところに副団長を閉じ込めるなんて信じられません……ほんとうに、あの女……」


 光に染まっていた視界に、少しずつ色が戻ってくる。膝をついて、俺のいる牢を覗き込んでくるその影には、ぴょこんと頭上に立った二本の三角耳。


 最近はいつも俺の隣で活躍してくれていたが――今日はこれまでの中でも、一段とその有能さが光る彼女は――


「――ルナ。……ごめん。下手を打っちゃってね……」


「いえ。副団長は何も悪くないでしょう。悪いのはあの――」


 ギリ、と歯を鳴らす音が聞こえる。


 元に戻った視界には、いつも通り表情のないルナの顔が映る。しかし、彼女の全身からゆらゆらと立ち上るような怒気を感じる。


 ルナは吐き捨てるように言った。


「あの、聖女の皮を被った女狐が、諸悪の根源……ですから」


 女狐て。


 予想通り、ルナからエリーゼに対する感情は、もはや修復不可能だった。


 ……いや、それよりも今は。


「ルナ。ここまで来てくれたのは本当に助かるんだけど、いくつか確認させてほしい。まず、ここまででルナは、教会の誰も傷つけてないね?」


「はい。副団長が捕えられたこと。どこにいるのか。鍵はどこにあるのか。全て、誰の前にも姿を見せずに情報を集めました。あとはみんなが寝静まった頃、鍵番がうたた寝した隙を見計らって、なんとか房の鍵だけ手に入れられたんです。――個別の牢の鍵は一番厳重で、持ってこられなかったのですが……」


「よし。いや、ここまで冷静な判断で来てくれただけで十分だよ。――これでルナには、騎士団に情報を持ち帰ってもらえる」


 俺がそう言った瞬間、ルナは珍しく、微かに目を見開いた。


「それは――私に副団長を置いて、あの女に背を向けろと、そうおっしゃるのですか?」


「いや、背を向けるっていうかね……。ほら、ここまで無理に突破してこなかった冷静さを持ってるんだから分かるだろう? いま俺が無理やりここを去っても、互いに組織的な禍根を残すだけだ」


 教会は俺たち青狼騎士団にとって、重症者の治療という重要な役割を担っている。関係が悪化するとどれだけの悪影響があるか。


 ルナは少し破天荒なところもあるが、それでもとても優秀な騎士だ。俺の言っていることはすぐに理解してくれる。


 だから、俺の身を案じてむにゃむにゃ文句は言うのだが、それでも本気で俺が言葉を尽くせば――今回のように、なんとか俺の言うことに頷いてくれる。


「……苦渋の決断です。必ずあの女の悪事を告発し、無罪の副団長を救い出して見せます」


「あ、ああ。どうか私怨は混ぜず、事実だけ伝えてね」


「……善処します」


 渋々頷いたルナに、限られた時間で手早く必要な情報を伝える。


 俺が捕まった経緯、団長へ伝えてほしいこと、それに何より、ルナの身の安全を第一に行動してほしいこと。


 そうして必要なことを伝え終わったら、万が一にもルナの脱走が露見しないよう、すぐにここを去るように言った。


 ルナは最後まで俺を心配そうに振り返るが、誰かに見つかる前に早くと、なんとか俺を置いて出て行ってもらう。


 やがて、後ろ髪を引かれるように最後まで俺を見つめるルナの視線が、再び閉ざされた重たい扉に遮られる。


 ……そして。暗い部屋に、また沈黙が戻る。


 ――とりあえず、これで今できることはやった。ルナなら夜の間に誰にも見つからずここ出ることはできるだろう。あとは、果報を寝て待つしかないか。


 気分はまったく上がらないし、上がったとてもうできることもない。ひとまずルナへの心配がなくなった俺は、今後を見据えて体力を温存するため、さっさと眠りにつくことにする。


 きっと、これからしばらくは状況が動くこともないだろう。だから、これからは辛抱の時間だと。


 ――そう、思っていたのだが。




 ――次の日、寝起きで頭がぼうっとしている時間帯。


 昨夜ルナが来た時と同じ、ガチャリと扉の鍵が開く音で、ぼんやりしていた意識が覚醒する。


 朝食を持ってきてくれたのかとベッドから身を起こしたが、部屋へ入ってきたのは物々しく武装した二人の神殿騎士。


 しかし問題は、そのふたりにがっちりと腕を捕まれ、引き摺られるようにして懲罰房へ入ってきた人物だった。


 そう、彼女は――


「――くっ。この、いい加減、はなしてよ!」


 ――俺をここに閉じ込めた張本人。


 聖女エリーゼが、投獄される。




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