『覚悟しておいて』とは何をでございましょう、殿下
「・・・つまり、色々ときな臭かったメレマ伯爵家の悪事すべてを暴くために、ヨランデ様に近づいた、ということですか?」
「ああ。その通りだ。しかもコルネリアの活躍で、メレマ伯爵が拠点や名義を巧みに変えながら人身売買と違法薬物にまで手を出していたことも知れたからな。これで、完膚なきまでに叩き潰せる」
翌日。
コルネリアの予想よりはずっと早い夕闇迫る頃、昨日とは違い騎馬で揚々と現れたバスティアーンにこれまでの経緯を説明されたコルネリアは、ひとつ頷き、こくりと紅茶をひと口飲んだ。
「ですが、ヨランデ様は随分と嬉しそうでいらっしゃいましたわ。多くの贈り物を殿下から頂いたと見せていただきましたし、愛称で呼ぶことも許していただいた、と鮮やかに笑われながらご報告も」
「すべて捜査、情報のためだ。まず、メレマ伯爵本人は脱税していながら、領地領民には重税を強いている疑いで捜査を始めた。そして、その証拠を集めている過程で横領の証拠も見つけた。だが、密輸の件だけは難航した。密輸していることはほぼ間違いないのに、尻尾が掴めない。それで、より簡単に口を割りそうな令嬢に目を付けた」
「密輸。ですが、ヨランデ様は何もご存じないのではないのですか?」
ヨランデの学院での成績は芳しくない。
もちろんそれですべてが計れるわけではないが、頭脳を必要とする謀に参画するに向かないのでは、と控えめに言うコルネリアにバスティアーンがにやりと笑った。
「密輸の品だということは知らずとも、美しい物や珍しい布が自分の家にはふんだんにある、ということは知っていたぞ」
「お人の悪い。誘導尋問されたのですか?」
「人聞きの悪い言い方をするな。少しずつ、話ししてもらっただけだ」
警戒されない為とはいえ随分と時間がかかってしまった、苦痛な時間だった、と悪びれることなく言い切るバスティアーンに、コルネリアはため息を吐いた。
「ヨランデ様は、本当に殿下をお慕いしていたのでしょうに」
「それは無いな。彼女は、私の地位に惹かれただけだ」
つまり互いに利用し合っていたという事だ、と言うバスティアーンにコルネリアは言葉を重ねる。
「それでも、殿下に惹かれたことに違いはないではありませんか」
「地位が無くなれば消える慕情だぞ?そんなもの、心に響くわけもない」
だからこそ、メレマ伯爵令嬢に対する罪悪も感じないと言い、バスティアーンはコルネリアの目を見る。
「軽蔑するか?」
「軽蔑、はしませんが。ヨランデ様が嬉しそうになさる姿を見ていましたので、何とも複雑な心持はいたします」
本気でバスティアーンが自分に夢中になったと信じ、事あるごとにコルネリアに優位を示していた自信に満ちたヨランデの嘲笑を思い出し、コルネリアはゆるゆると首を振った。
「メレマ伯爵令嬢がコルネリアに失礼な態度を取り、一部周囲には彼女を支持し持ち上げる行いがあったことも把握している。肚に据えかねることもあっただろうに、コルネリア。君はいつも凛として美しかった」
コルネリアが頭を傾げ、ゆるゆると首を振る度に淡い翠の髪が揺れるのを、バスティアーンは食い入るように見つめる。
「耳障りな声も随分聞こえましたけれど、そのお蔭で本当に信頼できる方々との絆を深めることも出来ました」
「だとしても、哀しい思いをさせてすまなかった。口さがない者達から君を庇うこともせず」
「それは気にしておりません」
きっぱりと言い切るコルネリアに哀しい笑顔を浮かべ、バスティアーンは揺れる淡い翠に手を伸ばす。
「いや、少しは気にすべきだろう」
「何故ですか?」
何故か自分へと伸びて来るバスティアーンの手を避けながらコルネリアが言えば、バスティアーンは、ずい、と身を乗り出した。
「私が望む」
「殿下が?」
何故、と本当に分からない様子で首を傾げるコルネリアの、その動きに従い動く淡い翠の髪を、バスティアーンはひと房手に取り唇に寄せる。
