むっつめ
「お姉さま、私が悪かったのですわ」
特大の声で叫ばれたのは昼食をとりに行った食堂でのことだった。朝に婚約者、昼はその妹、ならば夜は当主といったところか。ミアは顔をしかめた。それに気がついただろうにミアの近くまでやってくる。逃げようにも昼食時ということもあって食堂には人が多すぎる。
護衛がちょっと上司に呼ばれたのでと離れた隙だった。先に食堂に行ってそれで問題が起こるわけがないと過信したのが間違いである。
「お姉さまが人がいないことを望んでいたなんて知らず、人を手配してしまって。
もう、誰もいません。ゆっくりおくつろぎください。母屋に来ていただければ、なんでも、ご用意しますわ。
お姉さまが快適に過ごせるように考えたのです。わかってくださいますよね?」
大げさにわかりやすく周囲へ説明するだけの話だ。ミアはヴィオラを無視した。話すと押し切られる。ミアは口下手だ。余計な口をきかないほうがいいことも知っている。
饒舌な魔法使いは詐欺師。と格言に残るほどである。ニセモノは金品をだまし取り、ごくまれにいる本物は体ごと全部もらってしまう強欲さがある。
「怒ってらっしゃいます? そうですよね。私、良かれと思ったのですけど」
そういって落ち込んでみせて絆される人もいるだろう。周囲がざわめいている。
何か言わねばならないところであろうけど、言いたいことはない。そのまま立ち去るのがいいだろう。ミアはため息をつく。
「あらぁ、ヴィオラ様どうされました?」
わざとらしい声が聞こえた。レジーナである。アクセサリーのように連れ歩いている取り巻きと一緒である。なお、アクセサリーとは本人が言っていた。お互いにとってそういう見世物なんですよ、と。
その中にヴィオラの幼馴染と婚約者も混じっているのは問題ではあろうが、そのあたりはうまくやっているらしい。二人だけで出かけるなんて愚行はしませんし、競い合わせてちやほやされるのが楽しいんですということでもあるそうだ。
いつか刺されるとミアが言えば、それも一興、そこまで思いつめたヤンデレおいしいと意味不明なことを言っていた。
いつもならば、レジーナにヴィオラが突っかかっていくところだが今日は違った。
「なんでもないわ」
ヴィオラは冷ややかに返答している。
「婚約者よりも大事な人がいるなら、解消しても構いませんわ。お父様にも相談いたしますね」
「承知した」
慌てることもなく、ヴィオラの婚約者も応じていた。しかし、ヴィオラのほうが少々慌てたようにミアには見えた。
「君のやりようは目に余る。
君のための謝罪はもうしないよ。君が傷つけた子と会うためにレジーナ嬢に付き合ってもらっていたというのに」
ミアはそれは初耳だった。しかし、それで納得するところもある。ヴィオラが嫌味を言う相手はミアだけではなかった。それなのに大した問題ではないように扱われていたのは、黙るように仕向けていたからだろう。
自分よりはるか上の身分のものに謝罪され、補填も何かされたのならば黙るしかないのだ。
「ミア嬢も申し訳なかった。
婚約者との関係を優先し、君にも謝罪すべきなのに無視するかたちになってしまっていた。今後、何かあったら相談してほしい」
「ご厚意に感謝します」
その言葉に万能の返答をしたが、ミアは少し困惑していた。なんだか、ちょっと、熱い視線のような気がしている。
ヴィオラを見れば、表情がなかった。黙ってその場を立ち去る。その背を追う人は誰もいなかった。
それぞれに物思いにふけっているような沈黙。
「なんかあったんですか?」
そこにのんびりと尋ねる護衛の声が響いた。それがとても平和そうでミアは笑った。
「なにもないわ。
さっさと食べに行きましょう」
「あれ、席も取ってないんです?」
怪訝そうな護衛の腕をつかんでミアは席をさがしに行く。
護衛なのだから少しばかり矢避けになってもらいたい。婚約解消予定の男などミアには邪魔でしかない。そこに好意があるならなおさら。
「なんか背中に殺気を感じるんですけど……。俺なんかしたんですか?」
「うん? レジーナがすっごい顔で睨んでるわ……。私、奪っちゃったって怒られてる?」
「あー、私のお姉さまをっ! ってところですね……。あとで言いわけしといてください。俺、理由わかんないんで」
こそこそと話す二人がとても親密に見えたということは意識していなかった。
二人が親密であるという噂が駆け巡り、すぐに前からそういう関係であったと改変された話になるとは想定していなかったのである。
その日の夜、ミアは侯爵家の夕食へ呼ばれた。
しかし、ミアは断った。夕食だけのつもりでもなんだかかんだと言いくるめられ元の屋敷に戻される気がしたからだ。
寮はやはり居心地がよく、出ていく気もなかった。ちゃんとした実験室があり、書庫があり、困ったら相談できる相手がいる。この環境は手放しがたい。
ミアが断ると迎えの男は憤慨して帰った。それで終わりかと思えば次は、侍従長と名乗るものがやってきた。
すでに寮の夕食の時間でミアは半分くらい食べていたところである。タイミングが悪いにもほどがある。
玄関ホールまで通されたので門前払いするわけにもいかず、ミアはそちらに向かった。後ろから好奇心でついてくる魔法使いもいる。
侍従長というのは最初に迎えに来たものより偉いということだけミアにはわかる。つまり権威をちらつかせれば応じると思っているのだろう。
さっさと追い出して、食事の続きをしたい。ミアはそう決意した。
「閣下がお呼びです。嫁入りする身の上で断るなどありえません」
要約するとこういったことを言われたが、ミアは侯爵家の下につくつもりはない。
「私は王家および国家のものなので、そちらの同意をとっていただけますか。
王家からの勅命があれば行きます。そうでないなら、お帰りください」
「そのようなことを言ってわがままを通すならば婚約も解消されてしまいますぞ」
「では、解消します。陛下にも進言いたしますので、そちらの遺産はご自身で次の使い手をお探しください。
まあ、ほかの誰かが見つかればよろしいですけどね?」
ミアの後ろからうわぁという顔で見物している魔法使いたちは少なくとも応じないだろう。コミュ障を舐めないでもらいたい。そんなめんどくさい圧のある家になんか入りたくもない。
「では」
そう告げて、扉を開け、その男を追い出す。
全く面倒なことだ。
「閣下に短い付き合いでしたが、ご健勝をお祈りいたしますとでも伝えておいてください」
健康で、ちゃんとしていてくれないとこの先もつまらない。