妖精達の事情
緑の妖精族の長は、自分の館にいた。
それまでは森の景色しか見えていなかったのに、気が付けば館のすぐそばまで来ていたのだ。ララカの館と同じような結界が張られているのだろう。
全体的にはうっすらした緑色をしている。館は大理石に緑色を混ぜたような色の石で建てられ、その周囲には森では見掛けなかった不思議な形をした実をつけている木がたくさん並んでいた。
この中に、ララカの言っていた瞳目の実がなる木があるのだろう。
「やけに騒がしいぞ。事情は聞いてないけど、やっぱり何かあったんだな」
イーヴが言う通り、館の周囲には多くの妖精達が集まっていて、深刻な顔を付き合わせている。何やら言い合いをしている妖精や、ケガをしているらしい妖精もいた。
場の空気がひどくピリピリしている。どうやらランフィス達は、かなりタイミングの悪い時に来てしまったようだ。しかし、もう引き返せない。改めて出直せる場所ではないのだ。
「何だ、その人間達は」
ランフィス達の存在に気付いた妖精のひとりが、彼らを案内してくれた妖精に尋ねた。その口調はかなり怒気を含んでいる。
「東に放たれた火は完全に消しました。彼らはその手伝いをしてくれたのです。どうしても長に会いたいと頼まれたので、案内しました」
「長にそんな時間はないっ」
「それは長から直接お伺いします」
言い返したのは、ランフィス達を連れて行けばどうかと言った、あの女性。彼女はランフィス達の一番後ろについていた。
「私達は彼らに借りができました。返すのは当然のことです」
「……」
言われた方の妖精は黙り込む。それから、少し意地悪な目つきでランフィス達を見た。
「奴らの仲間ではないのか。我らに取り入るフリをして、騙そうとしているとか」
「今更私達を騙して、何になるのです? わざわざそんなことをしなくても、奴らなら土足で遠慮なく入って来ますよ。あのやり方を見れば、おわかりでしょう?」
今度こそ、相手の妖精は完全に黙り込んでしまった。
「俺達、よからぬ連中とグルに思われてるみたいだぞ」
「心外だよな。こーんなに清く正しく美しいオレ達なのに」
冗談にしか聞こえないが、イーヴは結構本気で言ってるらしい。
とにかく、そんなやりとりがあったりしながらも、ランフィス達は長の館の中へと案内された。
「このままあきらめろと言うのかっ」
ここが長の部屋です、と言われ、案内してくれた妖精がその扉を叩こうとした時。
扉の向こうからそんな怒鳴り声が聞こえた。ただでさえ緊張していたメルーファはビクッと肩を震わせ、ランフィスにすがりつく。
「しかし、我々の力で何ができるのです? 歯向かったところで、返り討ちにされるのは目に見えている。最悪だと一族を滅ぼされることだってありえます」
別の声がいさめる。だが、怒鳴り声の主はおさまらないようだ。
「おとなしくしていて、森に火をかけられたのだぞ。この先どんな仕打ちをしてくるか、わかったものではない。奴らにとって妖精の命など、取るに足らんのだ」
「どっちみち滅亡するなら、戦って死ぬ方がずっとましだ。たとえ一匹でも、奴らを道連れにしてやるんだ」
かなり過激な意見が部屋の中を飛び交っている。
「緑の妖精ってのは、穏やかだって聞いてたよな?」
「穏やかでも、怒る時はやっぱり怒るんじゃない?」
魔法使い二人がこっそりささやき合う。
緑や土に属する妖精は、穏やかでがまん強い性質の者が多いと聞いた。もちろん、これは一般論であり、例外があるということも聞いている。
だが、さすがに「戦って死ぬ」という言葉が、まさか緑の妖精の口から出るとは思わなかった。
案内してくれた妖精が扉を叩き、返事はなかったが扉を開けた。
