ダンジョンを味見してみる
◇ ◇ ◇
目覚めてレベルアップの感覚が来ないのに消沈する。
(こればかりは運だからなあ)
寝床を出て常衣を着こむ。
男女ともに一般的な、前開きの上衣を紐で結ぶ、甚平タイプのものである。
ウィンティアらも生成りの麻でこれを着ている。
ハルトのは幾分厚く、まだらに赤黒い。
部屋の閂を開けて食堂に向かう。
「おはようハルトさんっ」
「ああおはよう。二人は見つかったのか?」
「昨日遅くに。一人は迷子になっただけで、もう一人は茨苔に踏み込んで大怪我。でもお父さんは治るって」
「それはよかった。薄情だが眠っていて気づかなかったよ」
「いいのよ。裏に井戸があるから、それで顔を洗ってきて。手拭いはこれね。いま朝食の用意してるから」
「ウィンティアが作っているのか」
「お父さんのほうが美味しんだけどね。朝方まで看病してたから、今寝てる。
お父さんはなんでもじょうず。でも教わってもなかなか真似できない」
人に教わり、あるいは仕事のさまを見たうえで、レベルアップの時その技能・職能を選べば自分もできるようになる。天与の技である。
魔術のように、個々の小技をまず覚えないと無理なのもあるが。
井戸は深かったが水は豊かのようだ。
背にある山から水脈が通っているらしい。
顔を洗って戻り、朝食を待っていると、食堂の壁に飾られた見慣れぬ品に目が行く。
透ける板を目に嵌めた仮面だったり奇妙な人型だったり、あるいは風景が巧みに板に彫られたのもある。
見事な細工の片鎌槍があり、流麗な釣り竿があった。
糸に触れると撚りかたが優れている。何の材質だろう?
ウィンティアが盆を持ってきた時に、尋ねてみた。
「これは誰の作ったものなんだ? それとも出土品?」
「全部お父さんのよ。紙というものも造っていて、それに人の顔を写すのもじょうずよ。これも練習してるんだけどなあ」
「レンシュウ?
よくわからないな。
よそじゃあまり見かけない技能だが、他人には教えないの?」
「誰にでも教えてるよ。ただみな無理だと去っていったそうよ。ハルトさんもやってみる?」
「難しいのか」
(ちょっと見てれば済む一般の技じゃなくて、魔術のように他の条件があるのかな)
「気が向いたら試してみようか…」
不思議には思ったが今欲しい技でもない。食事に関心を移し食べ始める。
練習とか訓練とか、この世界の常識にはないのだ。
食堂にはほかに冒険者らしき若者数人が固まっていたが、こちらを少し観察すると鼻で笑って興味を失ったようだ。
いつものことだし、絡まれたり囮に使おうと寄ってきたりよりは、無視のほうがましである。
そのうち奥から寝ぼけ眼の子供や若者が出てきて、勝手によそって食べている。
客という様子もないから、この家の者のようだ。
「ともかく何度も何度も繰り返して体に覚えさせるんだって。私もしてるんだけどなあ」
(へんな覚え方だな。
村長は山向こうにある知識を得たらしいが、あちらでは一般的なんだろうか?)
覚える前に何度も繰り返す、というのはひどく無駄で苦行に思えた。
教わりに来てもやめてしまう、というのは当然だろう。
普通ならしばらく眺めて一度教えてもらえば、次のレベル上がりで選択できるのである。
まあいい。
「そういえば昨日見たオークはアヤカシだったが、ここのダンジョンは溢れかけているのか?」
茶が出ていたが、追加でビールを頼み、追加の質問もしてみた。
「中に入る人が減っているからね。そのうち西北の都を襲いに行くんじゃないか、ってお父さんが言ってたわ」
「君らは逃げんでも平気なのか?」
「過去の記録を見ると、溢れるのは主にコウモリで、村も被害は受けたそうだけど…
人が死ぬわけではないから…」
まあ、よそに行っても伝手がなければ喰えないのだから無理はない。
◇ ◇ ◇
「さて、ひとまずこの土地のダンジョンの味見をしてくるよ」
食事を終えて部屋に戻り、身支度を整える。
鉢金を巻き、手足に細い鉄板を仕込んだ手甲・脚絆を巻き付ける。常衣の上に革の胴鎧を着こみ草摺り垂らし、足元は草鞋。背には長巻。腰につぶてを入れる壺籠。少量の食料と水筒は収納魔術に。
「気を付けていってきてね。
あの人たちに混ぜてもらう?」
後半は小声で、ウィンティアが尋ねてきた。
「いや、まずは一人で行く」
明らかにこちらを蔑む相手と組むと、むしろ危険なのだ。
「そう。ほかにももう一組いるから、入り口で待てば会えるかも。
あれ? ここに置いたお弁当は?」
「ああ、俺は収納魔術を持っているんだ」
「そうなの? 凄い、羨ましい」
