第八話,新型戦車他陸軍兵器
*小倉陸軍造兵廠*
ここは、現在、最も大きな兵器工廠となり独自の研究機関を持ち新兵器の開発やメインである兵器生産が行われている。(第二位は東京)
特に最近、中国・満州との敵対が激しくなり東にある軍工廠よりも重視されるようになった。
そんな小倉陸軍造兵廠の中に一両、見たこともない戦車があった。
「…これが?」
「新型戦車「TK-X」です」
なお現実のTK-Xとは関係ない。
「主砲は120mm滑腔砲ですが本戦車はさらなる強力な砲に交換する事を想定して設計されてます」
「つまり、将来的には九〇式よりも火力が増すと?」
「はい、さらに本車両は九〇式よりも軽量化されてますが、防御力は九〇式と同等レベルです」
軽量化されたこの戦車は持ち運びが簡単となり、また従来の物と違い部品が共通化された為。
大量生産が簡単になったのである。
さらにC4Iなどはもちろん、ソ連などの東側で一部で導入され中国の99式でも採用されているアクティブ防護システムを採用、機動性は最高速度75km/hと99式に多少劣るが国産の九〇式よりも5km/h速くなった。
確実に従来の九〇式よりも戦闘力が高くなっているがアクティブ防護システムを装備する戦車を撃破する兵器はすでに開発されており、その有効性は未知数である。
(ただしそれはロシアでロシアは現在、どちらの味方でもない中立である)
このように数が少ない七八式や九〇式をカバーすべく、より能力が上がりしかも生産性にすぐれる戦車が日本で開発され、11月10日の審査でライバル車よりも高得点を稼ぎ正式採用が決まった。
命名はすぐにされ、2005年に正式採用された事から「五式戦車」という名前がついた。
ちなみに第二次世界大戦時、日本海軍がドイツと戦っている最中日本陸軍もヨーロッパに展開しようと、ティーゲル及びパンテルともある程度戦える戦車を開発しようと必死であった。
その戦車は「五式中戦車」という名前だったが結局正式採用されたのは45年末であった。
また後の朝鮮戦争にて五式中戦車はT-34相手に撃破されるなど、防御面ではT-34相手に不利で
あった。
とてもドイツ戦車と戦える代物ではなかった。と戦後ティーゲル及びパンテルを持ち帰り研究した技術者たちは嘆いたという。
(結局日本軍がT-34との戦車戦でまともに戦えた戦車は戦後、研究が終了しコピーされ実戦投入され少数のティーゲルとパンテルのみであった、しかも機械的な故障が多発して稼働率が低い上にどちらも重量があり橋が耐えられなかったという。ただしこの二両の入手は後の日本軍の戦車開発に大きく貢献した)
その五式中戦車と似たような名前だったこともあり、技術者たち99式戦車を相手にあのT-34に立ち向かった五式中戦車のような悔しい敗北をしないだろうかと不安であった。
ただしかつての五式中戦車のように生産性に優れていた。ましてや今やアメリカと肩を並べるまでに日本は成長したのである。かりに失敗作だとしてもかつてほどの惨事にはならないだろうと思われる。
この陸軍の期待が今最も期待している戦車はすでに試作型が16両完成していた。
この16両ほか生産中の量産型車両は上陸作戦には間に合わないが今後、中国大陸などに展開し99式との戦車戦が行われるだろう。
さてこの他陸軍は大陸での戦闘を想定した兵器を多数所持している。
六四式105mm榴弾砲はだいぶ前に採用された火砲でありながら軽量かつ持ち運びが楽で現在陸軍のこのクラスの砲の主力はこれの後続である八〇式105mm榴弾砲だが現在も一部の部隊が使用しておりまた海兵隊はほとんどがこれを使用している。
日本軍もまた、ほかの軍隊のようにこのようなものを歩兵砲や山砲の代わりに使用している。
戦後アメリカより受けた技術で日本のヘリコプターは大いに発展した。
もちろん155mmもあれば203mm榴弾砲とかいうやたらとでかいものまである。