「殿下!?」
驚き身を引こうとするのを許さず、バスティアーンはコルネリアを抱き寄せた。
「そうして殿下と呼び、素っ気ない、私のことなどどうでもいいという態度を取られるのは哀しい」
言いつつコルネリアをゆったりと己が腕に閉じ込め、バスティアーンはコルネリアの瞳を間近で見つめる。
「で、ですが。わたくしは、殿下をティア様と呼ぶつもりは」
「っ。あの女にそう呼ばれる度に苛立って仕方無かったのに、コルネリアに呼ばれるのはいいな。それに、知らずに共闘していたというのもいい」
心底嬉しそうに笑って、バスティアーンがコルネリアの身体を揺らす。
「で、殿下。一体、どうなさったのですか」
ヨランデが出て来る前も、このように触れ合ったことの無いコルネリアが余裕無く問いかけるも、バスティアーンは離れる様子が無い。
「どうもしない。ただ、私の想いが微塵も伝わっていないことに落胆するだけしたからな。今後は、きっちりはっきり伝えていくことにした」
「きっちりはっきり?」
「ああ。今、こうしているように・・・愛しているよ、コルネリア」
「ひょっ!?」
余りのことに奇妙な声を発し、仰け反りすぎてソファから落ちそうになったコルネリアをバスティアーンが難なく支える。
「今の声も可愛い。コルネリアは、いつも可愛くて綺麗で、ずっと見ていたい、声を聞いていたい。それに・・・香りも甘い」
すん、と首元で鼻を鳴らされ、コルネリアは息も絶え絶えになった。
「で、殿下。ご容赦ください。わたくし、その・・・慣れていなくて」
「慣れていたら困るよ。私がコルネリアにこうして触れるのは初めてなのだから」
「殿下・・・お願いです。もう少しお離れに」
何とか逃れようと必死にもがくコルネリアの動きさえ愛しそうに見つめて、バスティアーンが優しく髪を梳く。
「明日からは、毎日一緒に昼食を摂ろう。それと茶会も再開して。そうだ、コルネリア。精霊の道を拓くのは、とても力を使うのか?日常的に使ったらかなりの負担になるか?」
甘い雰囲気のまま唐突に精霊の力の事を問われ、コルネリアはふるふると首を横に振った。
「いいえ。精霊の道を拓くのは、然程苦痛なことではありません。殿下、やはり何か未だ事件が」
それで自分の力が必要なのか、と凛とした表情になったコルネリアに、バスティアーンは蕩けそうに甘い笑みを浮かべる。
「違うよ。俺に会いに来て、って言っているんだ」
「お、俺?」
バスティアーンがそのような言葉遣いをするのを初めて聞いたコルネリアの驚きを余所に、バスティアーンは言葉を紡ぐ。
「精霊の道を使えば、かなり移動時間を短縮できるだろう?つまり、ふたりで過ごせる時間が増える。ただ、そればかりだと俺とコルネリアが相愛だと周囲が把握しづらいだろうから、馬車や騎馬で訪ね合うのも大事だな。後は、名前で呼び合うことにしよう」
「なっ」
勝手に進んで行く話に混乱していたコルネリアは、その言葉で更なる混乱の極みへと到達した。
「よもや、俺の名を知らないということは無い、よな?」
「も、もちろんでございます」
「呼んでみて」
「・・・・・・・・」
「呼んでみろ」
幾度か口を開きつつもその名を呼ぶことを躊躇ったコルネリアは、至近距離から脅すように言われ、観念したように息を吸った。
「バスティアーン殿下」
「殿下無しで」
「ば、バスティアーン様」
「うん、よくできました。可愛い」
「っ!!!」
ちゅ、と頬に口づけられ、限界を超えたコルネリアが、ふしゅう、と音が出そうなくらい顔を真っ赤にして倒れ込む。
そんなコルネリアを優しく抱きとめ、バスティアーンは、その貝殻のような耳に甘い声で囁いた。
「ああ、ほんとに可愛い。これからはもう、我慢なんかしないで、甘やかして愛しまくるから覚悟しておいて」
ありがとうございました(^^♪




