ウラガエシの悲劇
「我々にはオモテの人間が邪魔なのだ。残念だが、おまえから死んでもらおう」
僕が、僕に殺されそうになるのはこれで二回目です。しかし、今度は助かりそうにありません。僕は紐で固定され、身動きもままならないのですから。
こうなったのも、最愛の妻を助けるためでした。ほくろの位置が真逆なだけで、ストーカー女とそっくりな妻。
その容姿のおかげで、初めは僕も彼女・モミジを信じることができずに警戒心をむき出しにしていました。しかし、彼女の優しさに徐々に僕は惹かれていったのです。
しかし、幸せが終わりは突然やって来ました。モミジのほくろの位置が変わっていると思ったら、あのストーカー女に入れ替わっていたのです。
「あの男を止めるのよ。そしたら、あんたの嫁は返してやってもいいわ」
彼女はそんな要求を僕に突き付けました。他のことならまだしも、モミジのこととなると、私は従わざるを得ないのです。
ウラとオモテは何となくつながっているのでしょう。僕には男の場所がすぐにわかりました。
しかし、今ではこの有様です。僕がやって来るのも男にはわかっていたのでしょう。あっと言う間に、十人ほどの彼の部下に取り押さえられてしまいました。
僕は後悔するよりも、妻の無事を祈っていました。こうなるのは、ここへ来る前からなんとなくわかっていた。
僕にはもう思い残すことはありません。こんな自分でも、いとおしく想ってくれる女性と出会えたのですかから。
「さて、誰がこいつを殺す?」
十人ほどいる部下達は一斉に俯きます。誰もが人間を殺すなんてことはしたくないのです。
「馬鹿やろう。誰か根性のあるやつはいないのか?」
僕そっくりな男が、いくら怒鳴り散らしても誰も立候補しようとはしません。
――もしかしたら、生き延びれるかもしれない。
僕は、慎重に、刺激しないように気を付けながら質問をします。
「あ、あの。どうしてオモテの人間が邪魔なのですか?一緒に仲良く暮らして行くのはどうでしょう?」
彼はすごい形相で僕を睨み、叫びます。
「黙れっ。元はと言えば、おまえがあの女を俺に差し出したからではないか。面倒なことはいつも我々に押しつけられているだけだと気付かされたのだ」
あの女・・・。モミジのオモテに充たる女性です。しかし、あのストーカー女は彼を心から必要としている。どうにかしてあげられないものでしょうか?
「見ろ。感情などなかったはずの私達がおまえ達のせいでイライラしているだろうが」
彼は吐き捨てるように、これだけでも万死に値するわ、と独り言のように続けます。
「それじゃあ、僕たちがこれからあなた方をお手伝いできるように・・・」
「我々は面倒など起こさんのだっ」
僕の意見を聞く様子もなく、場は静まり返ってしまいました。問題はあのストーカー女。一体どうすれば、彼を幸せにできるのでしょう?
僕はこれから殺されるにも関わらず、それだけしか考えていませんでした。
「何をグズグズしているのかしら?」
彼の部下達が道を開けたかと思うと、そこからストーカー女が現われたのです。
「楓、おまえどうやってここへ来たんだ?」
「そんなこと、どうだっていいじゃないさ。そのナイフ貸しなよ。私がこいつを殺してあげるよ」
女は彼に認めてもらいたい。役に立ちたいのでしょう。彼女は、狂気を携えた笑みを浮かべ、僕の正面に立っています。
――僕が彼女に殺されても、彼が幸せになるとは思えない。こんなことになるなら、この女と徹底的に争うべきだった。
いくら後悔しても過去には戻れません。僕は、必死に縄から抜け出そうとします。しかし、簡単に解けるわけはありません。
「最後ぐらい見苦しい真似をするんじゃないよ。男らしくないねえ」
なんと言われようが、僕は暴れ続けました。しかし、彼女はナイフを構え突進して来たのです。
「止めるんだっ。君の夫がより苦しんでしまうことになるん・・・ぐっ」
僕に覆いかぶさる女。目を開くと左目の下にほくろが見えました。
「良かった。間に合ったわ」
彼女の胸元が、見る見る内に赤く染まっていきます。
「モミジ、どうして?」
彼女のすぐ後ろでは、目を丸くした楓がナイフから手を離していました。
モミジが僕の顔を抱き、消えゆくような小さな声でありがとう、と囁きます。彼女の呼吸と鼓動が荒々しく僕に伝わってくるのに、僕は身動きが取れません。
「駄目だ。おい、死んじゃダメだぞ。生きるんだ。また、二人で一緒に暮らそう。そうだ、子供だ。僕達には子供がまだじゃないか。二人かな?いや、三人がいい。子供を育てよう。一緒に居てくれよ。なあ、僕には君が必要なんだよ。おい、起きてくれよ。なあ、起きて――」
カランと音がしたかと思うと、まるでそこには元々居なかったかのように、モミジは消えてしまいました。
残ったのは、突き刺さっていたナイフとモミジのぬくもりだけ――。
ざわざわとウラ達が辺りを見回しています。「おい、消えちまったぞ。どこへ行ったんだ?」
――僕は、愛する女性一人守ることもできないのか?どうして彼女が死ななきゃいけない?許せない。何よりも僕が許せない。
僕はあまりの怒りで意識が混濁しはじめました。
「おい、ボスが大変だ」
僕のウラは頭を抱え、床をのたうち回ってました。彼の髪の毛や肌はどんどん色を失っていきます。
「ボ、ボス。大丈夫ですか?」
僕は支えられ、立ち上がると全身は真っ白。髪の毛も薄い金色となっていたのです。
僕はどうやら、ウラと意識を一体化させたようです。全身に憎悪を蓄積したように、わけもなく怒りがあふれてきます。
脱け殻のようになった張り付けられた僕の身体がとても目障りでした。
起き上がるのに手を貸そうとした部下を力任せに殴りました。
「何をぼやぼやしてるんだ?おい、早くあれを燃やしてしまえ。目障りでしょうがねえ」
「へ、あ、はい」
一斉に部下達が僕の身体に近付こうとすると、今度は楓がナイフを手に立ちふさがります。
「近寄るんじゃないよ」
「おい、楓。何してるんだ?わけがわからんぞ」
楓の背後には、いつのまに入って来たのか黒豹のような男が立っています。
「楓と言ったな。私がこの体を運んでやろう」
黒豹はそう言うと、張り付けにされていた僕の体を剥がして抱えました。
「おい、何を好き勝手にやらせているんだ。止めろ」
部下が次々と飛び掛かっていきましたが、楓が虫を追い払うように薙ぎ倒していきます。
黒豹は、背中に翼が現われたかと思うと窓から飛び出し、見えなくなってしまいました。
「てめえ、楓。あんな奴に体を渡しやがって。どうするつもりだ」
怒りでどうしようもない自分が、楓に向かっていきます。彼女があっさりかわした先のテーブルは真っ二つに叩き割りました。
「ぐぬう。許さんぞ。俺の邪魔をする奴は一人残らず、粉々にしてやるわ」
そんな暴走としか言えない僕に、少しも怯えることなく楓は近付いて来ます。
「待っていて。あなたは私が必ず元に戻してあげるから」
その思い詰めたような目の下には、左右どちらにもほくろはありません。
そして、彼女は黒豹と同じように窓から、飛び出し姿を消してしまったのです。
続く