愛で克服
“愛があれば、何でも乗り越えることができる”
陳腐で風化したような言葉だ。だが、嘘ではない。
自分だけでは、どうにもならないことができてしまう。これは奇跡でも何でもない。ただ、がむしゃらな行動をしているうちに結果がついてくる。それだけの話なのだ。
戦争でさえ、止めてしまうほどの力を発揮することもある。
僕はこれを我が身で体験した。
数年前。僕は長い間、生死をさまよっていた。
しかし、奇跡と言うべきなのか?僕はわずか約一ヵ月で元通りに回復することができたのである。
その間、僕の身の回りの世話をしてくれたのが彼女だった。
「私、ターニャ。あなた、見つけた。ぶ倒れてた。大変だたよ。みんな、大騒ぎ」
僕の座る車椅子を押しながら、彼女が話している。僕の回復は自分でもわかるぐらいに早い。もうすぐ、自分で歩けるようにもなるだろう。
久しぶりの外出は、やはり気分がいい。僕は立ち上がって、遠くで農作業をしている人たちに声をかける。
「こんにちわー。どんな野菜ができるんですか?」見たところ、人参のようだった。しかし、農家の人たちはおびえた様子で返事もできずにいる。
「あなた、邪魔をしたは駄目だよ。すごく忙しいの人たちでしょう?」
僕はターニャを始め、ここの言葉を一つも理解することができなかったのだ。もちろん、話すこともできない。しかし、ターニャは僕の言葉をすごい早さで習得していく。
簡単な会話ができるようになるまで一週間もかからなかったのだ。彼女には語学の才能があるに違いない。
「私、すごくう心配。あなたのウチュセン持て行かれちまたよ」
宇宙船?そうだ。僕は宇宙を一人で旅をしていたのだ。おそらく、整備不良だったのだろう。燃料漏れしてしまった宇宙船でさまよっているところに運良く、この星を見つけたのだ。
「困ったな。惑星携帯電話もあの中に置きっ放しだよ。この星にはないものもたくさん積んであるから、プレゼントしたいのになあ。そうだ。僕の船の中でも人参を作っているんだよ」
ターニャは聞いていなかった。彼女は僕の食事代わりの錠剤とスープを取りに行っていた。そろそろ、まともな食事が恋しい。
まだ、病み上がりで文句は言える身分じゃないのはわかっている。焦る気持ちを押さえて、彼女からスープを受け取る。
自分で食事をとれるようになった僕を見ながら、彼女が嬉しそうに言う。
「もうこの星に住んだら良ろし。私、あなたが好き好きだよ」
スープのことなど、お構いなしに彼女が僕に抱きついた。
僕たちはいとも簡単に恋に落ちた。しかし、それは許されることではなかったのだ。
「私のコンニャクシャ、ちんぷんかんぷんね。すごく怒てるよ。でも、私あの人、嫌い嫌い」
彼女には婚約者がいたのだ。そうでなくとも、他の星の人間と結婚するなんて前例がないらしい。
そんなことをターニャの両親が許すわけがない。先のことを考えると、僕はターニャを不幸にしてしまうかもしれないのだ。
身が切り裂かれる想いだった。しかし、僕がはっきり告げるべきだ。
「ターニャ、僕は帰らなくてはならない。君はこの星で家族と生きていた方が幸せなんだよ」
何も言わずにぼろぼろ泣き始めるターニャをまともに見ることはできなかった。
しかし、これ以上ここに居るわけにはいかない。
「ターニャ、僕にはあの船が必要なんだ。どこに置いてあるのか調べてもらえないか?」
彼女は泣いたまま、二回うなずくと部屋から出て行ってしまった。
僕の決心をためらわせるほどに、彼女は優秀だった。
二日経ったその日には、宇宙船の場所をつきとめ、燃料の代わりになるものも用意していてくれたのだ。修理を手伝ってくれる技術者まで連れて来てくれるらしい。
燃料も技術者もタダではないだろう。自分の星に帰ってしまう僕に何の見返りも求めずにここまでやってくれたのだ。
―――僕は彼女に何ができる?―――
僕と結婚できなくてもいい。せめて、彼女の嫌がっている結婚だけでも考え直してもらえないだろうか?
僕は彼女の父親を訪ねることにした。
「娘はもう正気ではないのだ。おまえさえ死ねば、娘は元に戻ってくれる」
権力者であった彼女の父親に僕はあっさり捕らえられて、すぐ処刑されることになってしまった。
―――これも運命か―――
覚悟を決めた僕の前には畑で見た人参もどきが置かれていた。
「さあ、食え。おまえごときが残さず食べられるとは思わんがな」
これは人参ではなく、毒物だったのか?まあ、処刑方法が何であろうとターニャと別れること以上の苦痛はない。
僕は目の前の人参もどきをかじった。味は普通の人参だ。
「待てくださいよ、あなた。私もイショに食べるがいいよ」
ターニャが突然人参をかじりながら、現れる。慌てふためく彼女の両親。しかし、あれでターニャが死ぬわけがない。彼女がかじったのは、僕の宇宙船で栽培していた人参なのだから。
―――僕は本当に彼女に愛されていたんだな―――
彼女の僕に対する想いを目のあたりにしながら死に行くことができる。悪くない人生だった。
パニックになる両親とその部下を見ると、ターニャがいかに愛されているのかがわかる。最後に素晴らしい恋人を持つことができたのだ。もう悔いはない。
僕はゆっくりと目を閉じる。
―――死なない?―――
ターニャが僕に近寄って来る。
「私たち、みんなの嫌いなもの食べてもショック死なかたね。おとーさん、もう好きにしてと言てるよ。良かた良かたね」
この時の僕の無表情が銅像になるのは、これから約五年後のことだった。