森の火事
どうにか無事に夜をすごし、次の朝。
またイーヴを先頭にして、シュラッセの森を進む。
「ねぇ、イーヴは緑の妖精族の長がいる場所を知ってるの?」
「んにゃ、知らない」
何気なくメルーファが尋ね、イーヴが答えたその言葉に、三人の足が止まった。
「あの……それじゃ、イーヴはどこへ向かって歩いてるの?」
メルーファは、そして魔法使い達もイーヴが知ってるものだと思っていた。だから、何の疑問も抱かず、さっさと先頭を歩く彼について来ているのだが。
「北北西へ向かって適当に。ララカが北北西って言ってたろ」
「いや、ちょっと待て。北北西っていうのは、森がある方向って意味だろ」
「まぁ、そうなんだけどさ。とりあえずこの森の奥の方へ行かないとな。山を下りてすぐの所に長がいるはずないしさ」
そうかも知れないな、と納得はできるのだが、まさか適当とは思っていなかった。
「イーヴ、そんなことでちゃんと長が見付かるのか?」
「わからなきゃ、誰かをつかまえて尋ねてみればいいじゃん。妖精族って言うくらいだから妖精はたくさんいるはずだし、歩いてるうちに好奇心旺盛な奴がひとりやふたり、そのうち出て来るって」
実はかなりいきあたりばったりで進んでいたらしい。しかし、確実な妖精の居場所を誰も知らないので、結局はそうするしかないのだ。
森の中ではコンパスなど役に立たず、イーヴの獣の勘(?)でさらに奥へと進む。
「……木の焼ける臭いがする」
ふいにイーヴが鼻を動かし、そんなことを言った。
「たき火じゃなくて? それって、火事ってこと? 大変じゃない」
しかも、臭いが流れてくるということは、自分達のいる方が風下ということだ。
「魔の森で火事が起きたって言うのか? まさか異種族同士で戦でもしてるんじゃないだろうな」
魔が多く棲む場所で、火事が自然発生するとはあまり考えられない。もちろん、皆無ではないだろう。だが、この辺りは湿気も多く、強風が吹く訳でもない場所で木々がこすれ合って火が出る、というのは想像しにくい。
これが人間のよく出入りするような場所なら、煙草やたき火の不始末が原因とも考えられるが、妖精や魔物は煙草など吸わない。彼らの方が余程自然を大切にする。
これが自然発生、もしくは不注意が原因でなければ。
火が起きる原因は、戦いしか思い浮かばない。テリトリーの争奪、仲違いやトラブルによる抗争などで、その中に火を使う種族がいれば、ありえないことではない。
「ちょっと見て来る。待ってろ」
「イーヴ、気を付けて」
ランフィスの言葉に「わかってる」と返事を残し、その姿はすぐに消えた。
「まさか緑の妖精族が襲われてるんじゃないだろうな」
バルジェイルがいやな可能性を口にする。
「そうじゃなければいいけどね」
「ど、どうして二人はそう思うの?」
「これがただの火事じゃないとして、だけど。緑の妖精は火を使わない。緑、つまり植物に属する訳だから、彼らにとって火は対照的な位置にあるからね。自分達の存在を消すことはあっても、守ってくれない火があるってことは……緑の妖精族か、彼らに近い種族が攻撃されてる可能性が高くなるってことにつながるんだ」
心配はそれだけじゃない。もし本当に緑の妖精族が襲われていたとすれば、彼らが持っているであろう瞳目の実や、その実がなる木も焼かれてしまう危険性も高くなる。
そう考えていくと、これは対岸の火事ではない。
「今気付いたんだけど……今日は魔物を全然見てないよね。バルジェイル、何を意味すると思う?」
「すんげー強い奴に招集されたか、何かにビビッて隠れてるか」
どちらにしても、いやな想像だ。
「やっぱりそう思う? まいったな。いやな想像なら、いくらでも出て来るんだから」
今は様子を探りに行ったイーヴを待つしかない。
「まだかしら……」
待つ間は長く感じるものだが、実際にはそう長くはなかったかも知れない。
やがて、イーヴが駆け足で戻って来た。だが、ランフィス達のいる所までは来ず、ある程度の所で手招きする。
「二人とも、手を貸せ」
何がどういう状況なのか、といった説明は一切なし。すぐに元来た方へと走り出す。
「お、おい、待てよ、イーヴ。……俺は先に行く。ランフィスはメルーファを頼むぞ」
「わかった」
先にバルジェイルがイーヴを追い、さらにその後をメルーファの速度に合わせてランフィスも追う。
少し走ると、人間の鼻でもはっきりと木の焼け焦げる臭いが感じられた。さらに走ると、あちこちで火がくすぶり、水や砂をかける妖精達の姿がある。
黒焦げになった場所がたくさんあるのを見ると、これでもかなり鎮火されたのだろう。だが、所々でまだ炎の勢いが弱まらず、妖精達が懸命に消火活動をしていた。イーヴはこの消火活動に手を貸せと言ったのだ。
一足先に到着していたバルジェイルは、すぐに近くの火から水の魔法で消してゆく。イーヴは黒い獅子の姿に戻り、口から冷気を吐いて、延焼を食い止めた。
「メルーファ、下がってて」
「は、はい」
