森で夜明かし
その後、姿の違う何度も魔物が現われては、魔法使い達とイーヴによって消された。
予想通り、街道のない場所ではたくさんの魔物が息を潜めている。そして、現われた人間達を獲物と認識して襲いかかってくるのだ。
一度、魔法使い達の隙を突き、メルーファに襲いかかった魔物がいたが、結界に阻まれて跳ね返された。
襲われた時は腰を抜かしかけていたメルーファだが、何度も魔物を見ているうちに少しずつ精神的に強くなってきたようだ。怖いとは思っても、最初のように震えることはなくなってきている。
魔法使い達が確実に魔物を仕留めるのを見て、信頼する気持ちが高くなっていることもあるのだろう。
何度も足止めを食らいながら、一行はようやくドランの山を下りた。
もっとも、山の北側のふもとはシュラッセの森へ続いているので、景色は代わり映えしない。山を下りたのでせいぜい坂道が減った、という程度だ。
「ここで夜明かしだな」
細い川が流れるそばで、イーヴが止まった。
「近くに魔物の巣もなさそうだしな。これ以上進んでも、ゆっくり休めるような場所もないし」
木々の枝葉に隠れて見えにくいが、空は茜色に染まっていた。ただでさえあまり光が差し込まず、これからは暗かった足下がますます暗くなる。
無理に進んでも、足下が覚束ない状態では距離もそんなにかせげないだろう。今日はここまでだ。
「火、起こしといて。何かないか、その辺見てくる」
イーヴはそう言い残し、さっさと消えた。
ランフィス達はお互いあまり離れないようにして、たき火の燃料となる枝を集める。
ある程度集まると適当に枝や枯れ葉を盛り、魔法で火を付けた。こういう時は火種に苦労しなくて済むので便利だ。
歩いている時は感じなかったが、陽が落ちて空気がずいぶん冷たくなってきている。火の暖かさが心をほっとなごませた。
「メルーファ、疲れただろ?」
「うん。でも、二人の方がもっと疲れてるはずでしょ? 歩くだけじゃなく、魔法を使いながらだもん」
魔物が現われれば魔法を使ったり、時々手や足の直接攻撃で消したり。
メルーファはその場で立ち尽くし、その光景を見ているだけだ。色々やっている分、魔法使い達の方がずっと疲れているはず。
「それはそうなんだけど、俺達は体力があるから」
「大丈夫か、なんてよく周りに心配されたりするんだけど、こう見えてもぼくだって体力には自信があるんだよ」
スマートすぎるせいで周囲から病弱にさえ見られがちなランフィスだが、小さい頃からイーヴに色々な所へ連れ回されていたおかげか、実際にはほとんど病気知らずの健康優良児である。
「イーヴにいたっては、疲れることがあるのか、俺達の方が尋ねたいくらいだ」
これまでイーヴが疲れた顔をしているのを、二人は見たことがない。その代わり、腹が減ったと不満そうにする顔は数え切れないくらいに見てきた。
「そう言えば、イーヴはどこへ行ったの? 見てくるって、何?」
「エサだろ」
「バルジェイル、食糧って言ってくれない? ぼく達の分も入ってるんだから」
ランフィスが相棒の言葉に苦笑する。
「急だったから、まともな旅の準備なんてしてないからね。食べる物は現地調達しないと。不慣れなぼく達が動くより、イーヴにまかせた方がずっと早いからね」
「俺達は普段、野性的な生活をしてないからな」
バルジェイルが小枝を炎に放り込む。
本当なら、今頃はランプの灯りの下、温かい食事をしているはずだった。まぁ、これはこれで面白いからいいが。
「こういった場所へ来る場合、もう少し詳しい人と組むものなんだ。ぼく達は本で得た基礎知識しかないからね。経験豊富な人と一緒じゃないと、木の実にすら手を出せない。おいしそうに見えても、毒があったりするからね」
「悔しいけど、イーヴにまかせるしかないんだよなぁ。あいつがいなきゃ、そこの川の水すら飲めない」