「地元にこれを持った、低レベルモンスターが良く出てね」
「いいなー。ここにも出てほしい。
明かりは?」
「持ったもった」
話題に出たのは低レベルだが、麻痺も使う巨大なネズミである。
まず遠くから麻痺魔術を使い、効くと獲物の首を齧り、死体を収納して持ち帰る。
ハルトにとっては魔術の師ともいえる存在だが、普通の子供にとっては結構な難敵だ。
だがわざわざ言うほどのこともない。
「じゃ行ってくる」
◇ ◇ ◇
ダンジョンに依存する小集落だが、まれに中から魔物が出ることもあるため、さすがに場所は離れていた。
門の上の見張りに挨拶して村を出ると、向かい合う山のふもとに洞窟の口が開いている。それに向かって坂道を下った。
途中具合の良い小石を拾っておく。腰籠に納める。
弓矢もそれなりの腕だが、投擲のほうがハルトには適していた。
特に片手で投げてすぐ刀を振るえるところが。
村のある丘と洞窟との間には、道の左右に畑地がいくらかあるが、さほどの広さではない。耕すに適した場は山中に点在してるそうだ。
ダンジョン入り口の近辺には何もなく、誰もいない。
待てば他の冒険者がくるようなことを言われたが、同道する気もなかった。
初見の相手はこちらを下に見て、こき使おう、囮にしようとすることが珍しくないからである。
レベルというのは、同格以上の相手を殺すことで上がっていく。
このためか誰もが、相手がそれに当たるか、下かを見分けることができるのだ。
今のハルトは殆ど、いやたぶん全ての新人冒険者から「弱い」とみられるレベルである。
というか子供たちからも「なんだあれ?」と思われてる。
(一人のほうが気楽さ。あと四回は『全快』の異能を使えるはずだし)
一レベルまで下がったことは何度かある。
ゼロまで行けるのかは、まだ試していない。
怖いではないか。
収納から金属の小カップをとりだし、鉢金の上に着ける。
カップの中央から針が伸びている。
念を込めると針の先が輝きだした。
照明魔術のこもった魔道具である。
(これもしばらく使って痛んできたな。ここに明かりの魔術もちの魔物はいないだろうか)
心に呟きながら、ハルトは洞窟に入っていった。
入るとすぐに道は左右に分かれる。
見回して左手の法則に従い歩み出した。
ここは自然の洞窟を利用した、あるいは模したダンジョンのようであった。
ハルトが以前入っていたのは、城めいたもの、深い森、無限に広がる廃村といったものだったので、上下動が大きく、幅も広狭を繰り返すさまは経験がなく、すぐ戸惑いだした。
(これは道を覚えるのが難解だな。たとえばあの隙間、入るべきか?)
行きに入らず帰りに入り、道に迷いそうである。
世の中には地図を作れる職能や魔術があるとも聞くが、ハルトはそれを持っていない。
というか、一人で冒険をする割には、魔術の種類を持っている方ではないのだ。
この世界、魔術の覚え方はお手軽にしてスパルタで、術を受けて抵抗に成功したとき、まれに攻撃した者の記憶する呪文をどれか覚える。
戦士技能につく強打や逆撃といった小技もこれに準じる。
呪文や小技単体では使えないが、得た後に、レベルアップのおり魔術を願うと、手持ちの呪文からランダムに一つ以上を含んだ魔術技能が得られる。
ハルトの持つ、あるいは持っていた呪文と小技は、麻痺・収納・魔道具鑑定・治癒二・熱病・魔術封じ・強打×六、逆撃といった程度である。(今残してあるのは収納・逆撃だけ)。
ハルトは繰り返したレベルダウンとアップを通じて、これらの小技を含んだ技能を得ては棄て、高い水準のものを残して持っているのである。
ただし魔術技能の多くは麻痺+収納の組み合わせであった。
それが六つあり、
(収納・魔道具鑑定・治癒2・熱病・魔術封じ)が一つある。
ハルトが麻痺と収納を覚えたのも、故郷で何度も『大喰らい』と呼ばれたネズミの魔物の攻撃を受け、しばしば抵抗していたおかげである。
子供や家畜を麻痺させ、喉笛を裂いて死体に変え、収納魔術で持ち去る害獣だ。
これをハルトは狩るのが仕事で、麻痺したときにも近寄られたところで全快の異能を使い、相手の喉を裂いてきたのである。
彼らだけが魔術の師匠である期間が長かったので、ハルトの持つ魔術もずっとそればかりだったのだ。
この魔獣は六レベルだそうで、だからハルトのレベルも七以下をウロウロしていたはずである。
子供や家畜を持ち去るのに加えて、その収納力で畑のものをあらかた盗み出すなど、厄介な害獣であり、それだけにこいつらを片付けられるハルトには村から一定の評価が与えられた。
