精霊の道から王太子殿下がいらっしゃいました。びっくりです
「コルネリア。怪我は無いと聞いているが本当か?どこか、今になって痛みが出た所などないか?手は?足は?縛られたりなどしなかったか?」
手にした花を投げるようにティーテーブルへ置き、矢継ぎ早に言いながらコルネリアの頬を撫で、手を確認し、足を見ようとして流石に固まり、と動き回るバスティアーンに、コルネリアは苦言を呈す。
「殿下。お立場をお考えください。そのように慌てふためいた姿を見せるなど、あってはなりません」
言いつつバスティアーンの手から逃れようとしたコルネリアの手を、バスティアーンはぎゅっと握り締めた。
「そのような体裁を取り繕っている場合ではないだろう。自分から襲撃者と行動を共にし危険に飛び込むなど。他者を思いやり実行に移せるところも好ましく思うが、やはり何より自分自身を大切にして欲しい。本当に、何も乱暴なことなどされなかったか?」
コルネリアの髪を優しく撫で、心配そうにその薄桃色の瞳を覗き込むバスティアーンを、フランセン公爵は苦い顔をしつつも黙って見守る。
「乱暴、ですか?そうですね。騒いでしまったので、想定より早く誘拐犯さんに見つかってしまいまして。ナイフを突きつけられましたわ。三人同時のナイフ三本はなかなかでしたけれど、それよりもその際、デニスまでわたくしの背に隠れてしまったのが一番衝撃だったでしょうか」
「っ!ナイフを突きつけられたのか!?三人同時に!?」
「はい。けれどすぐに騎士団が到着しましたので、本当に何処も何ともありません。ご心配ありがとうございます」
淑女の礼を執り頭を下げれば、バスティアーンが焦ったようにその両肩に手を置き、コルネリアの顔をあげさせた。
「怖かっただろう。それでも他者を背に護るとは、凄い勇気だ。己を誇っていい」
「蛮勇と言われそうですけれども」
メレマ伯爵令嬢ヨランデあたりが聞けば確実にそう言う、と、コルネリアは、ふふ、と自嘲が込み上げそうになる。
「ところで。背後に庇ったデニス、というのは幼子か何かか?今回、誘拐監禁されていたのは子爵家の令嬢だったと聞いていたのだが」
「幼子ではございません。その子爵令嬢の兄君ですわ」
さらりと言ったコルネリアに、バスティアーンが目を剥いた。
「兄?ということは、コルネリアを襲撃した本人か!?」
「はい、そうです」
「『はい、そうです』じゃないだろう!それじゃあ何か。その男は君を襲撃した挙句、捕まった先で君を盾にしたということか!」
「まあ、そうですけれど。ですが、あの技量では致し方ないかと」
遠い目になって言うコルネリアに、バスティアーンは怪訝な目を向ける。
「あの技量?襲撃の実行犯だったのだから、それなりのものだろう?馬車に乗り込まれ、そこで事情を知った君が同情して協力した、と報告にあったが」
「おおまかにはそうです。実際には、襲撃者の気配は察知したものの、実行に移せる実力は無さそうだったので、馬車に乗り込めるよう少々お手伝いをした形です」
コルネリアの説明に、バスティアーンが眉を寄せた。
「馬車に無理矢理乗り込まれて事情を聞いたわけではないのか?その言い方だと、最初から敢えて引き込んだように聞こえる。何故、そんなことを?」
そもそも最初から関わり合いにならない、完全に回避できる危険にわざわざ飛び込んだと聞き、バスティアーンが首を傾げる。
「それは、我が家の秘密ゆえです、殿下。我が娘は恐らく襲撃者の心理を知り、見過ごすことができなかったのかと」
「公爵。それはどういう意味だ?」
バスティアーンの問いに、フランセン公爵が真顔で向き合う。
「殿下もご承知のように、我が娘の魔力値はとても低い。しかし、それを補って余りある力、精霊の力を、コルネリアは強く有しています」
「お父様!?」
コルネリアが悲鳴のような声をあげるも、フランセン公爵はバスティアーンから視線を動かさない。
「精霊の力?」
「はい。きちんとご説明申しあげますので、まずはおかけください」
そう言って、フランセン公爵はバスティアーンにソファを薦めた。
「お父様。本当にお話しなさるおつもりですか?」
「頃合いだと判断する。コルネリア。お前も座りなさい」
「・・・はい」
「コルネリア」
バスティアーンは、不安そうな瞳でフランセン公爵を見つめるコルネリアの肩を抱き寄せ、ティーテーブルに置いた花を、そっと柔らかな髪に挿した。
「他者が自分へ向ける感情を察知することが出来、先ほどのような不思議な道を拓くことが出来る。また、何か媒体があれば、その持ち主の居場所を特定することも可能。それが、精霊の力ということか」
「はい。その他、魔力で火や水を操るように、我々は精霊の力で同じようなことが行えます」
フランセン公爵の説明に、バスティアーンは大きく頷いてから疑問を口にする。
「他者が己へ向ける感情を察知できる、というならば。コルネリア。君は私の君への想いも、その」
「はい。殿下がわたくしを害そうとしていらっしゃらないことは、充分に理解しております」
こくりと頷くコルネリアに、バスティアーンが目を剥いた。
「害・・!そんなことは当たり前だろう!そうではなく、その、もっと」
