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聖女エリーゼの場合 - 1


 ――今日は、朝から強い雨が降る一日だった。


 いつもは街から聞こえてくる喧騒も、この日ばかりは雨音に隠れる。騎士団本部でも屋外での訓練は中止となり、外に比べれば手狭な屋内での鍛錬となる。


 一部の者のみ交代で模擬戦や魔法の訓練を行い、それ以外は筋トレなどで場所を取らないよう鍛えている。


 それ以外にも、小隊長以上の役職付きたちは、訓練がしづらく外回りも普段より減らされるこの時を利用して、たまった書類仕事を処理していた。


 かくいう俺も――


「――リオ、次はこっちを頼む」


「……はい」


 げっそりした顔の偉丈夫から渡される、厚みのある紙束。受け取った俺の顔も、団長に負けず劣らずだったことだろう。


 騎士引退の話でだいぶ団長に借りがある俺は、こうしてときおり、団長の膨大な書類処理を手伝うことを断りきれない。以前、退団表明直後に手伝わされて以降、どうも団長は味を占めたらしかった。


 事務はあまり得意ではないものの、それでもまだ週に一度手伝う程度で済んでいるので何とかなっているが。


 ……団長はこれ、ほとんど毎日だからな。俺がちゃんと副団長やってた頃でも、こんなにはなかったぞ。


 追加された書類を眺めているとげんなりする。


 ――俺用に用意された事務机に戻ると、椅子の正面に座る女騎士――ルナが顔を上げて一言。


「次の書類ですね、どうぞこちらへ」


 椅子から立ちあがってこちらに手を伸ばすルナへ、受け取ったばかりの紙束を渡す。ルナはぱらぱらと紙を捲って眺めながら、椅子についてさっそく次の書類の処理に入る。


 ――もう受け入れたけどさ。ここにお前がいるのもおかしいんだよな。


 俺について騎士団を辞めると決めたルナは、もはや自由の化身である。特別な事情がない限り、無理やりに団長の許可まで得たうえで、俺の身体が心配だからと常に着いてくる。


 ……足のことは嘘だと知ってるだろ、ルナのやつめ。


 しかし実際、ルナはこう見えてなかなか有能でありがたいことの方が多い。……それに実は、こうして可愛い弟子から気にかけられるのは、師匠としてちょっと嬉しかったりする。……本人には絶対言わないが。


 そうして、三人きりの室内で、カリカリとペンを走らせることしばらく。


 ふと壁に掛けられた時計を見れば、気づけば時間はもう夕方。まだ書類は少し残っているが、ずっと続けていては効率も下がるしと、俺はおもむろに席を立つ。


「――ふたりとも。根を詰めすぎても良くないですし、お茶でも飲んで休憩しましょう」


「副団長、それなら私が――」


「気を遣わなくていいよ。座って待ってて大丈夫」


 常に俺を立て、雑務を代わろうとしてくれるルナを手で抑える。気持ちは嬉しいし助かることも多いが、毎回そうでは彼女も疲れるだろう。


 無表情ながらどこか不満そう(なぜ?)なルナに背を向け、団長に声を掛けてから窓際の戸棚からティーポットや茶葉を取り出す。


 窓の外の雨音と、それに混じる馬の蹄が地を叩く音を何とはなしに聞きながら、茶葉を入れたティーポットに魔法で出した熱湯を注ぐ。


 茶葉の抽出と蒸らしの間、静かな室内で目を閉じる。


 かすかに聞こえるふたりの吐息。雨風が窓を叩く音。


 ――そして、他の音にかき消されず微かに届いた、なにがしか叫ぶ声。


 俺は咄嗟に目を開く。


「――いま、外から何か」


 気のせいとも思えなかったその声に、窓の前まで移動して外を見下ろす。


 そして目に入った光景は――


「なにか、あったな……!」


 数頭の馬と、その周りで何かを囲うようにしている数人の騎士。なにがしか叫んでいるのは彼らのようだ。


 そしていま、建物の中からもまた騎士たちが出てき始めた。


 様子を見るに、どうもそれなり以上の大ごとらしい。誰か状況を判断して指示を出せる者が必要か。俺が動かなくても、いずれ誰かが対応するとは思うが……。


「手が空いていて、全体を俯瞰し指示を出せる立場の騎士なら――俺が、向かいます」


 俺の後ろまで来て窓の外を覗いていた団長にそう告げる。


「ああ、悪いが頼めるか。何かあればすぐ俺まで上げてくれていい」


 頷くと、俺はすぐに動き出す。何も言っていないのに当然のように後に続くルナを連れ、急いで外へと向かった。


 雨は土砂降りで、石畳を激しく叩いている。


 視線の先では、上から見た時と位置が変わり、近くの建物の下、ちょうど建物の影で雨が遮られる場所に人だかりができている。


「――いったい何があった?」


 俺はそう声を掛ける。


 急ぎ足で寄ってきた俺とルナに、人だかりの一部が割れると――その真ん中に倒れる、血まみれの若い騎士。


「副団長、こいつが……!」


「――酷い傷だ。ちょっと、どいてくれるかな……!」


 一目でまずい状態と分かった俺は、必死に止血をしていた騎士と位置を代わる。傷の場所を確認すると、腹部に大きな噛傷――魔物にやられたようだ。


「定期掃討の帰り、巨大な狼の魔物にやられたんです……! ……魔物自体は倒したんですが、こいつが!」


 叫ぶようなその言葉を聞きながら、俺はもうすでに動き始めていた。倒れた騎士に右手を向け、魔法陣を浮かべる。


「――結合、復元、活性。《治癒》」


 初級の治癒魔法を、詠唱した上でできうる限り魔力を注ぎ起動する。魔法陣から降る淡い光が騎士の腹へと落ちると、破けた血だけらけの団服の下で、じわじわと傷がふさがっていく。


 周囲からは、おお、と歓声が上がるが。


 だが、この傷は初級では治しきれんぞ……。


 俺の手から光が消えると、すぐに周囲の騎士へと声を掛ける。


「――彼をすぐ室内に入れて、濡れた服を脱がし、身体を温めるんだ! まだ皮膚の下はずたずたの状態だから無理には動かさず、医療小隊を呼んでその指示に従うように。――これ以上の治療は、専門家の力が要る……!」


 騎士団にも当然治癒を得意とする者は常駐している。だが、この傷は内臓まで達している。そこまでの重傷を癒すことができる者は、騎士団内にはいない。


 であれば、頼れるところはひとつ。


 国内で大多数の高位治癒魔法士を抱える、この国の医療の生命線。


 神の教義を守り、人々を救う信徒たち。


「――俺は、教会に向かう」




カクヨムでは数話先行して投稿してます。

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