第一話 婚約破棄
人の感情が色になって視える。
それが自分だけの能力だと気がついたのは、四歳のときだった。
父や母が自分を抱き抱えたときに現れる、暖かいオレンジ色。私はそれが大好きだった。
伝えてみると、『それ見えんのお前だけだよ』と言われた。あまりの衝撃で、今でも記憶に残っている。
気にしてみれば、他の人のも視えた。
愛のオレンジ色、悲哀の水色、怒りの赤色、憂鬱の灰色……などなど、状況と照らし合わせて色を当てはめていった。
こうして生きているとどうしても目を引くのが、マイナスな感情である。
この力、人の感情がダイレクトに伝わってくる。となると困ることもある。
例えばそう、親戚の葬儀に呼ばれたとき。
十歳の頃だったろうか。葬られるその人の近親者が泣いているのを見た。
刹那、面識のなかった親戚のその涙は、瞬間的に私を埋めつくした。
視えたのは、深い深い、底の無い青。
号哭の青色だった。
その場をとっさに離れて、吐いた。あまりに唐突で莫大な感情に、身体が耐えきれなかったらしい。
こういうことは、一度や二度で終わらない。
気づかない方がいい感情っていうのは思った以上に世に溢れていたし、その数だけ苦しんだ。
ああなんか、やりづらいな。生きづらいな。
そう思っていたとき、転機が訪れた。
ペドッロ様との出会いである。
彼はエスカ王国の第一王子で、心の底から私を愛してくれた。
最初に会ったのは、十六歳になった日。
舞踏会で感情酔い(複数人の感情が一度に視えすぎて気持ち悪くなること)してしまった私に、手を差し伸べてくれたのが彼だった。
婚約を交わしたのは、十七歳になった日。
王子の名のもとに、必ず君を幸せにする。結婚してくれ。
こんなことを言われて喜ばない女の子はいない。泣きながら胸に飛び込む他なかった。
その日、私は能力のことを伝えた。便利だねって言われた。真の理解は得られなかったけど、気味悪がられるよりマシだろう。
そして明日は、十八歳になる日。
勉強が忙しいから、と半年くらい会えていないけど、誕生日だから宮殿に来てくれるらしい。嬉しすぎて寝られない。
今年はどんな幸せが待っているのだろう。
ありったけのワクワクを胸に抱きながら、目を瞑った。
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「婚約破棄とさせてもらう」
次の日、そう言われた。
「…………今、なんと」
「婚約破棄とさせてもらう」
婚約破棄だった。紛れもなく婚約破棄だった。
いや、それはおかしい。だってつい半年前まで好きって言ってくれていたじゃないか。
何かの間違いだ、聞き間違い以外の。
でも変だ、オレンジ色が見当たらない。ついこの間まであった愛の色がない。
呆然としていると、ペドッロ様が口を開いた。
「俺は真実の愛を見つけた。そういうことだから、お前と会うことはもう無い。それだけ伝えに来たんだ、じゃあな」
そう吐き捨てて踵を返す。
「お、お待ちくだ…」
「あ?」
瞬間、漆黒の感情がぶわっと広がり、視界を埋めつくした。
黒は、昔見たことがある。
その人への興味を失った時の色だ。
ペドッロ様は言葉を続ける。
「他に好きな人ができたと言っているだろう。だいたいお前は人の感情に左右されすぎで一緒にいると疲れる。ハッキリ言って面倒なんだよ」
「ペ、ペドッロ様、この半年間の勉強のしすぎで疲れているのです。どうかもう一度考え直して頂ければ……」
彼がこんなこと言うわけない───と思っているからなのは分かるけど、我ながら苦しすぎる言葉だ。
しかし、彼がため息をついてから言ったのは、それを掻き消すほど衝撃的なことだった。
「まさか本当に勉強してると思っていたのか。俺はこの半年間、真実の愛を教えてくれた女性と逢瀬を重ねていたのだよ」
うっとりと、宙を見つめながらそう言った。
その時現れたオレンジは私への色じゃない、その女性へ向けた愛である。
「あぁマドモアゼル、また会いたいな…」
彼がそう呟くと、感情がじわじわと伝わり始めた。
胸焼けするほどの甘いオレンジ。
極めて濃厚で強烈な好きの感情。
そしてそれは、私へ向けたものじゃない。
自覚した瞬間、甘さは棘と化し全身に刺さる。
「とにかく、お前とは婚約破棄だから。せいぜい幸せに暮らせよ」
ペドッロ様が離れていく。背中がどんどん小さくなっていく。
待ってと言おうとすれば咳き込む。
さりとて何も言わなければ胸が苦しい。
ああ、これが失恋の痛みか───と、その場にへたりこんだ。
今の私は、いったい何色なのだろうか。