「殿下。我が娘は、自分へ向けられる悪意や害意を察知することには長けておりますが、好意の類となると不得手でございます」
顔を赤らめ視線を彷徨わせながらコルネリアに問うバスティアーンに、フランセン公爵はゆっくりと首を横に振った。
「そう、なのか・・・いやしかし公爵。その力で先ほどのように道を拓いてくれれば、メレマ伯爵やその令嬢に気取られることなく、私とコルネリアが会うことも可能だったではないか。何故もっと早くに教えてくれなかった?」
メレマ伯爵とその令嬢であるヨランデの目を欺く為、コルネリアと会う回数を減らされることとなったバスティアーンが、フランセン公爵に恨めしい目を向ける。
「娘を奪われる立場としましては、多少意地の悪いことも考えるかと」
しかし一切動じることなく、当然と言わぬばかりにしれっと言い切ったフランセン公爵に、バスティアーンはがっくりと肩を落とした。
「あの。わたくし、ここに居ない方がよろしければ」
自分の名前は出るものの、バスティアーンと父公爵とで繰り広げられる会話が理解できなくなってきたコルネリアが言えば、ふたり揃って首を横に振った。
「「その必要は無い」」
「ですが、わたくしと殿下が会うのを、メレマ伯爵やヨランデ様に知られないようにする必要があるようなお話が聞こえました。わたくしとの婚約を破棄し、ヨランデ様と新たなご縁を結ぶお話が進んでいるのでしたら、殿下に直接ご説明いただかなくとも了承いたしますので、父と話を進めてくださいませ」
恐らく爵位を失い犯罪者として裁かれるメレマ伯爵家から早々に籍を抜き、他の貴族へ養女へ行く算段もあるのだろうから、と嫋やかに膝に手を突き頭を下げるコルネリアに、バスティアーンは目を吊り上げた。
「コルネリア。君は、そんなに私との婚約を破棄したいのか?だが、残念だったな。前にも言った通り、婚約破棄も解消もしない。私がメレマ伯爵令嬢に近づいたのには、理由がある。しかしそれを前面に押し出し婚約破棄を望む君こそ、婚約を破棄したい事情があるのではないのか?」
その言い様に、コルネリアがゆっくりと顔をあげる。
「ご説明いただけない理由など、知る由もございません。それなのにわたくしに瑕疵があるかのような物言いは、いかに殿下といえども聞き流せません。撤回してくださいませ」
目を吊り上げているバスティアーンにも怯えることなく、コルネリアは毅然とした態度で向き直る。
「今日の茶会の時、君は待ち構えていたかのように婚約破棄と言葉にした。誰か、心惹かれる存在があるからなのではないか?」
威圧的に言われ、コルネリアは、すう、と息を吸った。
「もし仮に、わたくしにそういうひとが居るならば『お互いの幸せのために婚約破棄をいたしましょう』と申し上げております。殿下。あれほどあからさまにヨランデ様を慈しんでいらして、わたくしが何も考えないとでもお思いでしたか?誰に何を言われるよりも前に、まずわたくしが婚約破棄を考えるのは当然のことでございましょう」
眦を釣り上げ、きっ、とバスティアーンを見据えるコルネリアを、バスティアーンも真摯な瞳で見つめ返す。
「ならば、メレマ伯爵令嬢以外のことで、私との婚約を破棄したい理由は無いということだな?今も?その、デニスという子爵子息に心惹かれたりなどは」
「は?」
余りに急なうえ想定外にすぎる話題の転換に、コルネリアは貴族令嬢にあるまじき声を出し、呆けた表情をしてしまう。
「だから!今日一日傍に居た訳ありの青年で、名前を呼ぶほど親しくなったのだろう?そういった気持ちが芽生えたりは」
「しません!有り得ませんわ」
きりりと表情を取り戻し、自分より弱い男は論外です、と言い切るコルネリアに、バスティアーンはほっと安堵の息を吐く。
「ならば明日。私自らが隊を率いてメレマ伯爵の密輸の拠点を暴くゆえ、その結果で私の武勇を確認してくれ」
「え?明日?メレマ伯爵の密輸の拠点?」
突然与えられた情報にコルネリアが混乱するも、バスティアーンはやわらかに微笑むばかり。
「ああ。そのためにメレマ伯爵令嬢に近づいた。コルネリアに誤解させて、嫌な思いをたくさんさせてしまったが、それも明日で決着する。そうしたらきちんと説明するから、待っていて欲しい」
バスティアーンの言葉に頷きかけ、コルネリアは同時に不思議そうな目になった。
「それは、はい。畏まりました。ですが、何故わたくしが殿下の武勇を確認する必要があるのですか?未だ何か他に問題が?」
メレマ伯爵の件以外にも何かあるのか、と不安な表情になったコルネリアに顔を近づけ、バスティアーンはその淡い翠の前髪にそっと触れた。
「コルネリアが言ったのだろう?自分より弱い男など論外だ、と」
「はい。確かに言いましたけれど」
「だから、だよ」
「だから」
「ともかく明日。遅くなってしまうかもしれないが、私との時間を必ず取ること。いいね?」
コルネリアの両手を握り、これは確定事項だと言わぬばかりのバスティアーンの迫力に、よく分からないままコルネリアが釣られるように頷いたところで、フランセン公爵が立ち上がった。
「殿下。そろそろお時間です」
ありがとうございました♪