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別れさせ屋

ハーイ、元気かい?今日は悪い癖を辞める方法を伝授しようか。



実は簡単なことなんだ。例えば、貧乏ゆすり。これを止めてみよう。


まず、貧乏ゆすりをしていた状況を思い浮べる。自分が貧乏ゆすりしているところを映像として頭の中で再生するんだ。


それを静かに座っている自分の映像と入れ替える。二回目からは、それだけを何度もイメージする。



もう、貧乏ゆすりは出来るだけ思い浮べない。たまに出て来てしまったとしても、「ああ、もう止めたんだ」と流してしまう。



大事なのは「これはしない」と強く思わないことなんだ。その代わりに「これをする」と強くイメージする。



これはT・ガルウェイ著「インナー・ゲーム」に載っている基礎中の基礎だ。



スポーツ選手がやっているイメージトレーニング、催眠術、OJT。全てに応用が効く。もちろん、恋愛にもね。



「これをするな」と言えば、大人でもやってしまうものなのだよ。


“ピンクの象”を想像するなと言われて、誰ができると言うんだい?



――――別れさせ屋――――



すがすがしい朝に軽快に走るこの僕。鳴呼、なんてさわやかなんだ。



もし女性が歩いていたとしたら、僕に恋の一つや二つはしていただろうね。お気の毒様。



めんどくさそうな奴が出てきたなと思ったね、そこの君。いいかい?


恋はいつだって唐突に訪れぇる。恋の終着駅に向かって追突するのはモノレール。それに気付かないで追いかけ回していると通報をされーる。野球を欧米の言葉で言うと、ベースボール。



つまりはそういうことなんだ。わかってくれるね?



さて、僕のお仕事を紹介しておこう。別れさせ屋さ。



カップル仲介所が増えたおかげで、付き合ったことを後悔するカップルが急増してしまっているんだ。



もちろん、浮気している男性をうまく別れさせて欲しいって依頼もあるけどね。



なかなかハードな仕事だよ。コンピュータと違って人間に行動をプログラムするのは手間暇かかるんだ。



「おい、そこの紙より薄っぺらい男。用意はできたのか?」



この僕に話しかけた、一見恐そうなお姉さんは言うなればライバル。カップル仲介所の野咲さんさ。僕はワイルドフラワーって呼んでいるんだ。



そう呼んで、一度も返事してもらったことはないけどね。彼女はちょっとシャイなのさ。



「私は準備万端だ。さっさと始めるぞ」



「ちょっと待ちなよ、ワイルドフラワー。この午後のティータイムがまだ終わってないんだ。君も一緒にどうだい?」



これから、あるカップルの存在意義について戦いが始まる。



僕が勝てば、僕が別れさせる。ワイルドフラワーが勝てば、カップルの仲は彼らが修復するというわけさ。



「私がすぐに始めたいと言っているのだ。早く準備に取りかかりなさい」



「僕のティータイムを邪魔する者はいくら君でも許さないよ。座りたまえ」



普段は滅多に怒ることのない僕だけれど、これだけは譲れない。驚いたワイルドフラワーは何も言えずに座っていた。



「驚かせて悪かったね。あ、そこの君。このレディにもアールグレイを持って来てもらえるかな?」



紅茶が来るのを待つ間、僕は音声レコーダーをおもむろに取り出しスイッチを入れる。



「被害者のガールのことなんだけどね。一年も待たされると言うのは、とても辛いことだと思うんだ。ボーイは、それがわかってた上で留学に行ったのかな?」



ワイルドフラワーが意地悪そうな顔をして、こちらを見ている。



また一人のレディに恋が芽生えてしまったかと思ったけど、そうじゃなかった。



「あなた、ティータイムはどうしたの?沈黙に耐えれなかった?それとも、指図されるのがお嫌いだったかしら?」



ヘビに睨まれたカエルって、こんな気持ちなんだね。なんだか、ぞくぞくするよ。



「これぐらいの居心地の悪さがちょうど良かったんだ。君、素晴らしい空気を出すね」



返事はない。彼女はただ、モナリザスマイルでこちらを見ているだけだ。



「どうも、ありがとう」



彼女に紅茶が届いたのだ。ウエイトレスにはとても優しそうな笑顔を見せている。ウエイトレスが少し頬を赤らめ去って行く。



「まあ、いいわ。始めましょう」


僕の頭の中で開始のファンファーレが鳴る。



「お手やわらかに」




「そちらの主張は“一年待たされた”でしたわね?男性が自分のキャリアアップのために留学するのは彼女のためじゃないかしら?」



言い忘れていたんだけど、この話し合いはカップル審議と呼ばれている。



あるカップルがそれぞれ別れたい、別れたくないの依頼を出した時―――つまり、別会社が逆の依頼を受けて、衝突が予想される場合にのみ―――に開かれる話し合いだ。



要するに、どちらが仕事をするのかを決めるってわけだ。



審議は録音されたものを提出するだけ。愛の審議会が勝敗を決めると言うわけさ。



「で、そのボーイのキャリアとやらはアップしたのかな?この僕には、ただ遊びに行きたかっただけにしか見えないんだけどね」



「経験もキャリアのうちよ。異国の文化に触れるのはとても大事なことじゃないかしら?」



「そうだね。とても大事なことだ。君の言う通りさ」



そう言った僕が黙ってしまうと、ワイルドフラワーは余裕の笑みを浮かべる。



「じゃあ、このカップルが別れる必要はないわね」



「そういうことじゃないのさ。君は知らないふりをしているね。ボーイは彼氏としての責任を果たせていないんだよ」



ワイルドフラワーがあからさまに動揺する。あまりに芝居がかり過ぎているので笑いそうになる。



「ボーイはログインパスワードすら覚えてなかったんだよ?一年待たせてしまったなら、真っ先に安心感を提供するのが彼氏としての勤めじゃないか?」



ワイルドフラワーはまた芝居っけたっぷりに驚いて見せる。



「驚いたわ。あなた、思ったよりもちゃんとしたことが言えるのね。正直、見直したわ」



「自分が何をすべきか、わかっていない男と付き合う方が可哀想だよ。ちゃんと別れさせてあげた方がいいんじゃないかな?」



しばらくの沈黙の後、僕とワイルドフラワーはお互いのレコーダーを取り出してストップボタンを押す。



彼女は急に悪戯っぽい笑みを浮かべる。



「今日もすごく可笑しかったわ。あなたの笑いを堪える時の表情、最高にいいわよ」



「おいたが過ぎるよ、ワイルドフラワー。さて、ワインでも飲みに行こうか?」



ちなみに僕は、ボーイが帰国するよりも前にガールの父親から依頼を受けていた。



おかげで審議する前から色々と仕込む余裕はあったというわけだ。



工作員を送り込み、ボーイには余計なパスワードをたくさん覚えてもらった。古いパスワードを忘れてもらうためで、これも僕が仕組んだ罠の一つなのだ。



約2時間後、僕たちはワインバーで祝杯をあげていた。ほんのり酔ったワイルドフラワーが僕に寄り掛かる。



「私のパスワード、あなたに解けるかしら?」



ハッキングして、プログラムをし直すのは僕の得意技だ。困難ではあるけど、これほど楽しいことはないよね。



僕はワイルドフラワーに笑顔で答えた。



            了

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