「長、報告いたします。東に放たれた火は完全に消えました」
妖精が伝えると、視線が一斉にこちらへ向けられたのがわかった。
その視線は、報告した妖精の後ろにいる人間達にも向けられる。どの視線も、穏やかとは言い難い。突き刺すような、とは言うが、本当に突き刺さっているような痛みが感じられる気がした。
部屋の中には、さっきの声の主達の他にも多くの妖精がいる。その場の空気は、館の外よりも張りつめ、用事がなければすぐにでも立ち去りたい気分だ。
そんな雰囲気の中に、老人のような姿の妖精を見付けた。
少し波打つ白髪は肩まであり、同じように白いひげがあごから長く伸びている。本当ならもっと優しい色であろう緑の瞳は、なぜ人間がここにいるのかという疑問で険しくなっていた。
イーヴよりさらに小柄なその妖精は、外見だけから判断すれば九十近い老人のようだ。妖精で年寄りに見えるということは、本当の年齢は……ランフィス達には考え付かない。
「火を消す際、彼らの助力を得ました。長にどうしてもお会いしたいと……」
そこにいる人間は何だと問われる前に、案内してくれた妖精が説明する。
「……どういった用かは存ぜぬが、今の我々はそれどころではない。消火に手をお貸しいただいたことには礼を言うが……申し訳ないが、お引き取り願いたい」
長に冷たくそう言われ、メルーファはくちびるをかむ。ようやくここまで来たのに、話すら聞いてもらえない。
「なぁ、だーれも説明してくんないけど、何があったんだよ」
張りつめた空気を、イーヴがいとも簡単に破った。
「さっき外でも間違えられたんだよなぁ。あんた達を困らせてるらしい連中の仲間じゃないか、なんてさ。んなこと言われたら、オレ達だってやっぱり気になってくるじゃん。ちょっとくらい事情を話してくれてもいーんでない?」
「……よそから来た者に、おいそれと話せることではない」
「何だよ、ケチ」
「ちょっと、イーヴ」
「話して減るもんでもないだろ。そんくらい、いいじゃんか」
「イーヴってば」
放っておくと何を言い出すかわからないので、ランフィスが止めようとする。
その時、外でたくさんの悲鳴が聞こえた。その声に、誰もが一瞬かたまる。
最初に悲鳴の呪縛を解いたのは、イーヴだった。すぐにランフィス達も外へ向かった彼の後を追う。
本当ならメルーファは置いて行きたかったのだが、こんな場所でバラバラになるのは危険だと判断し、ランフィスは彼女の手を掴んで外へ向かった。
外へ出ると、たくさんの妖精達に混じって魔物の姿がいくつかある。みんな、身体はほとんど人間のようだが、その顔は銀色の鱗を持つ蛇やトカゲの形をしていた。
その魔物達は、それぞれ女性の姿をした妖精達を捕まえていたのだ。
「何だ、あいつら」
この場に不釣り合いな姿を見て、思わずバルジェイルがつぶやいた。それはランフィスも同感だ。
妖精達の恐怖や嫌悪感を浮かべた顔から判断するまでもなく、あれはどう見ても侵入者であり、誘拐の現行犯である。
「お前達、何しに来たっ」
やや遅れて出て来た長が、魔物達に鋭い声を向ける。
「もう手出しはしないと言ったではないか」
「手出し? ああ、あれな」
「約束を違えるつもりかっ」
「別に違えてなんかいないぜ」
魔物達は口元にいやな嗤いを浮かべた。
「何を言うか。では、お前達の手の中になぜ妖精がいる」
長の言葉にも、魔物は全く動じることなく言い返した。
「これか? もらって行こうと思ってな。きれいな顔だよなぁ、まったく」
魔物の一匹が、自分の手の中にいる妖精の顔を二股になっている舌でなめる。妖精は青ざめた顔をそむけようとするが、魔物の手に押さえられて動くことができなかった。
