デビル
思いやりって何だろう?
自分の子供でも叱るのは愛情なのだろうか?
「○○をしてはいけません」
世間体と勝手な思い込みではないのか?なぜ、してはいけないのだろう?と叱る前に真剣に考えたことはあるのだろうか?
――――デビル――――
まだ、生まれて三ヶ月の乳幼児が僕を見つめています。
「なあ、腹減ったよ。ミルク作ってくれよ」
僕たち夫婦は天使の子を育てていました。毎年、世界中で生まれるようになった生命体で“リトル”と呼ばれています。
「早くしろよ。腹減ってるって言ってるだろ?勘弁してくれよ」
お聞きの通り、性格は最悪でも知能は高いのです。
養育費は政府が全て負担しているので、子供のいない僕達のような夫婦が申請して育てることが多いと聞きます。
「おいおい、返事ぐらいしろよ。人間としてどうなんだよ。それとも、あれか。おいらなんかに返事する必要はないってか?」
「そんなことないよ、晴十郎。ごめんな、ちょっと考え事をしていたんだ。すぐに作るから、ちょっと待っていてくれるかな?」
誰もがこのリトルに怒ることはできません。叱ったが最後、死んでしまうからなのです。ハートが物凄く弱い生き物で、たぶん一睨みしただけでも死んでしまうのです。
世界記録でも三歳と九ヶ月。原因不明の衰弱死も多いようです。
ストレスにも弱いのでしょう。リトルの暴言にただ耐え、心の中で言い返していても彼らは敏感に察知するのです。
「晴十郎ちゃん、ただいま。あらあ、ミルク飲んでるの?えらいわねえ」
妻が帰って来るなり晴十郎を抱き抱え、頬を寄せます。
彼の表情は倒産寸前の社長の如く、かなり険しい顔でしたが、なぜか心底嫌がっているようには見えません。
元々、リトルを引き取ると言い出したのは、この僕の妻です。
正直、僕には妻がリトルを育てられるとは思いませんでした。
彼女はいつもふさぎ込みがちでした。体が弱く、口を開けば愚痴ばかりで、今の姿など全く想像できなかったのですから。
だから、僕は妻が晴十郎と名付けたリトルに感謝しているのです。いくら口が悪くとも腹は立ちません。
妻はリトルの扱いが本当に上手でした。
「はい。晴十郎ちゃん、ママに笑顔を見せてちょうだい」
「もう、いいじゃねえか。なんで、毎日笑顔にならなきゃいけねえんだよ。意味わかんねえよ」
リトルは何で死ぬのかわかりません。普通はここで遠慮しがちなのですが、妻は一歩も引きません。
「晴十郎が笑顔になると、パパもママも幸せになるの。あなたには、周りを幸せにする子になって欲しいのよ」
そうやって、晴十郎はぎこちない笑顔を見せるのです。その後、決まって妻は大喜びで彼を抱き締めるのでした。
晴十郎はその後もすくすくと育ち、僕たち夫婦を幸せにしてくれました。
世界最長記録も優に越え、今では五歳。その頃の晴十郎もいちじるしい成長を見せていました。
当然、世界も私たちを注目しはじめます。とは言っても、リトルの性質上、取材は法律で禁じられています。
一応、父親が公式の場で発表するだけ、となっているのです。
そこでは、リトルをうまく育てるコツについて質問されます。しかし、全世界が注目する中、私はうまく答えられなかったのです。
あれは緊張だったのでしょうか?何度も練習したのですが、何も答えられませんでした。
問題はそれから始まったのです。
おそらく、マスコミが賞金でも出したのでしょう。法律があると言っても大した刑罰ではありません。
罰を受けるとしてもお釣りの方が大きいのです。
ありとあらゆる手段で私たちは見張られるようになりました。
携帯電話すら電源を入れた瞬間からかかってくるので使えなくなりました。
妻が外出できなくなりました。
窓はおろか、カーテンも開けられなくなりました。
賞金のためか、誰も助けてくれなくなりました。
妻はそれでも晴十郎を守るため、何も起こっていないかのように振る舞っていました。
私も何度か取材を受け、しっかりと答えたのです。それでも、マスコミはいなくなりません。
妻も何度か無理して、取材に出かけました。それでも、マスコミは帰ってくれそうにはありません。
人数は減るどころか、増えています。一度、視聴率や出版部数が伸びて味をしめたのでしょう。
ついには機動隊が出動する騒ぎになりました。警察が動くのが、もう少し早ければ良かったのかもしれません。
騒ぎはさらに大きくなっていきます。拡声器で怒鳴る声が響く中、僕が最も心配していたことが起こります。
ついに妻が倒れてしまったのです。
すぐに救急車を呼びました。しかし、外には大勢の野次馬とマスコミ。救急車がここまで来れるわけがありません。
「パパ、ママが病気なのは外の奴らが悪いんだよな?」
晴十郎もいつも以上にイライラし始めました。この上、この子に死なれでもしたら妻に会わせる顔がありません。
「悪いかどうかなんてわからないよ。彼らも色々な事情があるんだ。ただね・・・」
「おい、どうしたんだよ。パパ?」
僕は久しぶりの怒りで全身が震え、髪が伸び、爪が鋭さを増し、角が生えました。
「愛する人を守るのに良いも悪いもないんだよ。誰かの都合で作られたルールに縛られる必要はないしね」
僕は玄関の扉に手をかけ、振り返ります。晴十郎は手を握りしめ、こちらを見つめていました。
僕はそっと彼の頭をなで、両肩に手を置いて言います。
「お前だけが頼りなんだ。晴十郎、ママを頼んだよ」
僕は息子の視線を感じながら、家の外へと歩き出したのでした。
了