とはいえその感謝は、たとえ形になったとしても養家に向かい、ハルトの腹を満たすことはなかったが。
魔術を憶えたいなら、銭を積んで術を掛けてもらうこともできる。
とはいえこちらは十分な謝礼金と、信頼できる教師役とのコネが必要であり、一二歳で村を飛び出したハルトにはいづれもない。
先輩冒険者に裏切られたり、盗賊に出会ったり、魔物の攻撃に耐えたりが残りの魔術を覚えたゆえんである。
強打は、村の自衛のため子供ら一同戦士としての訓練を受けたあと、この小技を身に付けた村長の息子に何度もマトにされたせいで、いつの間にか六つも憶えた。
累積して意味のあるタイプである。
村を出るときにはあのドラ息子にその効果を知ってもらったものだ。
それはさておき、道を覚える特技があるわけでもないハルトは、懐からギルの実をとりだし、とりあえずこれをチョーク代わりに壁に印をつけてみることにした。
ギルの実はクルミに似て、軽食であり保存食であり、基本通貨の名にもなっているものである。
(あまり奥はいかず、このあたりをまずよく記憶しよう)
ダンジョンによっては、壁に付けた汚れなど手早く吸ってしまうし、時には通路の形を変えたりするのだが、いまだ一五で良き先輩にも恵まれなかったハルトは、そんなことは考えもしないし住人に訊きもしなかった。
人付き合いの下手なままハルトは、知識を経験から学んできたのである。
前方に向けた光の中に、動くものがあった。
(剣を持ってる。遭難者の可能性もあるが多分違うな)
こちらに武器を向けているので、魔物か人かはどうでもよい。
二人連れのうち後方のが弓を持つのに気付き、物陰に隠れる。
直後居た場所を飛来物が通過し、壁に当たって砕けて消えた。
ハルトも麻痺魔術を飛ばして返礼する。
前方の剣士が身を強張らせて倒れる。
『つかんで』すなわち維持していれば相手は麻痺したままだ。その間その魔術技能は使えなくなるが。
だから麻痺魔術をたくさん持つ意味がある。
駆け寄って剣士を飛び越え、長巻で弓持ちに切りつける。
長巻の刃がガリッと天井を削った。
敵は勢い削げた攻撃を回避し、弓を投げ捨て抜刀する。弓は地に付くかで消えた。
切り上げた刀がハルトの顎を断ち割った。
上の歯を砕きながら刃が止まる。
繰り返したレベルアップでため込んだ頑丈さのおかげだ。
血をこぼしながらハルトが再度長巻で薙ぐ。
今度は間違いなく達人の技で敵を両断し、内臓をぶちまけながら相手はかき消えた。
振り向いて金縛りの剣士を一突きする。
こちらも魔石を残して消えた。
(また泥仕合だよ… はやく対処したいものだ…)
舌も裂けてしまい愚痴もこぼせない。
治癒の呪文を掛け、とりあえず止血と痛み止めとする。
レベルの低さは足かせになる。
それは技の粗さとして姿を見せていた。
神々の、それはときに管理者と呼ばれるのだが、その定めたレベルというものには、それ以下の技能に補助を与えて熟練者に変え、それを越す技能には分不相応として足を引っ張る効果があるのだ。
結果、ハルトの戦闘は、異能もタフさもあるので死にはしないが、生傷絶えないグダグダなものになりがちだった。
レベルと技能と素質の具合よくそろった中堅クラスの冒険者なら、先ほどのような意識のぼやけたアヤカシ・ゾンビ程度、無傷でサクサク倒してることだろう。
たとえハルトよりずっと技能が低くても。
そのあとも入り口近辺を行き来してるうちに数回の遭遇があり、中には先日のオークに見えるアヤカシにもあった。同じ悪霊がダンジョンに呼び戻されたのだろう。
(微妙な額の魔石しか拾えなかった。遭遇率も高いし、いったん仕切り直すか)
警戒しつつ洞窟の外に出て、鉢金からカップを外す。明かりが消えた。
夕刻にはまだ間があると考え、背を預けられる大木を選んで、少女の作ってくれた弁当を開ける。
止血は魔術でしたものの、あちこちに生傷があって痛くて面倒くさい。
というか顎が割れていて飯が食いづらい。
結局また全快の異能を使ってしまった。
(たぶん今で三レベルか。しばらく罠猟でもして、レベルを上げるべきかなあ)
半人前とされる十レベルくらいまでなら、そう掛からず登れるのである。
それで狩人の目線で山を眺めながら握りを口にしていると、煙がたなびいていた。
(焼き畑、ではないな。昨日の死者を荼毘に付しているのか)
かすかに神官の歌う送葬歌が聞こえるようだ。
ダンジョンのそばでは悪霊が遺体を動かすことがあるので、焼くなり首を落とすのが良い。
「 …帰るか」
煙の散りゆくさまをみてふと戦意が衰え、宿に戻ることにした。