「やめよっ。お前達はグルーベの仲間ではないのか」
「仲間だぜ」
「ならば、なぜ手出しをする。約束を……」
「じじぃ、手を出さねぇってお前と約束したのは、グルーベだ。俺達じゃねぇ」
「なっ……」
「だから、俺達は俺達で好きなようにやらせてもらうぜ」
長も他の妖精達も、魔物の言葉に色をなくす。逆に、魔物達はしてやったり、といった顔でかすれた嗤い声をもらした。
「何と卑怯な……」
「グルーベばっかりいい思いするのは、不公平だ。グルーベにそう言ったら、あいつはこう言ったんだぜ。それならお前達も好きなのを見つくろって来いってな」
「……」
妖精達は魔物のあまりに勝手な言い分に、声も出ないでいる。
「わかった、わかった。そんな怖い顔するなよ。それじゃ、今ここにいる俺達も約束してやる。こいつらをもらったら、お前らには手を出さねぇ。もっとも……約束してない俺達の仲間がまた来るかもな」
魔物達がどっと笑った。
「おのれ……」
魔物の言葉で妖精達が怒りに震えていた時。
「ぐわっ」
突然、端の方にいた魔物が悲鳴を上げた。仲間の魔物達がそちらを向くと、悲鳴を上げた魔物は黒い炎を出して消えてゆく。
「言葉の隙を突くって言うか、揚げ足を取るって言うか……。食堂のおばちゃんが揚げてくれる鳥の足はうまいけど、お前らのは食えねぇよなー」
魔物を殺したのは、イーヴだ。捕まっていた妖精は、すぐにその場から逃げ出す。
「何だ、てめぇは」
「約束を破るような奴らなんかに、教えてやらねぇよ」
そう言うと、イーヴはランフィスとバルジェイルの方をちらりと見た。
「やっちまおうぜ」
魔法使いの返事も待たず、イーヴは地を蹴った。突然のことに驚いて動けないでいる魔物の顔面に、遠慮無くその拳をめり込ませる。
魔物の顔は崩れ、後ろへ倒れながらその身体から黒い炎を出した。完全に地面へ倒れるまでに、魔物は灰となって消えてしまう。
「さっ、逆らうのか。妖精ごときが」
仲間を殺されたのを見て、魔物達がいきり立つ。
「俺達は妖精じゃないんでな」
「それに、逆らわないって約束もしてないからね」
「何だとっ」
魔法使いの二人は、氷の矢を魔物達に向けた。もちろん、妖精に当たるようなドジはしない。矢は次々に魔物達の身体に刺さる。
炎でもよかったのだが、周囲にいるのが緑の妖精なので炎系の魔法は控えておいたのだ。
「こ……の……お前ら、人間じゃねぇか」
二人の正体が知られたところで、問題はない。消されるまでにはならなくても氷の矢の効力で身体が冷え、魔物達の動きはひどく衰えていた。爬虫類系の魔物なので、低温には弱いのだ。力も半減し、捕まえられていた妖精達は自力で逃げ出した。
「ちくしょう……退却だ」
さっきからべらべらしゃべっていた魔物が、仲間を促す。
「そうはいかない」
「悪いけど……ああ、別に悪くはないかな。帰す訳にはいかないんだ。ね?」
ランフィスが長の方を見た。だが、長が頷くのを確認するまでもない。
彼らを帰せば、必ず別の仲間を連れて報復に来るだろう。今度は一部の妖精を連れて帰ろうとするだけにはとどまらない。こんな性格の連中なら、きっと皆殺し状態にするはずだ。
ここに結界があっても、一度来た者なら通り抜けられる。つまり、この連中を帰せば、もう結界などあってないようなものだ。
「欲張ったりするから、こうなるんだぜ」
魔法使いが二人同時に氷結の魔法の呪文を唱える。魔物達の周囲で吹雪が舞った。寒さで動きがにぶるどころか、完全に封じられる。もう声すらも出せなかった。
そう間をおかず、長の館の庭には魔物の氷像が数体できあがる。
