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聖女エリーゼの場合 - 8


「……え?」


 普段のエリーゼとはまるで違う、どこか湿度を感じる暗い声。


 それに、発言自体もよく分からない。いま俺が聞きたいのはこの依頼の意図であって、エリーゼがルナについて言及するのは――


「――いいよ。じゃあ、教えてあげる。……でも、その前に」


 いつもの眠たげな瞳はそのままに、エリーゼの声から明るさが消える。そして彼女は、質問には答えず、逆に問い返してきた。


「リオは騎士団を辞めたあと、この国を出るつもり――だよね」


「……ああ。……そうだけど、それが俺の話に――」


「――関係してるの……! いいから、聞いてよ!」


 ぎゅっと目をつぶり、エリーゼが半ば叫びながら言う。


 俺は内心でため息を吐く。エリーゼのこういうところは昔と変わらない。いつだって俺は彼女のわがままを聞いて、兄としての振る舞いを求められた。


 目を開き、こちらを睨むエリーゼに、俺は仕方なく頷いて先を促す。


 エリーゼは高まった感情を鎮めるように息を吐いてから言った。


「……聖火教は、この国以外にもたくさんの拠点を持ってる。たぶん、大陸のほとんどの国で、主要な都市に教会を置いていたはずだよ。だから……だからね――」


 エリーゼは、そこで一度言葉を止める。言いづらいことを口にしようとするように、何度か口を開けては閉じと、次の言葉が中々出てこない。


 そんなエリーゼを見つめ辛抱強く待つ俺は、思い出す。


 ――こいつももうすぐ二十の半ばになるってのに。こういうところは昔と変わらないな……。


 あれは、エリーゼがまだだいぶ幼ない頃だった。おもちゃで遊ぶ彼女の面倒を見ていたときのこと。エリーゼがすこしふざけた結果、おもちゃもろともに家具を壊してしまったことがあった。


 そのあとすぐ、一緒に俺たちの親代わり――神父様に謝りに行ったのだが、あの時のエリーゼは涙目で床を見つめるばかりで、なかなか謝罪の言葉を口にすることができなかった。


 自分が悪いことは分かっていただろうに、それでも怒られるのが――否定されるのが怖いのか、幾度も謝りかけては言い淀むことを繰り返していた。


 あの時はたしか結局、俺が「エリーゼもわざとやったわけではないんだ」と、神父様にある程度の事情を説明して、謝りやすい空気を作ったあげたのだったか。


 ――そんな、昔の思い出が頭をよぎるほど。今のエリーゼの様子はいつもと違っていた。


 そうして、沈黙が長く続く。


 ――いい加減に次の言葉を催促しようかと、俺が口を開きかけたその時だった。


 エリーゼが、うつむきがちだった瞳を俺に向ける。


「――リオは」


 そして、ごくりと唾をのんだ後。エリーゼは口を開いた。




「リオ……教会に、帰ってこない?」




「――!」


 エリーゼは先ほどまでの様子と一転、どこか誤魔化すように笑みを浮かべながら続ける。


「リオがなにするつもりかは知らないけど、でも。どこに行くとしたって、きっと教会は近くにあるでしょ? だからね、もし教会に入れば、どこで活動するにも支援を受けられるじゃない」


「それは――」


「ほら――! 騎士団辞めてなんの支援もなくなったら、何するにしたってむずかしくなるよね~。だからさ、良い考えだと思わない? もしそうしてくれるならね、私もそっちに移って――」


「――エリーゼ」


 まるで畳みかけるように話し出したエリーゼを、俺は少し語調を強めて遮る。


「……分かってるだろ? 俺はもう――教会に帰るつもりはない」


 そう断言した俺に、エリーゼは一瞬うっと言葉に詰まる。


 ……この依頼は本当にルナの言っていた通り、俺を教会に取り込むためのものだったのか? 


 驚きと落胆を胸にエリーザを見返すと、先ほどまで怯んでいたエリーザは再びその目に力を入れ直す。胸の前で拳を握り、俺に向かって言った。


「……で、でも! 私ももうあの頃とは違って聖女だよ? リオひとり教会に迎えるくらい何てこと――」


「もう一度言うぞ。俺はもう、教会には帰らない。たしかにお前がいればできるだろうけど、そうするつもりはない。……教会に戻ったって、あの頃の不条理は――きっと、変わらないだろうから」


 ――かつて、俺たちが教会から受けた理不尽な扱い。上層部の腐敗。それを変えるにはどうしたらいいのか。


 ろくに働き口もない歳で教会を抜け出し、毎日の食べる物にも不自由しながら、それでもこうして騎士にまでなって考え抜いた結論。


 けして内部から変わろうとしない、自浄作用が働かなくなった教会を変えられるのは――それは、もはや外圧だけだろう。


 騎士を引退した後の俺が、絶対にやらなければならないことのひとつ――。


 そう、深く考えた上で出した結論を口にしたのだが、しかしエリーゼはそれをどう受け取ったのか。


 きっぱりと断った俺を、初めはすこし潤んだ目で睨みつけてきた。しかし、やがて力が抜けたように、その端正な顔へうすい笑みを浮かべる。


 どこか不穏なその表情に、嫌な予感が過る。


「――……あ、そ。やっぱりリオは、今回もわたしの言うこと聞いてくれないんだ」


 そうこぼしたエリーゼは、「はぁーあ」と妙に明るい声を出す。


 分かってくれたかと思ったのだが、しかし。次の瞬間――


「――じゃあ、もう、わたしも手段は選ばないから。言うこと聞かないリオなんて。リオなんて……」


 ぐっと口を引き結び、ソファから立ち上がる。


 そして、ずんずんと足を踏み鳴らして部屋の出口に向かうと、扉を開き、体を半分外へと出した。


 いったいどうしたのかと思ったその時。


 ――エリーゼは、大きな声で叫んだ。


「――だれか、だれかこちらに来てください! セージ副団長がご乱心です……!」


「は……!?」


 エリーゼのやつ、なんてことを……!


 俺がそう思った一瞬の間にも、部屋の外から聞こえてくる複数の足音。


 まじでこいつ……。この歳になってもまだ、情緒不安定のわがまま娘のままかよ……!


 思わず舌打ちした俺を、誰も責められはしないだろう。


 そうして、部屋に押し入ってくる何人もの神殿騎士たち。もはやなるようになれの精神で、乱暴に伸ばされる手にされるがままとなる俺。


 ――覚えてろよ、エリーゼのやつめ……。


 神殿騎士たちの囲いの向こうで、エリーゼが保護される様子が目に入る。じっとこちらを見ていた彼女は、まるで拗ねた子どものように口をへの字に曲げ、すっと視線を外す。


 そして、やがて彼女はこの場を去っていった。


 俺はきつく体を押さえつけられながら、遠ざかっていくその背中をただ見ていることしかできないのであった。




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