聖女エリーゼの場合 - 7
――外から聞こえる、いつもより少し大きな喧騒。それに、微かに聖句を唱える声。
顔に当たる太陽の光は、記憶の中と角度が違う。
俺はすこしの違和感とともに意識を眠りから浮上させ、そしてゆっくり目を開く。
目に入る天井は未だ見慣れないが、意識が覚醒するにしたがって、今の状況を思い出してくる。
身体を起こし、ベッドサイドのテーブルに置いた水差しから一口水を飲んだ。そして立ちあがり、今日も準備を始める。
――ここは王都における聖火教の本拠地、大聖堂の一室。
エリーゼの依頼を受けて早二週間が経過したいま、俺は慣れてきた新たなルーチンをこなしながらも、この依頼に込められた思惑に疑念を抱き始めていた。
「――よし。それでは、今日の食糧配給はこれにて終了とする」
そう声を上げた神殿騎士は、まだ受け取っていないと言い募る民衆に煩わしそうな顔を見せる。「用意していた分はこれですべてだ。また明日来るといい」とだけ告げ、すげなく追い返す。
そうして、今日はシスターたちに混じって受け渡しを担当していたエリーゼへ、一転恭しく視線を向けた。
「聖女様は、どうぞ大聖堂の中へとお戻りください。お早い時間からのお勤め、ありがとうございました」
頭を下げると、そばにいたもう一人の神殿騎士に告げ、エリーゼを中へと連れて行こうとする。
エリーゼはこの場を去る前に、残っていた民衆へぜひまた来るようにと笑顔で告げる、手を振って踵を返した。
「――セージさまも、ご一緒に。わたくしの護衛ですからね」
そして小さく、しかし傍にいた俺にははっきりと聞こえる声でそう言うと、こちらににこりと微笑み掛け、大聖堂の中へ足を向ける。
俺は周囲に詰めていた神殿騎士たちから忌々しそうな視線を、そして――隣にいたルナからはとんでもなく不満そうな目で見られながら、エリーゼの後を追った。
……あんな目で見られたって、別に俺のせいじゃないんだけどな。だけど、ここ数日のエリーゼは――すこし、露骨だな……。
俺は追いついたエリーゼの隣、お供の神殿騎士とは反対側につき、エリーゼ用の執務室へと向かう。
――大聖堂へやってきてから今日までの毎日。
俺はこうしてエリーゼの傍につき、護衛とは名ばかりの、まるで家令のような日々を過ごしている。
初めに聞いていた教皇選挙にまつわるいざこざなど影も形もない。俺が行っているのは、聖国で行われている教皇選挙の動向を注視したり、エリーゼが参加する行事に見た目だけの護衛として参加したり、あとはエリーゼの要望通りに雑務をこなすくらい。
やはりこの依頼には隠れた意図があり、護衛というのはただの口実なのか? エリーゼとふたりになった時に尋ねてみてもはぐらかされるばかりだ。
最近では、今のように俺とルナが引き離されることも増えてきた。ルナなんかは「やはり目的は副団長を引き込むこと?」などと呟いていたが、本当にそのようなことがあるだろうか。戦力というなら、健康体でまだ発展途上のルナの方がよっぽど価値が高いと思うが。
と、そんなことをつらつらと考えているとやがてエリーゼの部屋へついたので、神殿騎士に目で促され扉を開ける。
そして三人で中に入るやいなや、エリーゼが口を開く。
「わたくし、何だか疲れてしまいました。なにか甘いものでも食べてゆっくりしたいのですけど……」
その言葉を聞いて、神殿騎士はまた俺に視線を向けてくる。しかしその瞬間、エリーゼは神殿騎士を見ると再び口を開いた。
「わたくしの好みを把握しているのは、これまで長く付き合ってきた方だと思うのです。どうでしょう?」
「……そっ、そうですね! たしかに、ここは私が動いた方が、聖女様のお口に合うものを選んでこられるかと……! 急いで行って参りますので、いましばらくお待ちを」
上手いもんだな。
舞い上がった神殿騎士から勝ち誇ったような顔を向けられるも、エリーゼの性格をよく知っている俺からすれば、いいように使われていることに哀れみさえ覚える。
そうして、この依頼を始めてから何度も経験しているふたりきりの時間に、今回もまたエリーゼはいたずらっぽく笑った。
「また、ちょっとの間はふたりでいられるね〜。ごめんね、ルナさんは呼べなくて」
「……まあ仕方ないだろ。中に戻るのにそんな何人も護衛はいらないだろうし。ただ、女同士の方が護衛もやりやすいだろうから、俺じゃなくルナを呼べばいいと思う」
「だって、リオのほうが強いでしょ? 護衛なんだから強さが一番だいじだよね〜」
眠たげな瞳を俺に向け微笑んだエリーゼは、「よいしょ」と少女趣味の可愛らしいソファに腰かける。隣をぽんぽんと叩いて呼ばれるが、俺は首を横に振った。
「イヤだよ。さっきのあいつの顔見たか? 俺のことがよっぽど嫌いらしい。そんなやつの前で、聖女様と並んで座る勇気なんかない」
「え~、うちのみんななら泣いて羨ましがるのにな~。それじゃあ、お菓子が来る前にお茶淹れておいてくれない?」
機嫌良さそうに金の髪を指で弄ぶエリーゼに頼まれ、俺は仕方なしに言うことを聞いてやる。仕事として傍にいるのでなければ、こんな雑用じみた頼みを聞いてやることはないのだが。
――しかし。
今日ばかりは、このふたりきりの時間を待っていた。邪魔が入らないこの時間を。
俺は戸棚からお茶に必要な道具を取り出し、手を動かしながら、いつもと変わらない調子で言った。
「――それで、エリーゼ。そろそろこの依頼について、俺たちに伝えてないことを教えてくれよ」
「え~?」
返って来たのは、とぼけたような間延びした声。まだ誤魔化そうとするかと、俺はため息を吐いた。
――それが本当に必要なことなら、俺はどんな目にあってもいい。……それでも、いつまでも不義理をされて、ずっと笑っていられるほどお人好しではないぞ。
「あのな」
俺は、エリーゼへ振り返って言った。
「さすがに、そろそろ教えてくれよ。俺だけならまだいいけど――ルナも、最近は嫌がらせじみたことをされてる」
今のように、ルナは神殿騎士たちの中に一人残されることが増えてきた。これが騎士団内での話ならルナも好き勝手に動けるが、教会内ではルナの地位もあまり役に立たず、自由にとはいかない。
もともと教会の上にいる連中は、それ以外の者を見下すような者が多いが、ルナが獣人ということもその性質を助長している。本人はけろっとした顔をしているが、まるで野生の獣にするような扱いを受けている場面を目にしたときは、思わず拳が出るかと思った。
今回の件にどんな意図があるのか知ることができれば、その目的に沿った形で、俺たちが置かれた状況を改善できるのではないか。
だからこそ、エリーゼにはちゃんと本当のことを話して欲しかった。
それに、言ってくれれば――俺は大事な幼馴染を守るために、今より迷いなく動ける。
俺はエリーゼに真剣な眼差しを向け続ける。俺の思いは、きっとエリーゼにも伝わっているはずと、そう信じて。
――しかし。
返ってきた言葉は、期待していたものではなかった。
「……また、それ。ルナルナルナって――……あいつのこと、ばっかり……!」