「んー、氷に罪はないけど、この形じゃシュミ悪ぃなぁ」
氷像を見回し、イーヴがつぶやく。
「それじゃ、芸術家がよくやるように、叩き割ってみるか?」
「だな。オレのセンスに合わないから、こいつらは却下!」
バルジェイルに言われるまでもなくそうするつもりだったイーヴは、回し蹴りで一体、着地と同時に回転した勢いもつけて拳を叩き付けて一体、さらにかかと落としで一体……と順番に魔物の氷像を壊していった。
外の氷と一緒に身体を砕かれた魔物は、次々に黒い炎を出して消える。
「きゃあっ」
全部の氷像を壊し、これで終わったかと思った直後、悲鳴が上がる。どこに隠れていたのか、まだ魔物が残っていて、メルーファを人質にとったのだ。羽交い締めにされ、メルーファは動くことができない。
「くそっ、みんな殺っちまいやがって。お前ら、絶対に許さねぇ」
「その子を放せっ」
ランフィスが怒鳴る。もちろん、魔物がそう言われたくらいで放す訳がない。
「うるせぇっ。このまま無事に終わるなんて思うなよ」
トカゲの顔をした魔物は左腕でメルーファを捕まえたまま、顔のすぐ横に持って来た右手の中に炎を出す。それを見たメルーファの顔が、恐怖に引きつった。
「手始めに、こいつの顔を焼いてやるっ」
「いやああっ」
メルーファが人間だとわかった魔物は、彼女が魔法使い達の仲間だとすぐに気付いた。こんな所に無関係な人間がいるはずがない。
それならばと、自分の仲間を殺された報復に少女を血祭りに上げてやるつもりだった。
パシッ
妖精達も手出しができずに見守る中、乾いた音がした。魔物の炎が、メルーファのすぐそばで弾かれた音だ。
「む?」
何が起きたかわからず、魔物は自分の手を見る。わからないのはメルーファや妖精も同じだ。
「備えあれば憂いなしってことだ。丸腰の相手でも油断するなよな」
バルジェイルが言った直後。
風の刃が飛び、魔物が炎を出していた手首が千切れ飛ぶ。魔物はメルーファどころではなくなり、少女を突き飛ばして痛みに大声を上げた。
「その子を人質にするなんて、卑劣なマネをするからだよ」
風の刃を飛ばしたのは、ランフィスだ。わめいている魔物に向けて、さらに風の刃をいくつも飛ばす。身体を斬り刻まれ、その命を保っていられずに魔物は黒い炎を出して消えた。
「なぁなぁ、ランフィスにしては今の魔法、激しくなかった?」
「……そういう時もあるんだろ」
イーヴとバルジェイルがこそっと話している間に、ランフィスは魔物に突き飛ばされて座り込んでいるメルーファに駆け寄り、手を差し伸べていた。
「大丈夫かい、メルーファ」
「え……ええ……」
ランフィスの手に掴まって何とか立ち上がったものの、さすがに顔のすぐ横に炎を近付けられたショックは大きかった。足が震えているし、勝手に涙まで出て来た。
「ごめん。怖い思いをさせたね。あれじゃあ、結界がないのと変わらないよね」
ランフィスとバルジェイルが張った結界が効いて、魔物の炎がメルーファを傷付けることはなかった。
だが、目に見える恐怖は防ぎようがない。自分に結界が張られていたことを忘れていたメルーファは、本当に顔を焼かれると思い込んでしまった。
「……ううん、ランフィスは助けてくれたじゃない」
ランフィスが申し訳なさそうに謝るのを見て、メルーファは慌てて首を振る。
まだ魔物に捕まった時の恐怖はなくなっていないが、涙をぬぐって無理に笑って見せた。
「なぁなぁ。それで、あいつらは誰だったんだよ」
イーヴが長に向かって問いかける。
「これでもやっぱり、ヨソモンには話せないってか?」
「あれは……北の洞窟に棲むグルーベの仲間じゃ」
長がようやく重い口を開いた。