すぐにランフィスも助っ人に加わる。メルーファは不安げに見ていたが、すぐに自分のはおっていたマントを外した。それを持つと、まだちろちろと揺れている小さな火に叩き付けたり、足で踏む。魔法は使えないし、大きな炎は消せないので、完全に消えていない火をやっつけていった。
慌てている妖精達は、人間が加勢していることに気付いていない。
「ランフィス、やっぱり魔法の炎だ。油断するなよ」
「わかった」
ランフィスは燃え盛る炎の周囲に、強力な風を起こした。風は炎を完全に包み込む。通常なら風が吹けばあおられる炎も、全ての方向から攻められて行き場を失った。さらに風は炎の周囲に真空状態を作り出す。
魔法の炎といえども、酸素なしでは燃え続けることはできなかった。やがて炎は勢いを弱め、その姿を消してしまう。
バルジェイルは土を宙に持ち上げ、炎に向けて飛ばした。炎の上に土がかぶさり、小さな山ができて炎の姿がなくなる。こちらも空気を遮断することで、火を消したのだ。
そんなことを繰り返し、やがて火事は完全に鎮火することができた。
誰もが息を切らし、すぐには話ができない。イーヴだけは別で、また人間の姿になって消し残しがないかを調べている。
広い森の一部とは言うものの、かなり広範囲が焼かれようだ。焦げて黒くなってしまった土を見ると、痛々しく感じる。
「ああっ」
いきなりそんな声が響いた。またどこかで発火したのかと思ったが、そうではないらしい。
声は妖精の誰かで、見渡せば注目されているのはランフィス達だった。
「人間じゃないか」
「どうして人間がこんな所に」
ほっとした途端、自分達のそばにいる人間に気付いたようだ。いぶかしげな視線が、ランフィス達へ向けられる。
イーヴが人間でないことは気配でわかったようだが、それでもこの辺りでは見掛けない魔獣に、同じような視線が集まった。
「あの……ぼく達は、緑の妖精族の長に会いに来ました」
誰に向かって言えばいいかわからないので、見回しながらランフィスは自分達の目的を第一に伝えた。
少し離れていたメルーファは、一人でいるのが怖くなり、急いでランフィスのそばへ走る。
「ここにいるのは、緑の妖精族、水の妖精族の方達とお見受けします。長に会わせてもらえないでしょうか」
人間の言葉に、妖精達は互いの顔を見合わせている。ざわめきが辺りを包んだ。
「妖精って、もっと小さいものだって思ってた……」
メルーファがこそっとランフィスに言った。
てっきり手の平に乗せられるくらいの、小鳥のように小さな身体をしているものだと思い込んでいたのだ。
そこにいるのは、人間と大差ない姿の妖精達。頭に昆虫のような細い触覚がある者や背中に半透明な羽を持つ者、衣の袖から鱗の生えた手がのぞく者などがいたりするが、シルエットだけなら人間としか思えない。大きさも人間と同じだ。
魔法使いでないメルーファにも、何となく雰囲気が違う、というのが感じられる程度でしかない。だが、彼らは確かに人間ではない存在だ。
「そういう妖精ももちろんいるよ。妖精と一口に言っても、種族がたくさんあるから」
ランフィスもこそっと返事しておく。
「長に会うために何か条件がありますか? 俺達が今できることなら、やりますが」
いつまでも誰も返事してくれないので、バルジェイルが問いかけた。
ようやくひとりの妖精が、彼らの前に進み出る。二十代半ばくらいの男性の姿をした妖精だ。
「条件はありません。ですが、長はお会いにならないと思います」
「なぜですか。俺達が人間だから?」
「いえ……それどころではないのです」
要領を得ない返事に、ランフィス達は首を傾げる。
「何かあったんですか? この火事に関係すること……ですか?」
「……」
妖精は、ランフィスの問いに答えていいのか迷ったらしい。振り返って仲間を見る。
今度は若い女性の姿をした妖精が前に出た。こちらも二十代半ばくらいに見える彼女には、背中に半透明な羽がある。光の下にいれば、きらきら輝いてきっときれいだろう。
「連れて差し上げてはどうですか。森を救う手助けをしてくださったのですから。私達だけでは、もっと時間がかかっていたでしょう。ただ、行っても長が話をしてくださるかはわかりませんけれど」
「……そうですね。どちらにしろ、火が消えたことを報告に行かなければいけませんし」
「お、お願いします。あたし、どうしても緑の妖精族の長って方にお願いがあるんです」
本当なら、自分が一番最初に頼まなければならない。魔法使いばかりに任せていてはいけないと、メルーファは妖精達に頼み込む。
「わかりました。では、案内します。こちらへ」
妖精の男性が先に立って歩き出す。ランフィス達はその後に続いた。妖精達が注目する中を歩きながら、メルーファは焦げ跡がいくつもついたマントを強く抱き締める。
「メルーファ、大丈夫だよ。落ち着いて」
ランフィスに肩を軽く叩かれ、メルーファは少し力が抜けた気がする。
そして、ここへ来たのが一人じゃなかったことが、今更ながらとてもありがたく感じた。