「川の水、飲んじゃいけないの? あんなにきれいなのに」
メルーファでさえ簡単に飛び越せる程の、細い川。水はとても澄んでいる。
「街や村で暮らし慣れてる人間が、いきなりこういう場所の水を飲むのはよくないよ。それに、これは魔の森の川だからね」
「仮に、上流で魔物が死んでいたとする。そいつの体液だか血だかが水に流れていて、それが毒性のものだったら。流れているうちに血の色はなくなっても、毒性まではすぐに消えない」
二人が言っているのは、仮の話だ。しかし、メルーファは背筋が寒くなった。
「一応、ぼく達も毒を消す方法は習ったけどね」
「かと言って、こういう所で野宿できる程の知識でもないんだよな。くそ、帰ってからの課題が増えた気がする」
日々勉強はしているつもりだが、こうして外へ出ると知らないことがまだまだあるのだと思い知らされる。
「イーヴはこの辺りのこと、よく知ってるの?」
「よく……かどうかは知らないけど。父さんと会うまでは色々な所へ行ったらしいから、それなりに知ってるんじゃないのかな」
これ以上進んでも休める所がない、と言っていた。似たような場所しかない、ということだろう。以前来たことがあるから出る言葉だ。
ランフィスが知る限りでは、イーヴが単身でこの森へ来た、という話は聞いたことがない。では、サイハと来たのだろうか。
まだ父の仕事を詳しく知ることができない年だったから、ランフィスが覚えてないだけかも知れない。もしくは、サイハと会うよりずっと前に来ていたが、単に話す機会がなかっただけなのか。
「イーヴが魔獣って言われても、あまりピンとこないのよね。どんな魔獣なの?」
魔物に襲いかかる時、手だけが獣のものになっていた。でも、それだけではどういう獣か判断できない。
「黒い獅子だよ。すごくきれいな毛並みでね。そうそう。冬、一緒に寝ると温かいよ」
「ついでに言うと、デカいよなぁ。人間の時は俺達よりチビなのに。あいつ、牛より身体が大きいんだぜ。どうして姿によってそこまで体格に差が生じるのか、不思議だよな」
人間のイーヴしか知らないメルーファは、そう言われても想像つかない。
「あたしの周りには魔法使いがいなかったからよく知らないんだけど、みんな魔獣を連れてるものなの?」
「みんなって訳じゃないよ。どちらかと言えば、少数かな。ほら、バルジェイルは連れてないだろ」
「大きな魔法を使う時は、魔獣や妖精を呼び出してその力を借りる。でも、普段は連れ歩かない。つまり、俺みたいなのがほとんどだな。いつも一緒にいたがる妖精なんかがたまにいたりして、魔法使いにぴったりくっついてるのを見ることはあるけど。魔獣でそういうことをする奴ってほとんど聞かないから、イーヴはかなり珍しいタイプだな」
「うん。契約してないのに、ずっと一緒にいるんだからね」
「契約?」
メルーファが首を傾げる。
「妖精にしろ、魔獣にしろ、ぼく達が呼んだら来てねっていう約束をするんだ。その約束があるから、呼び出して力を借りることができる。でも、イーヴはそうじゃないんだ」
「約束してないけど、力を貸してくれてるってこと? そういうのって、珍しいこと?」
「少なくとも俺が知る限り、他ではそんな例を聞いたことはないな。魔獣と一緒にいるって場合でも、契約してるのが前提だから」
しかも、その珍しい状態が親子二代にわたって、である。老齢の魔法使いだって、聞いたことがないのではなかろうか。
「だけど、イーヴの場合はランフィスに力を貸してるって言うより、仕事に首を突っ込んでるって言う方が合ってるよな」
「助かってるのは事実だけど……まぁ、確かにね」
魔法使い二人して、くすくす笑う。
「とにかく、そういう訳だから……もしイーヴが黙ってどこかへ行ってしまっても、ぼくには文句が言えないんだ。力を貸して、というはっきりした約束をしていないから」