また歩兵には銃のほか携帯武器として九六式小銃擲弾や九〇式対戦車噴進砲を装備している。
九六式小銃擲弾はその名の通り日本製ライフルグレネードである。
以前にも九三式小銃擲弾があったがこちらは安価だが欠陥兵器であった。
その事が発覚したのは1994年、米軍・韓国軍との共同演習の時日本兵が小銃擲弾を放った際突然爆発してのであった。その二ヵ月後には北海道の演習場で連続爆発事件が発生し日本兵3名が亡くなっていた。
だが欠陥兵器を使うわけにもいかない陸軍は早速新兵器の開発を指示しそしてできたのが九六式小銃擲弾だった。
こちらは成功品で使いやすく兵士からの評価は高かった。
九〇式対戦車噴進砲は従来使用していた六三式対戦車噴進砲(どうみてもM72LAW)を自国の試作戦車に放った所、現代戦車に対しては力不足である事が判明した。
そこで日本陸軍は新型携帯対戦車兵器の開発を命令。ドイツのパンツァーファウスト3を参考に開発され1990年に正式採用となる。
湾岸戦争ではほかの日本軍兵器と共に戦果をあげている。
日本は海洋国家であり陸軍の予算は海軍や空軍と比べると少ない。
そんな厳しい条件の中陸軍は常に精鋭であった。
アメリカの軍事評論家曰く日本兵1人に対しアメリカ兵は10人、中国兵は50人分の力があるという。
日本の軍学校は非常に厳しい訓練を行っている。
だがそこを卒業したたくましい男女は精鋭であり、世界最高レベルの練度を誇る。
…とはいうが戦争は数である。両国合わせて1000万を越える兵士を抱える今の中国と満州を相手に一体いつまで強気でいられるかは、現時点では不明である。
装甲車などは大抵アメリカのものを購入するかライセンス生産をするのみだが現在国産装甲車を開発中だという。
ちなみに、おかしな話であるが陸軍は普通海軍が持っている小型空母や空軍が持っているような戦闘機を持っている。陸軍が海軍や空軍と仲が悪いのがよくわかる。
事の発端は第二次世界大戦で海軍によるクーデターや末期ヨーロッパ戦線にて陸軍が戦わなかった事を一部の海軍軍人が「腰抜け」と評した。
陸軍は二隻の小型空母を保有しており、イギリスから購入したハリアーやその他各種ヘリコプターを搭載している。また工業地帯の防空戦闘機として鰹製作所が開発した「鰹一甲型」という「鰹三型」ラムジェットエンジンを搭載した戦闘機を持っている。
実戦で戦った事はない。航続距離が恐ろしく短く(20分ほど)運動性能も悪いが重武装でありミサイルを放ったら基地に逃げるのである。
空軍からは「コメートコメート」と馬鹿にしている、ちなみにコメートは第二次世界大戦時のドイツの戦闘機である。同じく航続距離がえらく短く、一部の防空にしか使えないものだ。
世界的に見ても変わった陸軍だがその実力は高い。
ただしこのような兵器が作られたのは1980年代までで湾岸戦争の時に和解している。
朝鮮戦争やベトナム戦争などではよく陸軍は他二軍と対立した。
鰹戦闘機が造られたのは1984年、小型空母も1985年でこの頃はソビエト問題でいろいろと対立していたそうだ。
もちろん首相が陸・海・空軍の関係の調整を行い70年代80年代と時代が進むにつれ互いの対立は弱まっていった。
(それでも陸軍は揚陸艦と偽り空母をつくってみたりしたが)
またベトナム戦争あたりまでの激しい対立の理由は陸軍・海軍・空軍の上のほうの人達が第二次世界大戦時の血気盛んな将校だったからだろう。
ただしやるときはやると、仲が悪いようで時には仲がよかったみたいである。
ただし今はそれほど仲が悪いわけではなく、かつて造ったこれらの兵器を陸軍はもてあましていた。
来期防衛計画ではこれらの廃棄を目指すという。
次回:
12月1日、大日本帝国陸軍ほか同盟国陸軍は大連、山東に上陸を開始した。ノルマンディーも真っ青なこの作戦は成功するのか?