「じゃ、行かないでほしいからって言って、契約すれば?」
そうすれば、イーヴはいなくならない。いなくなっても、呼び出すことができるのに。
「うん……そうなんだけどね。ぼくにとって、イーヴは家族だから。生まれた時からずっとそばにいるからね。今じゃ、ぼくの方が老けて見えるけど、イーヴは兄貴であり、時として父親みたいな存在なんだ」
「十六の若さで老けたって言うな」
バルジェイルがランフィスの頭をこずいた。
「まぁ……イーヴに限って、いきなりいなくなるってことはないと思うぜ。ほら」
バルジェイルが指す方を見ると、イーヴが何やら大きな物を担いで戻って来た。
「イーヴ、それ……一体何を持って帰って来たのさ」
「決まってんじゃん。晩メシ」
ドサリと地面に下ろした黒っぽいそれは、熊……らしい。
こんな森にいるくらいだから、たぶん普通の熊ではないだろう。
しかも、かなり巨大。身長はランフィス達の二倍は軽くありそうだ。この大きさだと、体重は三倍近くあると思われる。
イーヴなら、倒すことについてはそう問題ないだろうが、こんな重い物をどこから運んで来たのだろう。この魔物の声は全然聞こえてこなかったから、相当遠い場所まで行っていたのかも知れない。
「こいつ、普通の熊じゃないだろ? 俺達がこんなの食って、大丈夫なのか?」
「焼けば問題ないって。ああっ、何だよ、そのショボい火は。もっと火力を上げろよ。オレは生でもいいけど、お前らはそうもいかないだろ。あ、メルーファは肉、食える?」
「え、ええ……」
目の前の「食糧」を見てあっけにとられながらも、メルーファは何とか頷いた。
「よかった。食える時に食っとかないと、次はいつ食い物が手に入るかわかんねぇしな」
そうは言ってるが、イーヴがいれば「食」に困ることはまずなさそうだ。
「あっちの方に甘そうな木の実がなってた。後で取って来てやるよ。今はこいつで手一杯だったからな」
こんな大きな熊を担いでいれば、手も一杯になるだろう。
「イーヴ、あの川の水は俺達が飲んでも平気か?」
「川の水? ああ、沸かせばいけるぞ」
自分の鋭い爪で、食糧の解体を始めるイーヴ。彼にナイフの類は必要なさそうだ。
「沸かすって……おいおい、どうやれってんだ」
「ランフィスの荷物の中に、ポットが入ってるだろ」
「ええっ、ぼくの荷物っ?」
炎を強めようとしていたランフィスが、自分の名前を出されてそちらを向いた。
「今回は仕事で使うかも知れない魔封じの札とか、そういった物しか入れてないよ」
「だから、そういった物の下の方にあるはずだって」
作業する手は止めず、イーヴはあごでランフィスの荷物の方を指す。ランフィスは自分の荷物を開け、中に入っていた物を出し始めた。
が、しばらくしてその手が止まる。
「イーヴ……」
ランフィスの顔が渋くなる。
「あっただろ。オレが入れといたから」
ランフィスの荷物から、確かに野宿などで使うような小さなポットとカップが三つ出てきた。
「いつの間に……」
「ランフィス、寮を出た時に荷物を確認しろって言っただろ。その時にそういうのが入ってるって気付かなかったのか」
「あの時は魔封じの札さえあればって思って……ちょうどその下に入ってた。イーヴ、どうしてこんなのを入れるんだよ」
「重くはなかったろ、中身が入ってる訳じゃないんだし」
「そりゃ、重くはなかったけど……何のつもりで」
「仕事が終わった時に、一息つきたいなーって思ってさ。本当は食堂のおばちゃんが作ってくれたお茶菓子も持って来たかったんだけど、その匂いにつられて関係ない奴らまで現われても面倒だから、これでも自制したんだぞ」
イーヴが食べる物をあきらめたのだから、大した自制……になるのだろう。
胸を張って言うイーヴに魔法使い二人はあきれてがっくりと肩を落とし、その様子を見ていたメルーファはくすくすと笑い出した。